はじめてのインナーパンツ
Shizugonさん、という大好きなクリエイターさんの本日のこのお話で、私の中学生のころの思い出が蘇りました。
Shizugonさん勝手にご紹介してしまってごめんなさい。
祝日、もしお暇でしたら下手くそで下品な文章ですが笑って読んでくださるとうれしいです。
中学生のころ。
私はバレーボール部に在籍していた。
バレー部の大会はたいてい5月から11月末には終わる。
冬場はとにかくトレーニングばかり。学校の外周や学校外にも出て走り込みと筋トレばかりの日々を過ごしていた。
そんなある日。
担任の先生にバレー部数名が呼び出された。先生は陸上部の顧問である。
うちの学校の陸上部はお世辞にも強いとは言えず、意気揚々と入部する新入部員もそれが嫌ですぐに辞めてしまい、解散寸前の部活動になっていた。
『来月市民総体のマラソンがある、それに出てほしい。』
と言われた。
マラソンなんて走ったこともないし、ユニフォームはおろか、靴さえ普通のトレーニング用しか持っていない。
『先生、どんな格好で出たらいいん。体操服とかいややわ。』
『なんでバレー部が陸上部の試合に出るん。そんなんルール違反違うん。』
次々と漏れる質問という名の不平。
『それはこちらで用意する、靴だけ自分のを履いてくれ。とにかく棄権が認められなかったから誰かが走らなくてはならない、助けてくれ。』
そこに現れる我が顧問。大人のお話は出来上がっていたようで、
『いい経験になるから出場しなさい。』
とニコニコしながらその輪に入ってきた。
もう私達が不平を言える状況ではなくなった。
出ろ、ということだ。
その日から私達4名は一切ボールを触らせてもらえず、ただただ走る日が続いた。たくさん走る、それだけだ。
フォームの指導もなんにもない。速く走る、それだけ。
そして大会の前日。私達にユニフォームとインナーパンツが手渡された。
ユニフォームは紺色で、学校名は白い縁取りの赤い文字、結構かっこいい。
インナーパンツなんてそれまで履いたことがなかったから、結構本格的に用意してくれたんだな、と思う。
翌日。天気は曇り。
Volleyballと書かれたウインドブレーカー上下で陸上の大会に向かう私達。
もちろん下には揃いのユニフォーム、そして初めて履いたインナーパンツ。
もうとにか早く終わってくれ、寒いし早く帰りたい。
位置について、よーい、パーン!!
人って競わされると本気で走ってしまう。
そして自分の位置がそこそこ上位であることに気づく。
よし、このペースで7kmぐらいまでいこう。
全ては順調なはずだった。
が・・・お尻が・・・痛い。
インナーパンツが完全に割れ目に食い込んでいる。
いつもの履き慣れた綿100%ではない。
擦れる・・擦れ続ける・・ひりひりにも程がある。
燃えるように痛い。
でも止まるわけにはいかない、このまま走りきれば陸上部でもないのに入賞は確実だ。ここでお尻が痛かったから棄権しますとも言えない。
もはやペースなどどうでもいい。
早くゴールしなければ。
一人、また一人と追い越していく。
沿道にいた先生が
『まだいける。行け!!』
と叫ぶ、行けるわけない、もうすでに泣き顔だ。
なんとかたどり着けたゴール。
食い込んだパンツを両方の人差し指で元に戻す。
血が滲んでいた。
その後表彰式で自分が4番目にゴールしていたとわかった。
大健闘である。誰も予想し得なかった大健闘。
先生たちの誇らしげな顔。よくやった、の連呼。
あぁ、とにかく終わってよかった。
家に帰るなり、合わせ鏡で自分の割れ目を凝視した。
生まれて初めて見たお尻の割れ目は、皮がずるずるに剥け、本当に血が滲んでいた。
しばらくは歩くのも擦れて痛かった、そんな私のインナーパンツ物語。
※ ご不快な思いをされた方がおられましたら、お詫び申し上げます。