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僕たちにとって"KPT"は武器か、それとも呪いか
かつての僕はふりかえりといえばKPTのことだと思っていたけれど、もちろんそんなことはない。KPTは手段の一つに過ぎない。ではいったいどんな効果を持つ手段なのだろうか。
「KPTは頼れる手段だが濫用は危険」これが僕の最近の考えだ。
差分認知といって、人は多くのことができていても僅かなできていないことに目を向けてしまう性質があるそうだ。それ故Problemを起点としたKPTでは意見を集めやすくふりかえりの効果を実感しやすいが、反面、ふりかえる切り口を狭めてしまうリスクがある。
経験則的に、ふりかえりの切り口となる大事な要素のひとつは、一人ひとりの意識の向き先であると気付いてきた。Problemと感じる手前の違和感であったり、相互理解のために議論してみたいトピックであったり、Problemはないけれどチャレンジしてみたいアイデアであったり、そういった意識や関心の向き先は各々違う。それらはどれもふりかえりの切り口になり得て、そして自分ひとりではたどり着けない着眼点だ。それらを極力取りこぼさないようファシリテーションしたいし、ふりかえり方法を選択したい。
ふりかえりをするときにProblemの嗅覚に頼りすぎないようにするもう一つの理由は、「問題がないからふりかえりや改善は不要」という思考を回避することだ。スクラム導入前に「既存のプロセスに問題がないのだからスクラムは不要だ」と反発される事例を想像すると分かりやすいかもしれない。
ふりかえりは問題をやっつけるための時間でもあるが、それがすべてではない。良いものをより良くする時間にだってできるし、善し悪しの読めない新たなチャレンジを計画する時間にだってできる。
加えて言うと、真に問題がない状態などそうそうない。自覚できていないだけで問題や課題が隠れている場合がほとんどだ。そういった無自覚と向き合う時間を無くさないためにも、「問題の有無」と「ふりかえりの成否(または、ふりかえりするしない)」を直結させないようにしたい。
結局僕らは無意識のうちに現状を変えることに抵抗を抱きがちで、「問題がないなら現状維持」はちょうどいい言い訳になるのだ。その無意識に抗うには、Problem駆動であるKPT以外の選択肢をうまく使いこなすことが役立つはずだ(極論を言えば、無意識に現状維持をせず、ふりかえりの視野を一切狭めないのであれば、KPT一択でも良い)。
少なくとも、KPTが、無意識下の現状維持願望を増長する足枷となってはならない。KPTが武器になるか呪いになるかは、それを利用する僕たち次第なのだ。
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