古文・漢文の注釈は注意深く読む
古文・漢文の注釈は大事
みなさんは、古文や漢文で、最後についている注釈をじっくり読んだ
ことがありますか?
普通の問題集でも、本文を読み始めるに当たってどうしても必要な情報を
前振りで、注釈は、補助的説明として後ろについています。
入試では、特に注釈に問題を解くにあたって非常に重大な情報が
隠されていることがあります。それに気づくかどうかで、得点できるか
どうかが決まります。
『十訓抄』の文章を例に出して、みてみましょう。
仁和寺の大御室の御時、成就院僧正の、いまだ阿闍梨と申しけるころ、
白河の九重の御塔供養ありけり。御室「このたびの賞あらば、かならず
譲らむ。」と御約束ありければ、かしこまりて申し給ふほどに、思ひの
ごとく供養とげられて、賞行はるる時になりて、京極大殿の御子息、
阿闍梨にて、御弟子にて候ひ給ひけるに、大殿、御対面の次に…
(注)1 仁和寺の大御室 三条天皇の皇子で性信のこと。
1 成就院僧正 寛助。源師賢の子。
1 阿闍梨 弟子の模範になれる位の高い僧
2 白河の九重の御塔 白河天皇が建立した法勝寺の九重の塔
4 京極大殿 藤原師実
これだけを見て、本文1行目の阿闍梨と5行目の阿闍梨が同一人物
でないことに気が付いたでしょうか?
この文章は、注釈を注意深く読まなければならない良い例なのですが、
1行目の阿闍梨は、このお話の主人公で、後に成就院僧正にまでなった
僧が、若くまだ阿闍梨の地位にいたころと書いてあり、注釈ではお父さん
が源師賢であることがわかります。
一方で、5行目の阿闍梨は、京極大殿の御子息と書いてあり、京極大殿は
注釈では藤原師実とあるので、別人であることが分かります。
お寺には、阿闍梨は一人しかいないという先入観を持ったり、注釈を丁寧に
読まずに本文1行目の阿闍梨と5行目の阿闍梨が同一人物であると思い込んで、本文を読んでしまうと、ストーリーを間違えて理解してしまいます。
漢文のセンター試験でも本文中に花が出てきて、後ろの注釈に、その花が咲く時期が書いてあり、花が咲く季節を問う設問が出たことがあります。
このように注釈をしっかり読んでいないと正解できない問題は、時々
出てきますので、古文・漢文とも注釈は注意して読む習慣をつけましょう。