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仙台~秋田間における優等列車の変遷①

 東北の中で仙台市は中核都市として、他の都市との結びつきが深く人的交流も盛んであった。このため、1960年代から仙台と東北主要各都市とを結ぶ優等列車(急行および特急列車)が運転されてきた。その中でも、東北の背骨を縦貫する東北本線内に存在する福島・盛岡・青森を連絡し設定される優等列車や、隣接する山形を仙山線で連絡する優等列車とは別に、奥羽山脈を横断し奥羽本線を経由する秋田とを結ぶ優等列車は、その経由する横断線が複数存在することから多彩な列車が数多く運転されてきた。今回は仙台~秋田間を結ぶ優等列車に焦点を当てその歴史を辿ってみる。

【陸羽東線経由】

 最初に仙台~秋田間に設定された優等列車は、1959年12月1日に新設された陸羽東線を経由する準急「たざわ」であった。この列車は、仙台発と米沢発の2系統の列車を連結した多層建て列車であり、下り列車は新庄で併結を行い秋田まで、秋田からの上り列車は新庄で解結を行い仙台および米沢まで向かっていた。このため、仙台だけではなく山形⇔秋田間を結ぶ都市間列車の役割を担っていた。
 これまでは仙台を朝出発し夜戻ってくる車両運用であったため、秋田から仙台へ移動は不便であったが1962年2月20日には仙台発着列車のみ2往復化されたため、秋田を朝出発し仙台での日帰り利用も可能となった。
 1965年10月1日改正で「千秋」に改名され、1966年3月5日に急行に昇格している。
 1969年10月1日改正で仙台・米沢編成の併解結を行う「千秋」は、青森発着となり仙台・山形⇔秋田⇔青森間の都市間連絡列車となった。
 1972年3月15日改正で仙台・米沢編成の併解結を行わない秋田発着の1往復は院内発着に変更され、院内~秋田間は普通列車として運転されることとなった。
 更に1973年10月1日改正で上り列車のみ普通列車区間が延長され秋田~新庄間となり、新庄~仙台間のみ急行列車扱いであった。また、下り列車も1975年11月25日の改正で新庄~秋田間普通列車扱いとなった。
 東北新幹線が本格開業となった1982年11月15日改正で廃止となり、23年の歴史に幕を閉じている。

【北上線経由】

 東北各地を結ぶローカル優等列車は準急列車のみであったが、東北初の地域内急行列車として登場したのが1962年7月15日に新設された「あけぼの」である。この列車は、北上線・奥羽本線を経由し青森まで連絡することで、仙台⇔秋田⇔青森の都市間連絡輸送を担っていた。
 1968年10月1日の改正で「きたかみ」に改名され、1972年10月2日改正で秋田発着列車が1往復増発されている。
 一方、東北初の地域内特急列車も仙台~秋田間で運転が開始された。1971年10月1日改正で設定された毎日運転の臨時「あおば」である。「きたかみ」より40分早く終着駅に到達できる速達性とともに、仙台からは秋田へ日帰り利用が可能となった事により利用が好調であったため、わずか半年後の1972年3月15日のダイヤ改正で定期化されている。
 しかし、上野~秋田間を結ぶ181系気動車特急「つばさ」の間合いで車両が運用されており、非電化路線である北上線には485系電車が入線できない為、奥羽本線が電化された1975年11月25日の改正で廃止となり、急行「きたかみ」に吸収された。
 3往復となった急行「きたかみ」であったが、1982年11月15日改正で廃止となり20年の歴史に幕を閉じている。

 列車運行形態に変動があったダイヤ改正ごとの陸羽東線および北上線経由の仙台~秋田間各優等列車の発着時刻一覧表は下記にてダウンロード(¥200-)してください。次回②は東北本線経由および田沢湖線経由の優等列車をご紹介いたします。4月14日まで次回アップ予定。画像資料:PIXTA

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