無くなった上履きを探した子の末路
10歳の時、私の上履きが無くなった。
クラスの女子がそっと私の上履きを盗んだのだ。
それから耳元で「死ね」などと囁かれるようになった。
毎日毎日地獄のようで息苦しくて死んでしまいたいと何回も思った。
でもそれではいじめていた子達を見返すことができない。
そう思って、とにかくまずは自分を変えようと11歳の私は決意した。
八方美人でもいいから、自分と話している人が私と話していることで幸せになれるように心がけた。
具体的には、
・質問を程よくする
・相槌もたくさん打つ
・必要な時は自己開示をする
・視線や足を相手の方向に向ける
・挨拶や感謝などの礼儀は欠かさない
これを徹底するだけで、相手に好印象を抱かせることができた。
大抵の人とは仲良くなれて、クラスの中心に成り上がることもできた。
こうして、私はそれなりに充実した中高時代を送ることができた。
しかし今、本当に友達と呼べる人はいない。
八方美人はとにかく誰にでも人当たりよく優しくする。
つまり、あるひとの嫌いな人とも当然仲良くすることになる。
だからその「あるひと」からの反感を買うことになる。
その反感に怯えるように、私は八方美人に拍車をかけてしまった。
そのうち、自己の内面を知られてはいけない。悟られないようにしなくてはいけない。と、思う込み、自分の本心を開示するのではなく最善の思考を開示するようになった。
この負の無限ループの繰り返しがずっと続いた。
私は疲弊しきってしまった。
常に周りの目を気にしてしまうため、ほんの小さな裏切りすら私は見逃さない。それゆえ、どんどん人が怖くなってしまった。
そんな人とは付き合わない方がいい、一緒にいない方がいいと思う。
でもこの小さな小さな狭い世界でそんなことをしたら本当に私は孤独になってしまう。
だから私はこの窮屈な人との接し方を変えることができないし、変えるつもりもない。
今日も私は笑顔で誰とでも分け隔てなく接している。
だけど、漠然とした孤独感や寂寞感は消えることがない
それが、上履きを盗られたある女の子の末路だ。