Good girl
アメリカ人のおばあさんの横に座ってバス(バン)で移動中の事です。
休憩のためバスが止まりました。ちいさな民家の前で果物などを売っています。トイレはその民家で借りられるようで、私は奥に入って行きました。日本の農家のような作りでした。土間を抜けると板のドアがあるトイレを示されましたが、電灯はありませんでした。ヘッドライトでなんとか済ませて、手を洗います。(バックパッカーなら大体懐中電灯の小さいのかヘッドライトを持っています。)
建物から出ると、隣の席だったおばあさんや数人の人が売られている果物を見ていました。見た事がない果物だったので、「食べてみるしかないよね」という話になり、4人くらいで分けて食べました。とてつもなくジューシーな柑橘類でした。
私はべたべたになった手をウエットティッシュで拭くより、さっきのトイレ前の手洗い場で洗おうと思いつき、洗いに行って来ました。
洗って来たところにおばあさんがいたので、「あっちで洗えるよ」という意味も含めて何か言おうと思った私は、頭の中を探して、ひとことずつ確認してから、「washed my hands」と言いました。
それを聞いたおばあさんは私に、「Good girl」とにっこり。
Good girlは小さい子供が言われるんだと思っていたので、びっくりしました。その自分のびっくりを検証してみて、自分が言ったのがとても幼い言葉だったのだと気付きました。
アメリカ人のおばあさんから見たら、童顔で小さい私は小さい子だったという事実もあると思いますが、言葉に乗せられたニュアンスはどうもそれだけじゃない、と感じました。
英語で、言葉に乗せられたニュアンスを体感した初めての瞬間でした。英語が単なる単語の羅列ではなく、年齢や関係を乗せた生きた言語なのだと、揺れたカーテンの向こうに英語の世界が広がっているのを垣間見ました。