11 イルージョン 「錯覚」
今生きてる世界が錯覚で、「真実」はまだ到着していない場所だとしたら。
生きると言う事が、「真実」への探求だとしたら。
今見えている全ては「真実」は全て錯覚だとしたら。
そんな事が可能なのか?
今、見ている世界こそ「真実」ではないのか?
「真実」を探求する為に、私たちが今錯覚を見ている。
「真実」への旅が生きると言うこと?
必要だから、見ているとしたら。
あまりにも切ない、悲しい今はなんの為だろう?
あまりにも痛いたい、この今はなんの為だろう?
このマグマのように溢れる怒りはなんの為だろう。
この言葉に表せない不安はなぜなのだろう?
この無意味感はどうしてなのだろう?
でも、これは全て錯覚。イルージョン。
ただ、体験しているだけ。
真実は他にある。
そんなわけがない。
だって、今ハートは刺されたように痛い。
私の切断された左腕は痛い。
大切な人を失ったこの悲しみが真実でないわけがない。
それでも、それは全て錯覚。
錯覚での体験。
私たちは真実を探す為にその体験、その錯覚を見ている。
意味があって。
意図があって。
裏庭のバラが一輪綺麗に咲いた。
あまりの美しさに私はその香りを嗅いだ。
その酔うような甘い香りは私を幸せにした。
それも錯覚。
幸せという体験。
私たちはひとつ。
ワンネス
それが真実だとしたら。
それが、私たちが望んだ、全ての人々が満たされている、愛溢れる、美しい桃源郷ならば。
宗教を超え、人種を超え。
もしかすると、その肌の色も、ただの錯覚。
イルージョン。
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