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無形骨董品へ愛を込めて

先日のエッセイで祖母の話を書いた。鰻を食すアントワネットである。

そんな祖母は名前をギンと言った。名古屋のキンさんギンさんが人気を博して30年ほど経つが、我が祖母もかつてはたくさんの兄弟姉妹がおり、私が知るだけでも姉はキンさん、妹はスズさんだった。元祖キラキラネーム姉妹である(文字通り)。

キンさんギンさんとそう変わらぬ世代だから、このような名前もそれほど珍しくもなかったのだろうが、名付けた父親に「山師の娘じゃあるまいし!」と食ってかかったそうだ。気持ちはわかる。私だったらやはりちょっと嫌だ。

対して私の本名は、私の世代においても、言葉を選んで「古風ですね」と言われるシワシワネームである。子供の頃はクラスの可愛い名前の女子を羨み、名をつけた祖母を恨んだものだ。もしかしたら自分のキラキラネームへの嫌悪感の反動で、私にこんな古風な名前を与えたのかもしれない。私も「かおりちゃん」やら「ゆかりちゃん」やら「のぞみちゃん」などと言った、少女漫画の主人公かリカちゃん人形の友達になりそうな名前がよかった。そう父に訴えたところ「夜の女じゃあるまいし!」と一喝された。山師の次は夜の女かいな…。なお、そんな一喝を浴びせられた当時の私は小学校低学年である。

シワシワネームも愛おしいと思えるようになったのは、ビールやコーヒーの苦味がわかるようになってからずっと後だ。昭和の無形骨董品のような愛着と言えなくもない。

仕事柄、氏名を大量に扱う日々を送りながら、少なくとも私や兄が海月や心太などといった名前を付けられなかったことは祖母や親に感謝しなければならないとは思っている。いや、もうそれが普通の時代が来るなら、それはそれで。



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