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金曜の夜、銀座を歩いていて思い出しことがある。

あれは、誕生日をいくらか過ぎた冬の寒い日だったと思う。
僕は銀座の街をあてどもなく歩いていた。
もしかすると、あの日も金曜日だったかもしれない。
宵の口の銀座は華やいでいた。


銀座の裏通り

一人で銀座を歩いていた僕に、目的地はなかった。
ただ、幾らかでも誕生日らしいことを自分にしてあげたかった。
何かの用事で週末の夜の街に出たのに、家に帰ってしまうのが惜しかっただけなのかもしれない。

ちょっと一杯飲んでいこうか、と思い適当な店を探すのだけれど
いざ店の前まで来ると足がすくんでしまった。

僕にはお金がなかった。

もっとも、誕生日を祝うつもりで来ているのだから、一杯飲むくらいのお金は持っていたはずなのだが、どうにも踏み出せなかったのだ。

僕は当時、1日300円の食費で生きていた。
300円といえば、外食はおろか弁当すら買うことはできない。
そんな生活が続くうち、1杯1000円もするお酒にお金を払うことが、どうしてもできなくなってしまっていた。

健全な財政を保っていたほんの数年前まで、あれほど日常だった外食ができない。
たとえ金銭的に出来たとしても、自分の意識がそれを許さない。

華やかな銀座2丁目を歩き、飲食店の多いコリドー街で飲み屋を覗きながら
とうとう日比谷まで来てしまった。
通りを折れ、一気に人の少なくなった帝国ホテルの前を通る。
ウインドーの中では幸せそうな家族づれが、楽しそうに笑いながら上品に食事をしている。

歩いているうちに涙が溢れてしまった。
悔しくもないし、悲しくもない。幸せそうな家族づれやカップルに心から祝福を送っているのに。
ただ、泣けて泣けて仕方がなかった。
金曜の夜の銀座を人目も憚らず泣きながら歩いている男は、おそらく僕一人だったろうと思う。

お金は、自分が誰かに与えた喜びの総和なのだと何かの本に書いてあった。
だとすると、僕はただここまで無駄に苦労しただけで、ほとんど誰にも喜ばれていないことになる。
街を歩いている華やかなカップルや、レストランで楽しそうに食事をしている人たちは、きっとたくさんの人に喜ばれている。

でも、僕はそうじゃない。

泣きながら歩いているうちに、ふと未来の教え子たちの姿が目に浮かんだ。
「先生!私たち、待っていますからね!」

それが妄想だったのか、あるいは未来からのメッセージだったのか、
いつかわかる日が来るのかもしれない。

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