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ああ、今日も泣きそうだ #19:親父と震災

3月11日、今日は僕の親父の誕生日だ。
親父は15年前に亡くなったので、僕的には少し思い出すだけで、ほぼ東日本大震災の日だ。
たくさんの命が自然災害によって失われ、その傷跡は今もなお、様々な人に影響を与え続けている。震災後の都市開発や、原発の事故の影響で以前の家に戻れない地域もあり、現在も3万8,000人が避難状態だそうだ。

僕も阪神大震災を29歳の時に経験している。たまたま転勤で関西に戻り、実家に仮住まいをしていたが、その一か月後、西宮で全壊の被災者になった。もう26年前のことだ。うちの親父は西宮市役所の安全対策課というところに勤務していたので、2週間ほど家に帰ってこなかった。今ではずっと帰ってこないが、誕生日が全国で特別な日になったので、お陰様で西宮での震災の頃や親父の事をこの日は思い出す。

自然災害は大きな影響を人生に与える。亡くなって会えなくなった人も、色々な事情でその土地を離れざるをえなかった人もいるだろう。人と人とが離れ、物理的にその土地を離れる瞬間が、緩やかではなく急激に幾度も重ねられる。本当は老後をそこで過ごし、しみじみとした時間の中で老いていくのを楽しみにしていた人もいるだろうし、自然の中で同じ環境を共有して育ったであろう人もいたはずだ。想像に難くないので自分の経験と重なって、とても胸が痛くなる。自然の中では誰も逆らえないのだ。

人災はどうだ?地震や津波ではなく、兵器で今までの積み上げたものが壊されていく。固い痛い武器で命だけではなく、その記憶も壊されていく。そんなことがあっていいのか。

フラダンサーはとても弱い存在ではあるが、私の中では平和のメタファーです。色々な人が、心の中に内在している良心と思ってもらっていい。日本人が天皇の中に大事に隠し持ち続けているマインドは、武器や弾薬ではびくともしない。それに似たものがあると思います。もし何らかの想像しがたい状況が生まれ、銃を突きつけ合う状況に陥っても、僕は絶対に弱い人の側に立ちたいと思う。なんだか小学生の作文みたいな感じになったが、今日はそういうことを考える日だと思います。少し親父のことを思い出して。

ああ、今日も泣きそうだ。

そうそう、本日で10ケ月、学生インターンとしてお手伝いをしてくれていたスタッフが就職活動のため復学します。
1年も一緒に働いていないけど、小さいオフィスから、すぐ近くの多少大きなオフィスに引っ越すという小さな大冒険を共にした仲間です。僕にとってはこの事務所の引っ越しは重要なイベントで、コロナの後の次を見据えた大勝負(おおしょうぶ)でした。初めて宇宙に行くのと似たような緊張感。行ったことはないけど多分、そんな感じです。彼女の存在は、打ち上げを共に経験し次のステージを共に歩んだ宇宙船のクルーに例えてもいいと思う。
そんな彼女が休学していた大学にもどるという。残った僕たちは、次の目的地を目指す彼女をここで降ろして、次の星に向かう。宇宙は永遠だ。僕たちの次のメーテルを探す旅が始まる。
別れは人災ではなく、そうあるべきだ。

ここで何か言わなければ、もう会えないかもしれない。
出会ったときからそんなことを思わせる緊張感のある人になってほしい。

残念ながら、私にはない。
ああ、今日も泣きそうだ。

代表者プロフィール
アロハラボラトリー代表の篠原が毎週メールマガジンに寄稿しているエッセイ「ああ、今日も泣きそうだ」のアーカイブです。


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