喜雨が色ひとは忘れゆくいきもの
こちらの企画に参加させていただきたいと思います。
少し趣旨がずれているかもしれません・・・ですが新色作ります。
*喜雨 (きう)というのは夏の季語で、日照りの最中に待ち望んだ雨、喜びの雨のことをいいます。
最近、母の物忘れが目立つようになってきた。
何をよく忘れるか、それは曜日だ。
物忘れ外来 というのがあって、心配になって行ってみたのだが、この程度の物忘れは当たり前です。と先生は笑った。
友達のお父さんが介護付きの老人ホームに入ったと聞いた。
認知症って何歳ぐらいから認知症という病名になり、どんな症状なのか、実は詳しく知らない。
68歳で認知症と言われた友達のお父さん。
63歳で定年退職し、家にいるようになってから人が変わってしまった。と友達は言う。
穏やかだった父は暴力的になり、普段の会話も暴言のような言葉遣いに。
しばらくすると夜中に徘徊するようになった。
都度、お母さんが追いかけて家に帰ろうと促すも、暴れて手も足も出せない。
まだ子どもの小さい弟を夜中に呼んで、車に押し込めるようにしてたびたび連れて帰ってもらっていたという。
眠らせてもらえない、しょっちゅう手を挙げられる母の正気を保つこと。
自分も思春期の子供が二人、そして日中は仕事がある。
お父さんの症状が進むにつれて、問題は山積みになってしまった。
あっという間に、家族のこともわからなくなった。
家族の名前はおろか、なにもかも忘れてしまったという。
それなのに、たまに機嫌の良い日には、自分の幼い日の思い出話をするという。楽しそうに、懐かしそうに話すのだと。
それはお父さんが覚えておきたい、と思っていた記憶なのだろうか。
もっと大切なこと、覚えていてほしかったことはきれいに忘れてしまったのに。
私はどうだろう。
生きてきた過程をすべて覚えているわけではなく、記憶はきれいに整頓されていく。しかも、忘れたい嫌な思い出のほうが、こびりついたかのように記憶されている気がする。
いつかの私の記憶の中に残っていて欲しいこととはなんだろう。
嬉しかった思い出はカラー。
忘れたい思い出はモノクロ。
そんな気がした。
だったら私の記憶には、澄み渡る夏の青空が最後まで残ってくれないかなと願う。
喜雨が色ひとは忘れゆくいきもの
喜びはそれぞれに鮮やかな色で、いつまでも記憶に残っていて欲しい。
喜雨の色は希望の色。
あなたが待ち望んだ雨は・・・何色に見えるだろうか。
三羽さん、このような拙いお話ですみません。
よろしくお願いいたします。
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