Vtuberリスナー界隈と『お客様は神様理論』について
ちょっとだけ長めの主張があるので、noteを初めて使います。
Vtuberに関係する話です。
正直、Twitterでの長文投稿以上にこのような別の形(ツイート以外)での意見具申は『声がデカい』『お気持ち表明』と揶揄されがちなので不安です(自分もそう思う)
……だからあえて予防線を張りますが、当然のことながら、これから書き記すことは一個人の意見に過ぎないので、鵜呑みにせず、常に「本当にそうか?」と、疑いながら読んで頂ければ幸いです。
表題にもある通り、『お客様は神様です』という言葉があります。
これは筆者もたった今調べて知ったのですが、歌手の三波春夫さんという方の台詞が原点らしいです。
曰く、
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』
……とのこと。
簡潔に言ってしまえば、横柄な買い物客が店員に対しての『圧』として用いる「お客様はお金を払う側だし、神様なんだから、丁寧に扱いなさい」という主張は本来意図した形ではないということ。
あくまで『お客様は神様』というのは店員や演者など、何かのサービスを提供する側の『心掛け』であり、サービスを享受する側が用いるには不相応。
礼儀を欠いた『我儘な言葉』です。
……かといって、
『お客様は神様ではないので、失礼な客に罵声を浴びせてやったぜ!』
という店員が居たらそれはそれで問題なのも事実です。
店員が客を、客が店員を尊重すればお互いに不快な思いをしないのは確かですが、それが困難なのもまた事実。
現代社会においても、接客業に従事する多くの労働者が客に対する愚痴をTwitterに書き込み、その傍らで客が店員の接客の悪さを愚痴っている——という地獄絵図が、日夜を問わず見受けられるくらいですしね。
この『お客様は神様』という言葉を客側が履き違えることによって争いに発展するのと同様に、似たような『視点の違い』からトラブルになっているケースを頻繁に目にします。
筆者はこれを『お客様は神様理論』と勝手に呼んでいます。
さて、少し話は逸れますが、『オタク』と呼ばれる人種は、この『お客様は神様』の話から逸脱した唯一の存在だと思います。
例えば、特に必要としない、値段に対して実はそれほど需要のないアニメの円盤を制作会社への投資を兼ねて購入したり。
ソシャゲでお目当てのキャラが既に引けているにも関わらず、『お布施』と称して不必要な課金をしたり。
元来より供給元に対しての尊敬と忖度を備えているオタクは、『通常の消費者』とは些か乖離した価値観を持ち合わせています。
そして、このオタク特有の思想が最大限に全面的に出ているのが『Vtuber』というコンテンツだと筆者は考えています。
スーパーチャット、というシステムがそもそも『お布施』そのものであることからも分かるように、配信者と視聴者の双方性を重んじるこの界隈では、リスナーによるVtuberに対しての『忖度』がありとあらゆる場面で働いている前提があり、成り立っています。
そして、少し前まではこの『配信者と視聴者の関係性のバランス』は基本的に綺麗に保たれていました。
それが最近では、大手企業所属のVtuberを中心に視聴者が劇的に増加し、崩れ掛けています。
というのも、前述したオタク特有の『忖度』が働いていない、あくまで普通の『消費者』として、Vtuberに対して『毅然と仕事をする』ことを求めている層が参入しているからです。
例えば比較的目新しい事案では、『Vtuber同士のリプライに割り込むべきではない』という不文律を侵したリスナーに対して、配信者が言及する旨のツイートをすると、
「それなら個人で(Twitterのようなツールを使わずに)やり取りすればいい。不特定多数の人が利用しているSNS上での主張として、それは無理がある」
といったリプライが数件付いて、物議を醸しました。
これがまさに『お客様は神様理論』に通じる事案だと筆者は考えています。
これに反駁する意見としては、
『それは被害者に落ち度があるという悪質な考え方であり、〝SNSで割り込みリプをされたくなければ内々にやり取りするべき〟というのは、〝痴漢されたくなければ短いスカートを履くべきではない〟という主張と同じように暴論である』
といったような内容がありました。
しかし、これは少しズレていて、そもそも法律上で明確に『やってはいけない』犯罪として分類されると痴漢と、あくまでモラルとして『やらない方がいい』に分類される割り込みリプライとでは、全然違います。
そもそも有名人同士のリプライなどのやり取りに無関係の一般人が割り込んでいる光景は他の界隈、例えば芸人やアイドル、俳優や声優などの中では日常茶飯事ですし、それに目くじらを立てる人も少ないように思います。
このことから、『割り込み禁止』という不文律はVtuberリスナー界隈特有のものだということが分かります。
……かといって、
『じゃあVtuber同士の会話に割り込んでも自由やな!』
というわけには当然いきません。
『知人同士の会話にいきなり知らない人が割り込んでくるのは普通に怖いし、おかしい』
という主張があるように、『何故割り込んではいけないのか?』を理解していて、本人が『やめてほしい』と主張している、それでも尚、割り込みリプライを止めないのであれば、それは『嫌がらせ』もしくは『自分の欲求を優先し、他人を蔑ろにしている』からです。
だからこそ、Vtuber側の視点から言えば、これはあくまで『注意喚起』ではなく、『要望』という扱いになります。
ここで齟齬が生まれ話が噛み合わないのは、『あくまでVtuberを優先するリスナー』と、『物事を全て平等に見ている人』の価値観が根本的に相容れないからです。
こうして文に起こして見ると、リスナー側が狂っている——言ってしまえば、妄信的であるように思えますが、あくまで界隈全体が元よりそういった空気から成り立っているわけですし、実際にそのような環境があってこそ『VtuberがVtuberとして活動できる』というのも事実です。
当然、筆者もオタク側の思想に寄り添っている人間なので、例えるなら、
砂場で遊んでいて、山やトンネルを作って楽しんでいるところに、いきなり別の子供が乱入してきて、自分の作っているものを目の前で破壊され、「砂場はお前のものじゃなくてみんなのものだぞ」とでも言われたような気分です。
『郷に入っては郷に従え』
……とまぁ、界隈で勝手に定着したようなモラルを外から来た人に強く押し付けるつもりはありませんが、それが必要な配慮であるならば、やはり続けていくべきだと思いますし、多少一般的な価値観から逸れていたとしても、守っていくべき風習かなと、個人的には思います。
そして、リスナーの増加に伴って現れた『オタクとしての忖度』が理解できない層との向き合い方。
それから、どこまでが『界隈のモラル』が適応される『場』であるかどうか。
この二つが、今後の課題になっていくと感じました。
Vtuber本人のチャンネルでの配信やファンコミュニティとして運用されているdiscordなど、あくまでその場に居るのが『Vtuberファン』であることを前提にした空間において、Vtuberと我々視聴者の間に存在するモラルは適応されますが、その限りではない場所も存在します。
VtuberファンがVtuberに対して行うリスペクトの精神は、確かに配慮として理想的なものです。
サービスを提供する側、享受する側、どちらも気分を害さない素晴らしい関係だと言えます。
ですが、一般的にはそれが『普通』ではないことは、頭の片隅に置いておく必要があり、その認識の差から生じた諍いに憤ることなく、冷静に物事の善悪を見極められるようになることも、必要になってくると思いました。
我々が蝶よ花よと愛でる目に入れても痛くない尊ぶべき『推し』も、見方によってはただの『サービス提供者』である——という話でした。客観性は大事。
長々と稚拙な文章を読んで頂き、ありがとうございました。自分の頭の中を整理することも兼ねて書き出したので、色々と御容赦ください。