聴くセンス
その話が自分が直接見たものじゃないときは
その話の内容よりも
話すその人を見る
その人のフィルターをそのまま受け取るか、
それとも受け取らないか
それを自分で決めるのだ
フィルターがあるないの論議ではない
あって当然
どれを選ぶかって話
そもそもそのフィルターごとまるっと真に受けて
溺れる覚悟ができるくらい
その人を好きなときもあるもんね
*
人を通して私は私の好みがよくわかるよ
自らの体験
自らの心の動きを話しているひとは
カッコよくて仕方ない
今はね
誰かの話
誰かを引き合いに出す話になったとき
それが自分で触れたものじゃないときは
その誰か、を知った気にならない
ってことを大切にしてる
それは過去、
自分で見たり接したりしてないのに
他人の話を聞いただけで
知った気になっていたことがあったから
そしてそんな自分で進んだ先は
自分の言葉を封じて
正解を求めて
正解に寄せた言葉を発していたから
それがとても苦しくなったから
*
それは、誰かの話をする人のせいではなく
自分の聴き方と受け取り方で
自分の中心に戻れることを知らなかったから
中心に戻ることは
どれだけ自分をパワフルにしてくれるか
エネルギーが生まれてくるかを知ったなら
きっと怖さはただの標準装備だと思えるよ
中心に戻るとはつまり、
自分の感覚に神経を集中させること
湧き出る感覚を受け取ることは
エネルギーに満ち溢れることなんだから