Real life
「ヘイ、明日出かけないか。」ダーニ君が私を誘ってきたのは土曜日の朝である。
「そんなに毎日、コンを詰めてはだめさ。その目。真っ赤じゃないか。昨日も寝てないんだろう。また倒れちゃうよ」ダーニ君はまるで年長者の如く、私に説教するのであった。
インドについてもう半月あまり。ろくすっぽどこにも出かけず、辞書と本とにらめっこしているばかりな日々を送っていた私に、バナーラスは聖なる街なのであるから、そのゆかりの場は是非とも行かねばだめだとダーニ君は力説し、私を説得しにかかった。
「あと1週間もしたら、ここを離れるんだろう。それまでに、行くべき場所には行っておかないといけないさ」
「あらあら。おまえ、そんなに信心深かったかねえ。いつもは沐浴もバカバカしいってやらないくせに」奥さんはダーニ君に茶々を入れる。
「余計なこと言うなよ。ミスターが行く気なくなっちゃうじゃないか」ミスターとは、私の事である。
「明日はちょうど日曜日だ。講義も休みだろ。リラックスしにでかけよう。僕が案内するから」
「そんなこと言って、いろいろおねだりするつもりでしょうが」奥さんの突込みは終わらない。
確かにそうだ、ヒンドゥー教の聖地に来て、そのゆかりの場を全く知らぬまま去るのはいわば本末転倒である。インド最初の地としてここバナーラスに来たのも、おそらくは見えざる手に導かれてのことであろう。ダーニ君の、せっかくの好意を無下にするのは罪になろう。私は承諾の旨を伝えた。
「よし決まった。バナーラスっていったら、やっぱりガンガーだね。沐浴か」
「沐浴、興味ないおまえがねえ」
「まだいるのかよ」
「ま、あんまりあっちこっち引き回してはダメよ」そう言うと、
「これ買ってきて」と紙きれを、ダーニ君につきだす。
「なんだよ。また使いっぱかい。昨日も行ったじゃないか」
「しょうがないでしょう。なくなったんだから。ほれ。早く!」
ダーニ君は、ぶすっとしながら、私に行きたいところがあるなら、あとで聞くと言い、出かけていった。
さて、バナーラスの名勝か。ところが正面切って考えてみると、どこがいいのかわからない。行きたいところがそもそもないのだから、決めようがない。インドに来た目的は単に日本を脱出することだけであったから、それが果たされれば、あとはどうでもよかったのである。仕方ない。どこにするかは目下の課題を終わらせてからにしようと、中断していた作業を再開させた。
「いく所は決まったかい」ダーニ君は返ってきてさっそく、聞いてきた。
「何だよ、まだ何も決めてないようだな」呆れたようにダーニ君は口を尖らせた。
「ソーリー。まだ終わらないんだよ」
ダーニ君はおやおやと、部屋を出ていった。ややあって、彼は再びやってきた。
「グランパの月曜日の講義は休みだ。課題は月曜日にやればいい」
私はびっくりして「先生はいいと言ったのかい?」と聞き返した。
「当然さ。僕が交渉したのさ。このままじゃ、ミスターはバナーラスのどこにも行けないからって。グランパも確かになって言ってたよ。それに、調子悪いから講義を休むことにしたって」
私は再びびっくりした。「お体悪いのかい」
「心配ないさ。年のくせに、張り切り過ぎたんだよ。ミスターが気合入れ過ぎたからさ」
「・・まるで、俺が悪者みたいじゃないか」
「まあ、ともかくも解決さ。さあ。明日行くところを決めてくれよ」
「うーむ」課題を先送りできたことはよいとして、行く所か。これも難題だ。
「ところで、君はブッティストか?」ダーニ君は真面目な顔になって聞く。
「・・・・」確かに、我が家の宗派は仏教の1つだが、さて、上手く説明できるだろうか。
「なんか、よくわかんないな」やっぱりそうか。
「日本にも、たくさん宗派があるからね。ま、ブッティストは間違いではないよ」
ダーニ君はふむふむと思案していた様子であったが、
「バナーラスの市内だけに、こだわらなくてもいいよね」と切り出した。
「ブッダゆかりの所があるんだ。サールナート。聞いたことあるかい?」
「サールナート・・・・。書いてあったかな」『地球の歩き方』を開くと、果たしてあった。バラーナスと比べると、はるかに簡単な扱いではあったが。
サールナートは、ゴータマ・ブッダが悟りを得た後、初めて説法を行なったとされている地である。
「ブッディストなら、一度は行ってみる価値、十分あるよ。どうだい」
なるほど。サールナートは行こうと意識に上らなかった場所だ。ブルーガイドですら小さな扱いの、メジャーなインド観光スポットから外れた(?)と思しき場所だが、そういう非主流(?)な所は、私の好むところだ。「行こう」と返事をした。
「じゃあ、朝からサールナート。それが済んだら、ガートに行こう。やっぱりガンガーに行かなきゃね。一番大きなガート、ダシャ―シュワメードにしよう。あれが一番行きやすいだろう。帰りに寄るのにもちょうどいいし」私にも異論はないから、これも承知した。
その日の下読みはダーニ君により禁止されることになった。早く寝て、疲れを取らないと明日の行動に障りが出るからというのが理由であった。
(やれやれ。どこまでも下級生扱いかよ)しかし、ガイド役を彼に任せている以上、従わないわけにいかなかった。そんなに簡単に寝れるかよと思いつつ、あっという間に寝こけてしまったのは、翌日起きた時に笑えた。
翌日、朝一番に2人して家を出た。ダーニ君は家の前で
「ここで待っていよう」と言う。オートリキシャの事である。リキシャの類いはしょっちゅう家の前を通っているから、簡単につかまるのだそうだ。実際、朝からよく走っている。リキシャの連中は我々を見ると、皆声をかける。乗ってけ、とか乗るか、と言っているらしい。そのたびにダーニ君は「ナ!」と拒否する。堂にいったものだ。サールナートまでは人力のリキシャではさすがにきついから、オートリキシャだと、ダーニ君は蘊蓄を宣う。
彼の言う通り、すぐにオートリキシャが1台やってきた。ダーニ君は手を挙げる。エンジンをブースカいわせながら車が勢いよく止まった。乗る前に、ダーニ君は運転手と早口でしゃべっている。料金の事だろう。すぐに話がまとまった。
「バナーラスの駅まで出て、そこからオートリキシャっていう手もあるけど、それだと観光客はよくぼられるんだよ。ここから乗れば、ああ地元の人間だから騙せないなって運転手も思うから、より安全だよ」さすが、地元の人間はよくわかっていらっしゃる。
それにしても、デリーでも感じたのだが、オートリキシャの運転は恐ろしく荒っぽい。インドの道路は殆んどがガタピシしている。その上を猛然と突っ走る。クルマ自体コンパクトであって、何だか弱っちい作りに見える。ひっくり返りやしないかとひやひやする。地面からの振動も、ガンガンとケツに響いて痔になりそうだ。優雅な、いかにもな観光旅行の風情とはまるっきりかけ離れている。驚いたのは、途中の道端で見ず知らずな一人の男が手を挙げ、オートリキシャが止まったことだ。「おお、わりいな」とその男が言ったかどうかわからんが、なにやら運転手と一言二言言い合って、悪びれもせずに乗り込んできやがった。再び走り出す。
「Not worry.日常茶飯事だよ」真ん中に座ることになったダーニ君はあきらめ顔である。割り込んできた男は、真っ赤になった歯をむき出して笑いながら、あれこれ話しかける。やっぱり早口で何を話しているんだかわかりゃしない。下品な奴だ。その歯を引っ込めるがいい。お歯黒とはよく聞くが、お歯赤なんて日本では聞いたことがない。これはパーンと呼ばれる噛みタバコのせいで真っ赤になるのだそうだ。よく街頭で男どもがツバを道端に吐くのを見かけたが、それがことごとく真っ赤であって、最初は「こいつら労咳(ろうがい)か」とうろたえたものである。男は5~6分ほど乗っていたが、いきなり運転手にここでいいと言い、降りてしまった。ダーニ君は「おいこら、カネ!」と叫ぶ。男はにやにやしながら手を振る。野郎、ちょろまかすつもりだ。ただでさえインド到着早々ぼったくられ、今も気色の悪い真っ赤な歯に下卑た態度を見せられてこっちも頭に来ていたところだ。クルマを降りて男に詰め寄った。
「品性ねえ野郎だ。カネは払わねえ。けど歩かずに楽したい。そんな論法はあるか。さあ払え」たぶん、私はこう言ったつもりだったが、果たして通じたのだろうか。
「旦那、運賃いくらか知りませんよ」たぶん、奴はこんなことを言ったのであろう。
「なあ、ダーニ君。サールナートまでいくらかい」まだ目的地まで半分くらいだという。
「なら、○○だな。こちとらハイソサエティじゃねえんだ」
お歯赤はへらへらしてばかりで、肩をすくめるばかりである。完全に舐めていやがる。こっちの導火線にいよいよ火がついたところ、今度はダーニ君も飛び降りてマシンガントークで加勢してくれた。このマシンガン、正に母親譲り祖父ゆずりと言うべきであろう。すると、お歯赤野郎は忌々し気にそのカネをダーニ君に渡すと、ぶつくさ言いながら去っていった。いい気味だ。しかし私の語学力ではてんで相手にならなかったのは情けなかった。一方、我らが活劇をかましている時にオートリキシャの運ちゃんは、のんびり構えている。活劇が終わると、「アッチャー、ノー・プロブレム」などと、お気楽にほざく。いちいち癪に障る。余計なことを言わずにサクサク運転すればいいと言ってやりたかったが、適切な英語もヒンディー語も出てこなかったから黙っておいた。
到着したサールナートは、バナーラスの、いかにも喧噪な街とは打って変わって、青々とした芝生と並木が連なる静溢な土地である。ところどころに、かつて僧侶が修行に励んだであろう寺院の跡が点在している。強者どもが、ではないが、ここにもたくさんの人でひしめき合っていたのかと、なにやら物寂しくなる。これら遺跡の中でも一際存在感を放つのが、ダメーク・ストゥーパだろう。サールナートには他にもストゥーパがあって、元々は紀元前3世紀にブッダ最初の説法の地であることを記念して建てられ、現在残るダメーク・ストゥーパは6世紀に増築されたものである。実際にブッダが説法した場所にダメーク・ストゥーパが建てられたのだ、いや、実際に説法したのは、そのやや北西にあるダラマラージカー・ストゥーパだという説もある。
「ストゥーパって、お釈迦さんの骨を入れるためにあるんじゃなかったかい?だとしたら、あのでっかいストゥーパの中に骨があるのかね?」私が間の抜けたことを聞くと、ダーニ君は「まさか、骨はないだろう。もしあったなら、とっくの昔に掘り出されて、どっかの博物館に展示されてるだろうし、骨のⅮNAの検査だってされているだろう」と笑っていた。しかし、近代になって実際にブッタとされる骨の調査が行われたことがある。そして、その骨はブッタに間違いないとされ、日本の寺にも分骨されていると聞く。数寄者の中にはこの、ダメーク・ストゥーパの中を捜索したヤツがいたっておかしくはなかろう。
しかし、でかいストゥーパだ。高さだけでも43・6mと案内文にはあった。アショーカ王は、かくもブッダの偉大さを讃えるべく、これだけの威容を誇示する建造物をおったてたのであろうが、ブッダ当人は、それを望んだのであろうか。ブッダは自分の事は覚った者であると明言はしていたが、けっして人の上に立ったり支配したりはしようとしなかった。自分の行いをおごり高ぶったりすることはなかった。そんなブッダであったから、自分の死後、こんなストゥーパが建ったのを知ったら、さだめしうんざりしたのではなかったか。
ストゥーパを建てたのはアショーカ王であったというけれど、実際にこれを建てたのはアショーカ王ではなく、この地に住む、おそらくは王政の元で虐げられた名もなき民だったはずだ。彼らの多くは建設工事なんぞに駆り出されたくはなかったであろう。つまり、この建造物は、アショーカ王(と、一部のオエライ仏教徒)の自己満足が具現化したものなのだ。
私たちがストゥーパを見上げていると、ちょこまかと数人の子供たちがよってきた。口々に「これ買ってくれ」と手を付きだす。そこには切手やら土産物屋らが握られている。どの子も薄汚いなりをし、顔もすすけている。「ジャオー」ダーニ君は彼らを追っ払うが、それでも彼らはへこたれず、「買っとくれ」と言ってくる。そこへ、1人の女の子が押し分けて前にしゃしゃり出てきた。背中には赤子をしょっている。これまた垢じみたぼろをまとっている。おまけに裸足だ。何だと思ってその子を見やるとぬっと汚れた手を付きだしこう言った。「ギミ、パイサ」
女の子の瞳はどこまでも黒い。真っ黒だ。ダーニ君の瞳も黒いが、彼には光があった。けれど彼女の瞳は、ひたすら黒いままに見える。私の全身から汗が噴き出した。もちろん暑いインドの陽気だからということもあったのだろうが、あの汗はひどく私の体をべったりと這いつくばるものだった。
「あげちゃだめだよ。歯止めがきかなくなるからね」ダーニ君はそう言うと、オラオラあっち行けと子供らを押しのけ、私を向こうの方に引っ張っていこうとする。私は子供を見、ダメーク・ストゥーパを見やった。彼女らはそれでもついてくる。口々に「買っとくれ」「ギミパイサ」と言ってくる。私は汗びっしょりになり、心はかき乱された。ようやく子どもらから離れ、ダーニ君は「やれやれ。イジキタナイ。しつこいったらないよ」と非難と蔑みの視線を彼らのいるほうに向けた。私はダーニ君の態度を、肯定も否定もできなかった
ストゥーパの理念なんか、子供らにはどうだっていいのだ。彼らは生活の資が手に入ればいいのであり、そうしなければ明日のわが身がどうなるかもわからない。そして、それをただ見やるしか私にはできないのだ。同じインドにいて、彼らと同じ世界にはいられないのだ。いようとしたら、それこそわが身の破滅となろう。子供たちのいる世界。ストゥーパの世界。ダーニ君のいる世界。そのいずれもが、私の属するのとは異なる世界。どうすることもできやしないのだ。それでも、私は歯ぎしりを止めることができなかった。
(これが、現実か)
ブッダがこれを見たら、何と言うのだろうか。