見出し画像

南木佳士 山中静夫氏の尊厳死

南木佳士はそれほど多作では無いが、案外読んでいる。読む切っ掛けとなったのは登山であり、南木佳士は中年になって始めた登山についてエッセイを書く小説家で、「山と渓谷」などにたまに寄稿していて知ったのだ。

とは言え、南木佳士にとって登山はあくまで趣味であり、本業は違う。小説家でもあるが、南木佳士は医師だ。この「山中静夫氏の尊厳死」と言うタイトルの小説も、主人公である医師と、末期ガン患者である山中静夫を描いた、医者の小説だ。

医療現場の小説なんで、結局は職業小説であるのだが、これを読んで思ったのは、やはり医者という職業の特殊性である。

主人公の山中静夫氏は、山梨の酒屋に婿入りした男で、山梨の病院に入院するのを振り切り、故郷である信州の病院に入院してきた人物だ。ここで末期ガンの治療をしつつ、既に廃墟となった実家裏に自分の墓を建てると言う話である。前半は従って、末期ガンなのに意外と健康な山中静夫氏が描かれているが、後半は当然ながら死期が近づいてガンも進行し、死までの暫くは寝たきりとなる。

主治医である主人公の今井は、明らかに「かつての南木佳士」をモデルにしていると思うが、死にゆくガン患者を年間に何十人も見送っていることで、うつ病に罹患してしまう。うつ病は医師にこそ多いと言うのは、私も何冊かの本で読んでいるが、南木佳士も精神疾患でガン治療の現場からは退いて、休職後は確か一般病棟を担当していたと思う。

「医者の不養生」なんて言葉があるが、医師は確かに、頑健で無ければとても務まらない仕事だ。私の伯父と従兄弟が医者をやっているので、その過酷さはそれなりに分かっている。都心の飲み屋街近くの大学病院に勤めていた従弟は、毎晩毎晩、急性アルコール中毒で運び込まれる患者の処置に追われ、夜中の大学病院は野戦病院のようになるらしい。明け方まで仕事をして、ちょっと仮眠を取って、翌日も普通に働くと聞いて、とても自分にはそんな仕事を出来ない、と思ったものだった。一昨年、この従弟の父である伯父が72歳という若さで胃がんで亡くなったが、私は伯父は働き過ぎだったとも思う。

「仕事はやりきったし、息子達も立派に成長したので、もう思い残すことは無い」

と私の父に言っていた伯父の言葉は本心だと思うが、とにかく、過酷な仕事が伯父を短命にしたとは思う。あとはまあ、伯父の性格もあると思うが、全く手を抜かないと言うのもあったかとも想像している。

心身ともにギリギリの仕事になりがちな医師であるが、生死にも近い職業なので、何かを間違えると「賎業」にカテゴライズされてしまいそうな感じもある。しかし、医師はエリートと見なされることが普通で、なるのもかなり大変だ。国家試験を受ける前には医学部で教育を受けなければならず、その医学部に受かるのが物凄く大変なのである。

作中で、患者から貰った鮎の干物を焼いて食べる際、他の科の医師も集まってくると言うシーンがあるんだが、そこでのやり取りにおいて

「それにしてもさあ、医学部の入試ってのはおれたちの頃もそうだったけど、今も難しすぎると思わねえか。今年、うちのバカ息子が落ちたから言うわけじゃないけどさ。」

と言うのもある。これは確かにそうで、例えば南木佳士は秋田大学出身だが、秋田大学工学部の入試偏差値が50程度に対し、南木佳士の出た医学部医学科は65と言う有様である。

ただ、上記のセリフの後には、以下のものが続く。

「今、おれたちがやってる仕事の内容から考えて、そんなに頭がいい必要あるか。ないだろう。医者に必要なのはやさしい心器用な手先。これだけ」

頭がいい必要は無い訳じゃないだろうが、確かに全員が全員、今の医学部の入試を突破するほどの学力はいらない現実はあるのかも知れない。それより、医者として必要なのは「やさしい心」と「器用な手先」、特に「やさしい心」と言うのは、恐らく他の職業と比べても、確かに必要なんだろうと思う。

山中静夫氏の「尊厳死」とあるが、死期が近づいている患者に対し、主治医である今井は、死期を早める措置を行わない方針で治療に当たっている。看病に疲れた山中氏の妻が、もう楽にしてやってくれと言っても、山中氏がそれを望んでいないと理解し、その措置は行っていない。措置をするのは、ある意味「安楽死」であり、これまでも今井は似たような措置を行ってきたのだが、今回ばかりはやっていないのだ。

結局、山中静夫氏は亡くなるが、それはその時代の医療の中で、可能な限り自然な形で亡くなるような治療を経た上でのことだった。

この出来事で、今井は精神疾患に至り、仕事をしばらく休むことになった。リハビリ復帰の時、不在中に届けられた郵便の中に、山中氏の妻からのハガキが来ていた。

夫の「安楽死」を拒否した主治医に対し、疲れていた妻は主治医に対して頑なな態度を取っていたが、夫が亡くなって1ヶ月して、主治医の指示に従ったのが良かったと思えるようになった、と書かれていた。

さらに「少しの間でしたが、大変なお仕事とお見受けしました。どうぞ心身ともにご自愛下さい」で結ばれている。

施設に入っていた祖母の看病に、亡くなった私の伯父は力を注いでいた。実の母でない、自分の妻の母である義理の母の看病に、ここまで力を尽くせるか?と思いながら、伯父の看病ぶりを見ていた。祖母が亡くなって1年半ほどで、あのタフな伯父が亡くなるとは予想だにしなかったが、それだけ医者ってのは、大変な仕事だと、この本を読んで改めて思った。

サボろうと思えばサボれるところはあるんだろうが、心身ともに頑健で無い人には務まらない「特殊な」仕事だと思う。知力・体力・気力に加え、やさしい心が必要な仕事であり、南木佳士自身、自分に合ってる仕事なのかどうか、自問自答しているところもあるんじゃないだろうか。

今でもあるのかと思うが、私が受験生の時も、「偏差値が高いだけで医学部を目指すのは違う」と言う論調があった。当時は漠然と「まあそりゃそうだろうなあ」と思っていたが、今はハッキリ分かる。医者と言うのは、医者としてやっていくというしっかりした覚悟が無く、やれる仕事じゃ無いと思う。

その他にも、同じような感じで見られる仕事があるような気がする。例えば弁護士とかもそうだろうが、まあ弁護士(とか判事とか検事とか)は、まず明確に「なりたい」が先行してなるべき職業のような気がする。法学部進んだ学生が、ほぼ全員法律家になるわけでも無かろうし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?