ちょっと待ってぇ・・・ 清州城
みなさん、こんばんは。
松本城、美しいお城でした。
名物のおやきや蕎麦はいかがでしたでしょうか。
バスは一路、西へとむかっております。
愛知県には名城がたくさんございます。
犬山城、小牧城、岡崎城・・・ですが、名古屋城より北西にあります清州城をぶっ込みたいと思います。
遠回り、になります。笑
清州城は信長の天下取りの出発点でもあり、その信長の死後、織田家の後継者問題や領地再分配に関する清州会議が行われた城として有名です。
今日は清州会議のことに触れてみたいと思います。
参加者は柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の四人。
いずれも織田家の重臣です。
滝川一益は直前の戦に敗戦、信濃から伊勢へと敗走中で間に合わず。
その敗戦を恥として不参加、あるいは最初から参加できないだろうということで招集されず、など諸説あります。
この時、柴田は信長の後継者に三男信孝を推すだろうと予見した、当時織田家家臣でしかなかった秀吉は、丹羽・池田に予め根回しをし、信長の嫡孫である三法師を擁立します。
まだ幼い三法師を操縦し、自分の天下取りの足がかりにしようと企んだわけです。
この後賤ヶ岳の戦い(羽柴秀吉対柴田勝家)に勝利した秀吉は、信長が築いた権力と体制を継承、天下人へと突き進んでいきます。
根回し、もちろん戦略としては あり だと思います。
ですが、この清州会議の一件については こういう男、好かんわ。と思います。そもそも本能寺の変にも秀吉が関与していたのではという仮説もあります。
昨日は家康の悪口を言いましたが、今日は秀吉の悪口になりそうです。汗
さて、そろそろ・・・句でした。
邪心あり清州の城の風青し
じゃしんありきよすのしろのかぜあおし
季語 風青し
そして、後に権力を持った秀吉の許容できないことのひとつに、千利休に切腹をいいつけたこと、があります。
利休は茶人であり商人、武士ではありません。
五条川利休の梅のいずれ散る
ごじょうがわりきゅうのうめのいずれちる
季語 利休梅
名古屋城の金のしゃちほこがそろそろ見えてきます。
今日もへたっぴの句をよんでくださり、ありがとうございます。