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非現実が現実になるとき

 中学生のとある夏の日、両親に「大切な話がある」と言われ、約1年後に家族でハワイに移り住んだ。子供の頃から外国に住みたいと思っていたので、素直に喜んだ。

 1年後、父が車で学校へ連れていってくれた。ワイキキから少し離れた、雄大な自然に囲まれた広い学校。生徒は皆、車で通学している。Tシャツとジーンズとサンダル。大きくて分厚い教科書を抱えて歩いている。今までいた日本の学校とあまりに違い、非現実にいる感覚だった。

 教頭先生の部屋へ行き、挨拶をした。ゆっくりとわかりやすい英語で言われたことは「トイレに行きたいときは我慢しないで先生に言いなさい」だった。どうやら過去にそれを訊ねる英語が分からず大変だった生徒がいたらしい。
1時間目に連れて行かれたのは数学の教室だった。大きな関数電卓と教科書を渡された。幸い、日本で勉強したことがある二次方程式だったので問題は解けたが、周りは電卓を駆使している。(結局卒業するまで電卓で二次方程式を解く方法はわからなかった。)
先生から何か質問をされたが、何を聞かれているか理解できなかった。私が日本で勉強してきた英語は、挨拶と簡単な日常会話と趣味の話と教科書に載っていた不思議の国のアリスの翻訳だけだ。数学の質問をされてもわからない。
その後の化学もアメリカ史もわからなかった。しかし「これは日本語で化学やアメリカ史を理解していればカバーできるかもしれない」と気づいたのはこの時だった。言語と知識の結びつきに気づいたのはこの時だった。
 
その後、何とか知識で言語をカバーしているうちに、英語能力も少しずつ伸び、わからない事を手伝ってくれる友人もでき、高校卒業まで漕ぎつけた。定期的に「日本に帰りたい」と強く想うことはあったが、気持ちの良い環境の中で毎日楽しく学校に通い、いつのまにか非現実が現実になっていた。日本では経験できないことも色々と経験できた。

 今はもう日本に帰って何年も経ち、あの日々を頻繁に思い出すわけではない。が、確実にあれが私の現実だった。そしてあの日々が私の糧になって、今の私がいるのだと思う。人は、非現実が現実になった時、何かを得るのだと思う。


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