ゴクシンカを読んで、勝手ながら誰かと思想が幽かに繋がっている事を思い、泣いてしまったメモ書き
これは要素のメモであり、一連の繋がった文章ではない。
いつか書き直せたらいいけど、まぁそれは出来たらいいねというもので、まずは頭の中にあるものをある程度文字制限を気にしないでよい場所で書き溜めておきたい。という気持ちがある。
ゴクシンカとは以下の作品です。現代を生きる中の、絶対に存在する、存在比が偶然に頼らずとも一定以上ある人達への人生讃歌、今生きているあなたを、あなたが丸ごと肯定していいんだと、棘も含んで包み抱くような、そんな漫画だ!と、俺は読んだ!そんで泣いてた。読むと良い。
これはピエール手塚先生の漫画作品である。
ピエール手塚先生を知ったキッカケ
ピエール手塚先生というと、今は兼業の漫画家でいらっしゃる凄い方なのですが、僕は運営されてる日記である漫画皇国で知った手合いでございます。
それは、プリティーシリーズの論考というか、こういう考えはどうだろうかと考えていらっしゃる分析?記事とかで、それが本当に自分にとって刺さる内容だった。
(今見たらまさしく作者ご本人がゴクシンカについて書いていらして、それを読んでからこの記事を書くと「なんか俺の中で決定的に機会を逸する」ので、今急いで書きます!)
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ぷりっとぱ~ふぇくと について書かれてたり、他にも俺の中では完全に名文の類がまろび出ていて泣いてしまいそうなのです。その、勝手ながら、勝手ながら、こうして文章にしていただけたものを「俺が」読めた幸運に感謝したいというような。
俺サイドの話
自分がここ5年で感動した、人生を変えられたものというと、断然KING OF PRISMであり、プリティーリズムシリーズであり、プリパラであり、プリチャン、プリマジであり、アイカツである。順にみていった。最高だった。
幼いころの自分が、言われたかった、そう思って欲しかったことが、そこにはメッセージとして明確に描かれていた。それが、嬉しかった。
悔しかったんじゃない。過去言われなかったことを恨んではいないし、俺は十分愛され、認められてきた子供であったと思っているが、何より俺が俺を、そこまで好きになれずに過ごしていた、他人の規範を勝手に想像して自分を規定していたことがずっとずっと長くあり、その息苦しさを、これらの作品群は解除してくれた。身勝手ながら、俺の呪い(俺によってかけられた俺の呪い)を解いてくれたのだ。
そのメッセージはたくさんあるが、
「あなたはあなたのやりたい、なりたいをしてもいい、なってもいい」
「他人がどうであろうとかまわない。あなたはあなたが決めていい」
「他人軸、他者軸に自分を合わせてあなたが犠牲になる必要はない。あくまであなたの決定権はあなたが持っていて、その選択においては"自分が、どうしたいか"である」
という自己肯定、自己決定に関するもので、
俺はというと、内面化していた世間やネットの「正しい在り様」みたいなものに、自分を縛られていて、とてもみっともなかった事や、或いは自分を苦しめるような事をしていたと。そうした考えから解き放って貰えた。
そして上記コンテンツにハマり、救われた気持ちの中、どうしても拭えない「過去自分は斯様にかっこ悪く、他者軸の、惨めな人間であった」という負い目がある。それはことあるごとに心の隅から顔をのぞかせた。恥ずかしい。辛い。
そんな中、劇場版アイカツ!10thStoryが上映される。
「これからどうなるのかはわからない。でも、ここまで来ることは出来た」
というのだ。
凄くないですか?凄い。
俺はここで眼鏡が終わるぐらい泣いてしまった。
これまで何があったかはよく知らん。でも、お前、今ここにいるよね?生きてるよね。こうして私の言葉を聴いてるよね。
「なら、大丈夫」
なんですよね。星宮いちごは南みれぃだった……?
「ここまでこれた過去があるから今こうしている。だからそれをまずは認めよう」
として、アイカツの、完全に卒業をテーマとした最高の終わらせ映画(※マジで『アイカツ!を終わらせる映画』で、鈍器で殴られ続けるような迫力がありました)の中で、観客である俺達を
「もうここまで来たんだから、卒業までその目を閉じるな」
とばかりに卒業に向き合わせてくる、すげぇ話だったんですよね……
円盤は編集が違うみたいで、それはどうなのと思うけど、劇場版はとにかく凄かったです。氷の森からのSHINING LINE*、あれはあかんわ(眼鏡は水浸しになりました)
ゴクシンカに戻ろう
で、そうした感覚があっての話なんだけども、ゴクシンカのクライマックスは「過去に体験したトラウマ的な人物を我が能力として、抗弁したり助言を受けたりしてやり合う問答バトル」になります。
何を言ってるかわからないと思うが、読めばなるほどと思うから仕方ない。
で、そんな中、問答相手が、過去の傷つけられた自分を、傷つけられ虐げられた自分を救うには、転覆するしかないんだ!と革命を煽る。
其処に対して、想像もしない返答をするんですよ。それが、本当に、優しく、傷ついて、でも歩いていくという決意を示していて、上記のような遍歴を経ている俺の鼻の奥を熱くつねってくる訳です。
誰かに言われて辛かったことを能力としているが、それは所詮「悪く言ってきた他人ではなく、その言を受け止めた自分の中に生まれた自分が生んだ他人の像」であり、自分。
つまり、過去に受けた傷、疵によって生まれた像、それらも皆、今の自分であるわけで、乗り越えたり、転覆したり、自分で自分の要素を否定するような事をしても、それはきっとまた別の誰かを踏み躙る事に転嫁するだけだ。
辛かった思い出、しんどい状況にある自分、それらも自分であり、今ここにある自分。ここにいられる自分を認めて、肯定してやって、それから他の事を考えないかと。
これはわざと本を読み返さずに述べているので、多分違ってたりズレてたりします。それは、俺がこのゴクシンカを読んで欲しいからです。
そして、これらの筆致の中で感じたのは、作者のピエール手塚先生の「優しさ」だったのです。俺は。
そうした優しさをもって、きっと、俺が感動したコンテンツなどのメッセージになんらか参照、肉にされているところを、このように俺にとって素晴らしい、優しい物語(※一応コメディというか、笑ったりするのが目的の一つの漫画のはず……だ!)にされている事が、驚きがあり、嬉しくて、
誰かにこうして伝えたい(伝わらなくても、少なくとも俺の気持ちは書き残しておきたい)
と思った次第なんですよ。
なので、引っかかるものがあれば、ゴクシンカ。読んでください!!!!!
よろしくお願いします!
僕はまだ読んでなかったですが、僕の感想は書いたので、ピエール手塚先生の作品解説(なのかなぁ?)もリンクしておきます。
では!
ピエール手塚先生、ゴクシンカ描いて頂いて本当にありがとうございます!
ファンです!!!!(ひとでなしのエチカも良かったですし、恋のニノウチも好きです。優しい!!)
ではでは!