食いしん坊の雑記帳(落花生)
季節の食べものが好きだ。梅シロップ、トマト収穫、実山椒、いくらの醤油漬け、味噌の仕込みなど、現代に生きて全てというわけにはいかなくとも多少は自分で食べるものを自分で拵えたい。
今年は何かと時間にも心にもあまり余裕がなく、それらの多くは諦めた。味噌はまだ一昨年仕込んだものがあるからよかったが、季節が移りゆく中で、今年はあれが食べられなかった、これは食べたかったと、仕方がないことはわかっていても残念な気持ちが残った。
落花生の収穫は毎年、専業農家を営む友人の畑で初夏に種蒔きも手伝う。その報酬が秋の収穫物となるのがここ数年のお約束だった。
友人の畑で育てるのは大粒の品種オオマサリ。殻付きの状態で3〜5センチ程度、豆一粒でも1センチ弱と、良くスーパーなどで見かけるものの倍ほどの大きさだ。知っている人も多いと思うが、落花生は土に「落」ちて土の中で育つ。収穫の時には根っこごと鷲掴みにして揺すると土が落ちて鈴なりの落花生が現れる。
今年は種蒔きにも収穫にも行くことができなかった。落花生も諦めねばならないかと思っていたが、どうしても諦めがつかず1.5キロほど購入させてもらった。
生の落花生が手に入ったら、私の場合は塩ゆで一択だ。大鍋に多めの塩を入れて45分〜50分。そのまま冷めるまで放置すればこの季節しか食べられない最高のおつまみができる。茹でた落花生は足がはやい。小分けにして冷凍庫行きだが、冷凍庫もあまり空きがない。喜んでくれそうな近所の知人たちにお裾分けをする。渋々と。
見たこともない虫が土からコンニチハ!と出てくると、まだまだひゃーっとなる都会っ子の私。それでも畑仕事で土の感触と匂いに触れていると、生き物としての自分が少し正常化する気がする。人は土がないと生きていけない、というのはナウシカの言葉だったと思うが、きっとそれは正しい。生きとし生けるもの、泥んこになり、恵みを受け取って生きているのだ。コンクリートとプラスチックだけでは生き物は幸せになれない。
余談だが、友人の畑を手伝いに行くと、タープを張って即席屋外ランチ会が開かれる。あれ、私、貴族だったっけ?
友人と、フランスの農民はきっとこうして優雅な時を過ごしているに違いない、と話したものだった。今年この時間が持てなかったことは残念だ。もう少し自分の生活において何が大切で、何を後回しにするか、ちゃんと考えて来年を迎えたいと思う。