あの日のこと③
9.11の週、あの日の記憶をどこかに記録しておきたいと思ったはいいが、思いの外長くなってしまった。最終話。
空港の封鎖が解け、空の便がわずかながらに運行を始めると、Sさんは何とか帰国便の予約に私をねじ込もうと、尽力してくれた。これほどまでの親切と、そしてこれほどまでに行動してくれるバイタリティに私は驚き感動した。
Sさんの航空会社との懸命な交渉により、私はその数日後に帰路に着くことになる。別れまでの数日の間に、Sさんはこんな話をしてくれた。
「アメリカは厳しい国だ。けれど、自分で何かを変えようとする人間を決して見捨てないし、手を差し伸べる。アメリカンドリームというものがあるとしたら、それは夢物語ではなく、自分の意思で前に進む人のものだ」
20年以上も昔のことなので一言一句覚えているわけではないが、Sさんの言葉は心に響いた。どのような事情だったかは知る由もないが、移民一世であるということは、Sさんは若かりし頃に日本人の妻を伴って意思を持ってアメリカに移り住んできたのだ。それから何十年、息子たちも孫たちも日系人としてニューヨーク近郊に暮らしている。苦労という言葉で片付けるにはあまりにも濃くて重い経験をされてきたはずで、Sさんの存在そのものがアメリカンドリームなのだと感じた。
あの時、道を歩く「非白人」への目は穏やかではなかった。非常事態とは言ってもこのような視線を感じて日々を過ごすのは悲しいし、うっすらと恐怖を感じたのも事実だ。移民ともなると長期的、日常的に、私が感じていたものの数十倍、猜疑心や敵対心のようなものに晒されてきたのではないか。
アメリカの近代は移民の歴史でもある。余談だが、最近のアメリカ大統領選挙を見ていて、もしかしたらSさんの言うようなアメリカンドリームは失われてしまい、周りからみたアメリカも輝きを失うのかもしれないと思うと、それは少し寂しい話だと思う。
私を何とか日本に帰してあげようと奔走するSさんを見て、彼が移民としてどのように毎日を過ごしてきたのかを垣間見た気がした。あの時の私はSさんに甘えて、何ら行動を起こすことはなかった。そんな自分を振り返って、そのぬるさを恥入るばかりだ。私は今、ちゃんと自分の意思で前に進むことーー自分のために行動し、自分のために闘うことーーができているだろうか。そしてそれを誰か他の人のためにもできているだろうか。Sさんはもう亡くなったが、毎年、9.11の頃になるとSさんを思い出し、少しでも勇気を出そうと改めて思うのだ。