【自己紹介】育休が目的でなく手段だと気づくのに2年かかった
教育業界で営業を8年していますが、今だに仕事を一緒にしている方々から「もっと人の気持ちを分かった方が良いよ」と言われます。映画・小説・ドラマでも「この登場人物は何故このような行動をするのか?」を妻に訊き、妻を呆れさせています。
そんな人の気持ちが分からない私ですが、第2子が8/3誕生し、育休を7/27-9/4まで取ります。何が決意めいたものがあるわけではないですが、ここまでに至る経緯を記録し、自己紹介に変えさせて頂きます。
・2017年9月長男が誕生して2週間後に初めての転勤(地方都市)になりました。転勤して2ヶ月後、妻子が実家(関東)からに合流しました。柄にもなく「ようこそ!」的な花をサプライズで用意していたのですが、妻はそんなことよりも不安でいっぱいの様子でした。子どもはずーっと泣いていました。鈍感な私でも転勤族が家族(子ども)を持つことの怖さをその時初めて感じました。
・転勤前より仕事をコンパクトにしていたつもり(それでも早くて20:30帰宅)でしたが、家に帰れば妻は疲弊しながら淡々と童謡を歌い、子どもはずーっと泣いているという日々が半年ほど続きました。
夫婦会議をしました。新入社員時代、妻(当時同じ職場)に仕事の基礎を叩き込まれていた私は「自分なんかより妻がこの会社で働いた方が遥かに会社にとってプラスになる」と考えていました。妻も今後は専業主婦ではなく、働くことを望んでいました。そして私も妻も家族で一緒に過ごす時間を大切にしようという考えでした。しかし、それらは当時の状況とはまるでかけ離れていました。
・自分の仕事の仕方を抜本的に見直しました。平均2時間は帰宅の時間が早くなりました。(会社もちょうど働き方改革を推進し始めており、色んな制度が構築されてきていました)
そして、ようやく子どもと向き合い始めました。子どもが自分を父親として認識して、私も恥ずかしげもなく童謡を歌い、声のトーンを高くして子どもに話しかけるようになっていました。
・転勤地での生活も慣れてきた頃に妻が2回入院しました。入院期間、実母義母のサポートもありながら、私は子どもを一時保育へ送り、仕事が終われば妻をお見舞いし、子どもを迎えに行き、ご飯を食べ、お風呂に入れて寝かす…という日々を2~3週間続けました。子どもと過ごす時間が増えるほど、子どもが成長している実感が増えました。
妻の2回目の入院が急遽決まり、私が入院準備および一時保育手続きのため仕事を早く切り上げ、家でコンビニのうどんを急いで食べていた時、子どもは「うどん、食べてる!」と初めて2単語で私に話しかけてくれました。
一時保育の送り迎えを続けると、次第に子どもが送り迎えで泣かなくなりました。一時保育期間が終了する頃には、迎えに行くと、子どもが前列でタンバリンを持って先生や友達と歌っていました。それまで子どもが友達と遊んでいるところを今まで1度も見たことがありませんでした。茫然とその姿を眺めている私を子どもが見つけると嬉しそうに駆け寄ってきました。
そんな日々を過ごしていると、自分の中で「こんな貴重な時間を仕事だけに捧げて、果たして良いのだろうか」という、入社時からは考えられないような考えが浮かんでくるようになりました。
・妻の体調が回復し、落ち着いた頃、自分の気持ちの変化を伝えました。そして「第2子の時は育休を取りたい」ということを伝えました。その後、都市部に転勤になり、コロナ禍で在宅勤務が当たり前になってきました。「家族と一緒に過ごす時間を大切にする」ということについて、少しづつ追い風が吹いてきました。そうして今に至ります。
「男の育休とるべきか?」みたいな話はネットでもリアルでも溢れています。最初の転勤直後は「この昭和的風土に風穴空けるために育休取るぜ!」みたいに息巻いていましたが、今となっては「家族でありたい状態のサポートとして育休がある」と考えが変わりました。
ごちゃごちゃ書きましたが、人の気持ちが分からない私でもこのように言語化すること、もしくは言語化されているものを読むことによって少しは分かるようになるというのがここまで仕事・育児してきての結論です。このnoteがそのような役割を果たす場になれば良いと考えています。
今後とも宜しくお願い致します。
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