ああ、今日も泣きそうだ #04:一瞬のステージのために
ステージは一瞬だ。
ただ、その一瞬のための努力は計り知れない。
その時間こそ、物事の本質である。
本質とは過程であり結果であり、そして方向性があると思う。
どれが欠けてもいけない。今、ダンスをしている人にとってステージを目指すということは、
自分の座標を確認できる地図のようなものなんだろう。
コロナで練習ができない、学校で参加が、出場が許可されない、
色々なことが重なり、あらゆることが行く手を阻むように見える。
だからこそ、絶対にしたいこと、やるべきことが見えてくる。
それはもう絶対なのだ。
カレッジフラの時は、まさに緊急事態宣言下での開催だったから、色々なことが制限されてきたと思う。
出来事が記憶に残り、篩(ふるい)にかけられて思い出となるのなら、
思い出に昇華する時間は、限りなく大事な一瞬一瞬が重なった高度な時間に違いない。
この篩にかけられ凝縮された時間は、人生でも出会う機会の少ない貴重な時間だ。
その時間はステージで、何か違うものへと転化され、
出演者だけでなく、観客やスタッフも巻き込んで自分だけでは作れないうねりになる。
人生は長いようで短い(らしい)。もしかしたら、
「来週は娘のステージだから緊急事態宣言が明けても飲んでる場合じゃないな」
君のためにお父さんはお酒を飲むのを我慢したかもしれない。
そんなお父さんに感謝だ。
今週はハイスクールフラだ。お父さんもきっとうれしい。
ああ、今日も泣きそうだ
アロハラボラトリー代表の篠原が毎週メールマガジンに寄稿しているエッセイ「ああ、今日も泣きそうだ」のアーカイブです。
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