007 NO TIME TO DIEと2021年の世界、あるいは妄想録。(ネタバレあり注意)
観てきました。007 NO TIME TO DIE。
ダニエル・クレイグのボンドがラストということで、やっぱりスカイフォールに得も言われぬ衝撃を受けた民としては観に行かねばと思いつつも、土日は泥酔して亡き者になったため今朝10時からのチケットで鑑賞しました。
真っ先に感じたのは、やっぱり俺はセリフ回しが粋な映画が好きだな、ということ。
タイトルの回収もちゃんとありましたし、青い眼のくだりや新007との「乗ってく?」の流れ、MI6での新007とのやり取りなど、同じセリフを2回使った応酬だとかくだりってのが大好きなんですよね。
それが今回はかなりマシマシで楽しく見られたなと。
ただ一方で感じたのは、あれ?007ってこんなにシナリオ雑だったっけ?ということ。
いやもちろん主人公が死なない前提の(今回はそこすら覆されたわけですが)、スパイアクション映画なんてシナリオが雑でなんぼなんですが、それにしたって雑さの起因する部分が「MI6の強大さ」とか「007のすごさ」とか「ひみつ道具」とか、そういう部分じゃなくてただただシナリオがちょい雑じゃない?という気はしました。
特に最後のミサイル発射を強行するところ、「シンゴジラ」以降の映画でやることじゃないでしょ!!!という気持ちに。まあ単なる一邦画だと言われればそれまでですが……
ただ、セリフのところと繋がりますが、そういった部分もひっくるめて「クレイグ以前の007」ってのが意識されてるのかなという気もします。
あとやっぱサフィン周りの掘り下げが薄かったかな……それを謎に登場する日本風アイテムが助長していたという部分は大いにあると思う。スペクターで終わっておけば綺麗だった、という人の気持ちはこの辺りにあるんだろうと思います。
俺もスペクターで殺しのライセンスを捨ててまで逮捕という形にしたブロフェルドをあっさり首絞めに行ったときはさすがに嘘だろ?って思いました。
ただ、「水戸黄門と同じで、古き良きスパイ映画やっときゃいいんだよ!」っていう人には今回は賛同しかねるかなと。
だってそういう人はスカイフォールで「あ、もう違うな」って気付けたはずですから、あれから3作も通して見てる時点でその理論は通じないと思っています。
まあ僕もシンエヴァ観に行くとき「どうせロクなオチじゃないんだろうけど今更行かないのもなんだし行くか……」みたいなノリだったのであんまし人のことは言えないクチなんですがね。
水戸黄門と007を並べる人は多いですが、ことクレイグボンドに関しては全然毛色が違うと考えています。
水戸黄門はあれ、「お決まりの流れ」をやりますよね。そのために何十年ももう江戸時代前期をやり続けてるし、ジジイはジジイのまんまなわけです。
ただ、007は違います。色々なトンデモアイテムが出てくるとは言え、初めから「脚本が書かれた年代そのもの」を描いているわけです。
そうなると、江戸時代を描く分には2021年には時代錯誤も甚だしい封建制度の権化、「印籠」で全員黙らせても良いわけですが、現代を描くとなるとこと様々な制約があるはずです。
じゃなきゃスターウォーズエピソード8はあんなことになってなかったはずなので。
俺も日本でのうのうとこんな文したためているので妄想の域に近いですが、アメリカでは日本とは比べものにならないほどポリコレ的な圧力が強いんでしょう。
とりあえず出せるだけバランスよく出せ、というのはどうかと思いますけども。(単純な人口比だけで考えるなら中国人とインド人だらけになりません?映画)
まあただでさえそういったいろんな制約がある中で、現代らしく「成長する=失敗する=変化するボンド」を描こうとしたことは素直に称賛したいと思います。ダニエル・クレイグ氏、本当にお疲れ様でした。
そしてタイトル。
「まだ死ぬ時ではない」なんですよね。でもダニエルボンドは死にました。これでラストと明言されています。
そしてこの映画のラスト、「JAMES BOND WILL RETURN」。
あんだけ派手に死んどいて……みたいな笑いがシアターで巻き起こったのは置いといて、
これは「古典的なスパイアクションの主人公としての007が戻ってくるぜ」ってことなんじゃないでしょうか。
ダニエルボンドは死にます。縛り多き現代を生き抜いた、人間らしいボンドとして。
そして、帰ってくるのは、「コブラ」のようなボンド……成長はしない代わりにいつだって余裕のジョークをかまし、紙一重で作戦を成功させる、そんなボンドが帰ってくる、そんな宣言だったように思えてなりません。
最後にあんなに大々的に言うんだもん。
だったらいいな、という俺の妄想です。