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あの日のこと①
23年前、東京から26時間もかけて南米チリのサンチャゴへ出張した。地球の真裏に行くというのに2泊、しかも夜に着いて朝に出発する実質1日の行程を不憫に思ったのか、当時の上司が「動向調査」という名目でニューヨーク経由で帰国することを許してくれた。私にとって初めてとなるニューヨーク、ここでも2泊程度の滞在予定だった。
映画や小説で憧れていたニューヨーク。着いたのはこちらも夜遅くだったが、翌日の仕事は午後だけだったので、午前中を目一杯、見聞を広げるために使おうと、早朝に起きて散歩に出かけた。最初に訪れてみたかったのはセントラルパークだ。
マンハッタンの中心部からそう遠くないところに位置するホテルを出て、徒歩でセントラルパークに着く。まだ人はまばらなニューヨークの朝。高揚した気分で広い公園をただ歩き回った。気づけば午前9時過ぎ、ホテルに戻って遅い朝食でも取ろうと地下鉄の駅に向かったら、地下鉄の入り口はチェーンで封鎖されていた。公園の中では聞こえなかったが大通りは何台もの消防車がサイレンを鳴らして通り過ぎ、バスもタクシーも停まってくれない。ニューヨークはせわしないところだなあと、デリで何か買って帰ろうかと思ってみたものの、お店は軒並み閉まっており「本日の不幸な出来事により本日はクローズ」という貼り紙もあった。
呑気な私は誰か偉人でも亡くなったのかな?と、さらに歩いてその訳を知った。とあるビルの大型モニタに映し出されたニュースと「America under attack」のテロップ。心臓が跳ね上がった。アメリカが何者かに攻撃されているのだ。
消防関連のサイレンは鳴り止まない。たくさんの人が走っていた。私も早足でホテルに戻るが、フロントの人も取りあってくれる様子がない。部屋に戻りテレビを付けて、ようやく事態が飲み込めた。朝8時半ごろ、まさに私が公園でふらふらとしていたその時間、ワールドトレードセンタービルに飛行機が突っ込んだのだ。ホテルの留守電にはその日会うはずだったニューヨークのビジネスパートナーからメッセージが入っていた。何と言っていたかは覚えていないが、安否の確認と、困ったことがあったら相談してくれという内容だったと思う。自国が大変な時に、半ば遊び気分で訪れた私のことを思い出してくれただけで頭が下がる。
遅かれ早かれ日本でも報道されるだろう。ニューヨークに寄るとは言ったが詳しいスケジュールを伝えていなかった家族に、とりあえず無事を知らせようと電話をしようとしたが、回線はパンクしており繋がらない。PCを立ち上げて(若い人は信じられないかもしれないが、当時はスマホもWi-Fiもなかったのだ、たしかダイアルアップ回線だった)、とりあえず上司にメールをした。無事であること、家族に無事を伝えてほしいこと、状況がわかったらまた連絡するが、空港への橋も空港も封鎖されており、いつ帰国できるかわからないこと。日本は夜のはずだったが、ニュースを見ていた上司からは割とすぐに返信があった。とりあえず家族には連絡がとれる、ようやく私も落ち着きをとりもどした。
(つづく)