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シドが歌うぜ

   ずいぶん久しぶりにこのレコードを聴く。「マイ・ウェイ」以外の10曲はライヴで、いかにもカセット録音(今の10代にわかる表現なのか)な感じの音。収録時間は30分にも満たない。演奏中~合間の入ってくる一人の観客の声が実にうっとおしい。喚き、野次るその男の声。下衆な野郎だ。シドも四文字言葉を連発して応対している。演奏は割と手堅いのが救いと言えようか。どうみても手抜きしてつくられたとしか思えないこのアルバムが、堂々とメジャーのレーベルから出され、いっとき日本でも出ていたのだから時代は変わったとみるべきか。はたまたピストルズのネーム・ヴァリューゆえか。
    しかし、私はこのアルバムで「ボーン・トゥ・ルーズ」を、「チャイニーズ・ロック」を、「アイ・ウォナ・ビー・ユア・ドッグ」を知ったのである。パンクと言えばピストルズの『勝手にしやがれ』とザ・スターリンの『虫』しか知らなかった16歳の時である。ロックの名曲としてパンクの連中も知っていて当たり前な曲、例えばストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」も、ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」も知らなかったのだ。いや厳密にいえば曲名と記憶にあるメロディーが一致しなかったのだ。FENを聴いていたから「これが・・・・」と言われれば「あー、これね」となったのだけれど。そういう、ロックやパンクの関する情報の悲しいほどに乏しい環境に住まっていた私にとって「シド・シングス」は確かに、ほんの一時ではあるがロック名曲ガイド副読本的な役割を果たしてくれたのである。
    シド・ヴィシャスは、今のロック史でどんな評価をされているのだろうか。グリル・マーカスという人の書いた本の中で、『勝手にしやがれ』はジョン・ライドンのヴォーカルとシドのベースで成りたっている、という内容の記述があったのを憶えている。あの本のタイトルを、今はまるで忘れてしまっている。後になって『勝手にしやがれ』ではシドはろくにベースを弾いていないということが関係者から明らかになってマーカスの評論はてんで説得力がなくなってしまったが、私がロックやパンクを聴きだした80年代前半、シドのミュージシャンとしての力量についてはそれほど云々されていなかったのではないか。90年代に入って、シドやパンクに関する情報が増えるにしたがって、シドの音楽面での評価は厳しくなっていったと思える。
「音楽的資質はゼロ」
 こんな内容の事を、かつての盟友ジョン・ライドンが直々に言ったのを『クラシック・アルバムズ』のDVDで観たとき、シドも形無しだなあと苦笑してしまったものだが、今こうして『シド・シングス』を聴いていると、彼のヴォーカルには華がある。華。つまり人を引き付ける資質―スターとしての資質―があったのだ。テクニックとかそういう表面的な技巧では表現し得ない部分である。文字通りsomething elseな部分である。だからこそマルコム・マクラレンに目をつけられてピストルズに加入となったのであろうし、ピストルズ加入の前にはダムドに加入するという話もあったのだ。
 もしシドがピストルズではなくダムドに加入していたらどうなっていたであろうか。あの(!)ナンシー・スパンゲンに出会わずに済んだ可能性はある。そうなればあんな死に方をせずもっと長生きしたのではと要らぬ妄想を膨らませてしまう。しかしダムドのメンバーとしても長持ちしなかっただろうし、「マイ・ウェイ」のカバーも生まれなかっただろうし・・・・。空しくなるばかりである。ただ、『シド・シングス』を聴いていると、もうちょっと自分の華に自覚的であってくれたらと思ってもしまうのである。いや、生き長らえたら、今のジョン・ライドンみたくメタボになっているのであろうか。頭禿げちまっていたらあのツンツン・ヘアーはできねえよなあ、と下らぬことに思考は広がるのである。
 ちなみに、「マイ・ウェイ」はこの『シド・シングス』のヴァージョンは、ストリングスもなく、ギターも重ねておらず、シドのヴォーカルがより生々しく前面に出て、私はこちらの方が好きである。