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ああ、今日も泣きそうだ #08:心の「ツン」

今年もそろそろ終わる。

今年は結果はどうあれ、カレフラの10周年とハイスクールフラの1回目をやり終えた。同じことを10年くらいやっていると、それが必要なものかどうかわかるようになる。その経験を活かしたハイスクールフラの初回も一緒に経験できた。それだけ続けたり、新しいものを始められるのは、自分の力だけではなく周りの皆さんのご理解に他ならない。

 

他の人のおかげとか、それはそれで恐れ多くて言いづらいが、10年前、頭の中に湧いてきて、実際の形になったものに責任を持ちたいという通過点は通れた。多分、10年前の仕事は、今の仕事の内容や質を比べても違う。経験を積んで、同じことは昔に比べて早く進めることが出来るようになっただろう(多分)。

変化があればそれに対処して様々な引き出しも出来ただろう。時代の流れに合わせて、変わっていくニーズにも対応もしただろう。そうしなければ何にも残らないに決まってる。

 

問題があると焦る。問題がなくても時間が過ぎるだけで焦る。心臓が削れる思いがして、胸がツンとするのだ。すこしの焦りや心臓が一瞬閉まるような苦しさが必要だと感じる。

カレンダーに予定を書き込む。大きな予定であればあるほど、一日過ぎるごとに心が削れる。大事にしている予定は怖い。近づくたびに削れる。

 

自分が必要とされる場所は、そういう心のツンと来るところと隣り合わせだ。ずっと自分が必要だと嬉しいが、その先が思いやられる。自分がいなくなったら続かないのではないか。続いてほしいので、自分がいつ消えても影響が出ないように準備をする。つまり自分が必要で無くなるように自分で準備をするのだ。

自分のやりたいことだけやってる人生には興味がない。遠回りすることが楽しめる、それが生きてる時間。自分で予定を書き込んでも、心が削られるツンと来る感覚からは逃げられない。

ただ、自分で書くことが大事。それが人生。

自分で書き込んだので、私が必要なくなるまで予定をこなします。今年ももうすぐ終わる。今年は削れていく感覚がある。

 

ああ、今日も泣きそうだ

アロハラボラトリー代表の篠原が毎週メールマガジンに寄稿しているエッセイ「ああ、今日も泣きそうだ」のアーカイブです。


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