ショートコント ‘7億回の瞬き ’
おじいちゃんっ子だったワタシ。
母方の祖父とは同居していたわけじゃないけれど、夏休みや冬休み、たまに過ごす日々に無条件の愛で満たしてくれるエネルギーチャージャーの様な存在のヒト。
ワタシが土や植物、自然を好きなのは、きっと彼、おじいちゃんに似てるから、という根拠のない帰属意識みたいなものが、ここにいていいんだという存在証明(アイデンティティー)の根っこになっている。 というか、そう思いこむことで自分の居場所や安心感を作ってきたのかもしれない。
直系家族以上に影響力を持つヒトなのに、物心つく頃には病床に就き他界。もう会うことも話すことも出来ない。母や叔父に聞くと、それは彼らのフィルターを通すことになるから、直接もっと色んなコトを聞きたかった、知りたかったなと思う。
「隔世遺伝」というコトバには、親の遺伝よりその親、つまりおじいちゃんやおばあちゃんの遺伝の方が強く出るという意味もあるらしく、そんなことを聞くと余計におじいちゃんについて知りたくなった。 でも、それは決して表面的なコトだけじゃなく、いわゆる祖父をその一個人とならしめたその人生のレシピみたいなものがあったら、未だ発現していないワタシ個人の秘めたる可能性みたいなモノを垣間見ることが出来るんじゃない?そんな思いからで、色んな話しを直接聞きながら感じることが出来たらどんなにエネルギーチャージ出来ただろうと思う。
今になってそんな風に思うのは、ワタシにも「孫」という存在が出来たからかも・・・。
女性の平均寿命87.09年、長生きして色々話すことが出来たら、それはそれでいいのかもしれないけど、これは独りよがりで一方的な解釈かも。
相手にも親と関わりたくない、ましてや祖父母となんて御免蒙りたい、そんな時期もあるかもしれないし・・・。
でも、長い人生の道のり、お天気の様に晴れの日も雨の日も嵐の日もあるかもしれなくて、
そんな時「あーちゃんが生きてたら、何て言うやろ」「あーちゃんやったら・・・」と、もし思ってくれた時、例え傍にはいなくても、誰のフィルターも通さずワタシがワタシを書き残していたら何かの役に立つかも。 ワタシ自身おじいちゃんの残してくれた人生の参考書みたいなレシピがあったら良かったのにって思ってる自分がここにいるから、自分史よりもっとざっくばらんに、へ~っとかふ~んって思えるそんな笑える生き様を書いてみようと思って書くことにした。
もしかしたら・・・これはワタシなりの終活になるのかも。
ま、少なくとも、想いをコトバや文章というカタチにする今の行動が、自分の残りの人生に何かしら役立つかもしれなくて、ここら辺で一度振り返ってみるのも良しとしておこう。
思い出と一緒に話しがあっちこっちに飛んでいきそうだから、自分と縁あってこれを読む誰かにわかりやすい様に、時代とその時のポジション、そしてその立ち位置で感じたコトを時系列で書いてみようと思う。
【H家の一員】
「兄弟姉妹がいないことはあっても、親のない人はいない」
確かに、そう・・・。
先ずは、父母のもとに「○○家の子」として生まれ育った年月がある。
私的には余り良い記憶の無い時代。なのに、やっぱりこの時代に関わる人達とは、今もカラフルなスライドで人生劇場を彩ってる。
昭和というどこかモノクロな時代が五感を強烈に刺激して、これを書く今、不思議なことにツルっとしたおじいちゃんの頭のニオイが鼻先にある。 嗅覚は記憶の引き出しを開けるっていうけど、モノクロの映像を彩るみたいに後付でニオイとかが出てきてスライドに奥行きが生まれる感じが面白い。
幼少期から、ただ漠然と「何で生まれてきた?」「他所でなら必要とされる?」そんなアイデンティティーの低さがどっしり居座っていて、それは今の自分の根っこにも確実に薄っすら残ってる。
でも、意外にも一番哲学的にモノ事を捉えてたのは、この頃なのかもしれない。
両親共に同郷で、川や山、田畑が身近にある環境で育ち、その恩恵でワタシと弟の幼少期のスライドはとってもカラフルで楽しい。 ドジョウやタニシを手掴みした冷たい水の記憶、底板忘れて入った五右衛門風呂の熱い記憶、おならでズボンを裂く姿を自慢げにみせびらかすおじさんとの驚きと笑いの時間や、腰を振り振り海でハマグリを採った足裏の記憶、水槽から取る水まんじゅう入りのかき氷は夏休みならではの味覚の記憶、それはそれは本当に楽しい思い出だけを繰り返し思い出し、楽しい出来事をスライドに焼き付けるようにしてきた「子ども」の時代。
この頃って人生で一番未知なことが多くて、だからこそ1つ1つがキラキラしたり、ザラザラと感じたり、色んな経験を通して色んな感情を育てていく時期なのかな。
今から考えると、たいして大きく違わない経験を友だちだってしてるし、違うのは、その時にどんな風に感じるか、どんな感情に胸ぐらを捕まえられたか、その違いだけの様な気がする。
「現実は自分が作り出している」ってコトバは、あながち間違いじゃなくて如何様にも記録していけるのかもしれないよね。
大人になるにつれ、嫌なことを反芻して無意識に負の想い出に仕立ててあげているコトって多いけど、いろんな感情を味わい楽しめる様な度量を育てつつ、「こんなこともあるのか」位に感情を手放すことが出来れば良かったんやろうけど・・・
そんなことに気づくコトなく、「なんで生まれてきたのかわからない」という感情を宿題の様に小脇に抱えたまま混沌とした20年を過ごしてきた。
それがあーちゃんの子ども時代やった気がする。
【T家の一員】
「幼少期に愛で満たされるって、めっちゃ大事なことやん」
これは、結婚して、他の家族という集団の中で異文化に触れることで、改めて強く感じたこと。
そんな想いあって、自分に子供という存在が出来た時、幼少期に体験してワタシなりに「愛」を感じることが出来た楽しいイベントやら経験は出来る限り体験させてあげたくて、色々やってみた。
どう思うか、どこを色濃くスライドに焼き付けるのかはわからへんけど、話題には事欠かへんやろう、って位に色々やってみたし、行ってみた。
子育て中の住居はマンションで、気遣いが必要。
それにも関わらず、小型の杵と臼を買って、年末は餅つき、そば打ちとかもやったし、芋ほりや潮干狩りみたいな体験型のイベントは大切にしたよ。
自分が楽しかったことの強制みたいだけど、TVでしか観ない絵空事にさせてしまうのがイヤで、たった1度でも自分事として経験しておけば、何かの時に記憶の引出しを開けることは出来る、そう思って、経験できることは一緒に経験してきたつもり。
意外にも、一番楽しんでいたのは、子ども時代こういう経験をしてこなかった、という子どもたちの父親だった時もあるけどね。
何をした、どこに行ったという記録を残したい訳じゃなく、出来上がった物や与えられたもので遊ぶことが多い今、楽しみは人に与えられるものじゃなく自分で見つけるってコトを感覚的に覚えてほしい、それがワタシの願いでもあり、子育てで大切にしてきたコト。
何かをしようとする時「覚えているはずない」「勿体ない」というコメントに、いやいや「覚えている」ことより、楽しい一瞬を重ねることが大切なんじゃない?ってその頃にはもう価値観の違いみたいなモノを感じて、「何かちがう感」を育ててしまってたのかも。
違いとかズレって、うまく折り合いを付ける方法を身に着けていかないと、その時抱いた感情を手離さず、反骨精神みたいな塊に育て上げてしまうのかもしれない。
「折り合いを付けていかなあかん」この言葉に出逢い、ココロにズドーンと衝撃を受けたのも子育て中。
子どもの「やりたい」という気持ちを大切にしてあげるコトと、向き不向きや環境や状況を踏まえどう線を引かせるか、このバランスを取るのも親の役目と知って、「木の上に立って見る」って書く「親」に育っていかないといけない重圧を感じた。
でも、もうその頃はほぼ独りで子育てをして悶々と時間を過ごしていた気がする。「話す」って「放す」ってことやっていうけど、放せてなかった。
小さな頃は、マンションのベランダでビニールプールにも一緒に入ったし、市民プールでも一緒に入っていたから、小学4年生から保護者の同伴不要になって、「もう来なくていいよ」って言われた時には、不用品のラベル貼られたみたいで、存在価値を見失った・・・
そんな話しをママ(娘)にしたら自分が子どもにそう言われたら「やったー!」って子供の成長をよろこんでると思うわって言われて、親という立場の自分も上手くこなしているなって、あの頃のワタシより上手に子育て期間を楽しんでいる娘に素直にすごいなあとか、あの頃ワタシのママ友で居てほしかったなって思ってる。
子どもにとって絶対的な「親」って存在も、一喜一憂しながらその時々の色んな感情に向かい合っているし、「親」という存在も完成形なんかじゃなく進行形なんだと子育てを通して思い知らされた。
だからこそ、話せ(放せ)る親子や兄弟であってほしい。
正解不正解じゃなく、どう折り合いを付けていくのか、その過程が家族を強固に結びつけるって思うから。
【ワタシ】
夫婦別姓という事を、結婚を機に考える時代。
ワタシは離婚を機に苗字をどうするか考える時があったけど、学生である子供たちの要望と過去に戻りたくないという自分の意志で【T家の一員】のままの時期がある。
お仕事もしていたし、いちいち説明するのも面倒。
そんなこんなで、子供たちの母としてT家の苗字を名乗ったまま過ごす。
そして、子どもたちがそれぞれ独立し、寂しさや色んな感情を味わったりしながら、いま孫が生まれて新しいポジションにつかせて貰っている。
この「あーちゃん」というポジションがなんというのか、何処にも何にも属さず、心地良い。
娘の子育てをそばで見ていて、時間の使い方や切り替えが上手いって思う。
「折り合いをつける」とか「手放す」「余計な感情使わへん」とか、ワタシの人生のショートカットみたい。
それでもたまに「ママの時はどうしてた?」て聞いてくれる時もあって、当時の記憶を辿ってみるけど、今の生活を取り巻く環境があの頃のワタシとは違いすぎていて、あの時はね、って話すコトバに「めんどくさ」って思ってるかもね・・・知らんけど。
子育ては子供を育てながら自分たちが親になっていく自分育ての時期、夫婦でブレない軸を1本もって、そこに子どもを巻き込んでいけば、家族のオリジナルレシピが出来上がるはずやから、時に手直しやチャレンジを加えて、限られた時間の中でどれだけの瞬間を大切に過ごすことができるのか深く考えること、そのことこそが大切なんやと思う。
ちょっと話がズレたけど、ここにきてやっと「ワタシ」という自立した自分が登場してきたように思うのは、独りってことやあーちゃんという新しいポジションの影響と思ってる。
「独りでいて寂しくないん?」って鋭いナイフで一突きにされると、時と場合によっては再起不能みたいになる。それでも、時々こういう風に突き刺しながら手放せへんかったモノを手放してるんかなって思うようにしてる。
H家の人々、T家の人々との縁があったからこそ、誰かの奥さんやママでもない「ワタシ」という、いまのポジションがあるけど、やっぱりそこにはもう戻らないし、戻れないし、とりあえず人生のほぼ半世紀色んなことを経験し、いろんな感情を味わい、その時々に熟成したり、時には腐敗しそうになりながら、秘伝のタレみたいに自分を牽引してきたことは事実。
学校に行って、就職して、結婚して、そういう1本道を歩くモノって思っていたけど、道ってパラレルワールドみたいにいくらでも変わって広がっていくし、そうできるんやってことを知っていてほしい。
いまどう思うか、感じるか、そういうモノが現実を作り上げているだけなら、捉え方のパターンを数多くもって、そしてまたアップデートしていくといい。
嫌な思い出も捉え方を変えるとキラキラ輝いてくるし、手放せたら過去も未来も別物のSTORYに書き換えることだって出来るのかもしれへん、ってそんなエッセンス的な事を伝え残しておきたい。
成功の反対は失敗じゃなく「やらないこと」らしい。
だから、何かにつまづく様なことがあっても、それが何かをやった結果ならOK!
あーだこーだと考えて頭でっかちで終わらず、一回やってみてその道中を楽しんでいれば、きっとその道には次の新しい扉が現れる。
何枚も何枚も重ねてきたスライドは、いくらでも編集可能だと思って、時に人生の主役であり、エキストラとして客観視出来るといいのかも。
今のワタシにそういう立止まる時間をくれているのが、お孫ちゃんの存在。
娘曰く、想像以上にワタシがお孫ちゃんにどっぷりで驚いているらしいけど、当の本人にその自覚はなし。
そうそう、いま娘の結婚式のDVDを観てる。
丁度、2回見終わって3回目を休憩しているところ。
2人のプロデュース力の素晴らしさと、自立している姿には感心する。
これは、大きくなったら必ず見てほしいDVDの1つ。
この文章を書く途中、DVDを見ながら考えさせられたのは
「親」ってとてつもなく子に対する影響力があって、子供を授かった以上「育児(育自)」という自分育ての責任を果たさないといけないってこと。
え?今頃?
うん、ごめん、今頃で。
親としての劣等感というか、至らなかった申し訳なさで胸がいっぱいになって
「今まで心配や迷惑をいっぱいかけてごめんなさい」と子どもたちが言っているのを聞いて
「何をおっしゃいますか、あなたたちが心配や迷惑をかけたというのなら、そうさせてしまった一因は親にもある」と素直に思い、反省してる。
子にとって親は絶対的な存在だけど、でも親も子をもって初めての親体験をするわけだから、もっと甘えて、もっと食いついて、もっと考えるきっかけを与えることで、親になり、家族というチームがより強い結びつきを持つんだと思う。
何かのたびに一緒に考えたり悩んだりして試してみる、そういう夫婦や家族間の「やってみよう」とTRYすることに意味があるんだと思うから、それを一緒に楽しめる家族のもとで大きくなってほしい。
そして、そんなウルトラな父や母の元に居ても、何かもっと違う景色が見たいと思ったり、ワクワクを感じたいと思ったら、そんな素敵なウルトラな父と母の父や母、おじさんやおばさん、いとこ達と触れ合えばいい。 遠からず、近くもない、だけど何となくすーっと浸み込んでくる様な心地良さを感じることが出来るはずで、これが血縁と言われるヒトのなせる業なのかも。遠くの親戚より近くの他人っていうけど、それでも血縁というある種独特なつながりを持つ人たちとの縁は、スパイスみたいに無くてはならないモノなんかもしれない。
人生100年だとしたら、あーちゃんは折り返してまたその歩みの足取りをしっかり前に進みだしたところ。
人生まだまだ先は長いって思うけど、この宇宙にいるだろう神様には、ヒトの100年なんて瞬き程のほんの一瞬の時間に過ぎないらしい。
でも、瞬きにも意味がある様に、ほんの一瞬かもしれないこの時間に、どれほど多くの経験が出来るか、そこから何をどんな風に感じることが出来るのか、それによって瞼の裏に焼き付いたスライドが織り成す人生という名のSTORYは幾らでも素敵なモノに変わっていくんだと思う。
2024年日本の人口だけで約1億2393万人
こんなにもたくさん人がいる中で、自分に与えられた役割って何なんだろう。
これは「何のために生まれてきたのか」という自問自答の答えにも等しいけど、これだ!と思った役割が正解なのかどうかもわかりっこないから、自分が楽しいかどうか、そしてそれによって自分以外の他誰かの役に立っているなら良いって考えるようにしてる。
こうやって、あーちゃんも色々感じて試行錯誤しながら毎日を生きてる。
色んな事を考えて、感じて、頭の中を整理する様に言葉を紡ぐ為の「書く」という作業をしている。
興味がある事って、大人になっても子供の時からそんなに変わらないように思う。
今こうやって書きながら振り返ってみると、想いを届けるために言葉を探すことや手紙を書くこと、これは子どもの頃から好きやった、って思う。
変わってないわ、あの頃から。
だから時に立止まって、周りや歩いてきた道を振り返って、自分をしっかり知ってみる。
そういう時間を大切に、変わらずに好きなことや興味や関心があるコトでココロを満たして、その次の扉が現れて開いていくといいなって思う。
この年齢になって周りを見渡すと、一本道をただひたすら真直ぐに進んできたヒトたちは、その道でそれなりのポジションについていたりして、自分の寄り道の多さに気付かされることが多い。
ただ、今までいろんなことに興味があって、寄り道してきたことを後悔するんじゃなく、これからも興味のあることは今まで通り貪欲に吸収して、
物事に対する知識の量や質というより、考え方のコツとかエッセンスは感覚的に掴んできたように思うから、それを今の自分の仕事に活かしていけば良いかなって思ってる。
情報や知識の量や質も大切やけど、それを受取る側の咀嚼力も大事って思ってるから、いままで出逢ったヒトや学びから得たものを、ただ横流しするんじゃなくて自分なりに咀嚼して練り上げて、レシピも参考に自分なりのスパイスきかせていくととっても面白い楽しいモノになっていく気がする。
時にどうしていいかわからなくなると「はじめ人間ギャートルズの頃はどうやったやろ」って、原点回帰というか便利な物が何もなかったころを想像したりする。
そうすると、ヒトが生きていくのに必要な最低限の事は自分で出来るはず、っていう所に着地して、農業で自然と生きてきたおじいちゃんに無性に会いたくなって、もっと色んなことを教わっておきたかったと思う。
「生きる」って事は実にシンプルで、物理的なことだけじゃなくて、思考ももっとシンプルでいいはず。いまはそこに色んなものが絡まってしまって、ギャートルズの頃の生活に憧れる人が居るくらい、いまヒトはがんじがらめでしんどくなってしまっているのかもしれないね。
いま、事業をどう継続すしていくのかを決めなくちゃいけないところにきてる。なんで思うような結果にならないのかって考えると、才能やスキルや色んなものが足りてないってコトも素直に受取るし、「円は縁から生まれる」のなら、人に愛される自分かどうか、とか、必要とされるモノづくりが出来ているのかとか洪水みたいに頭の中に湧いてくる色んな事を考えて、時に怖くて仕方なくなったりしてる。
「円」って放射線状に広がるから、ワタシなりのスタイルで「縁」を繋いで方法を再検討中。
物事を成し遂げるには、物質的なモノと哲学的というか精神論みたいなモノを両方育てながら揃えていかないとあかんのかも。
ワタシは至って右脳派の人間と言うと、いやいや理屈の塊やでって言われるのは、こういうところかもしれへんね。
どういうカタチで、どういう関係性なら楽しいって思えるのか、それは個々に違うはずで、違っていいんだと思う。そういう風に思えるのに少し時間がかかったけれど、伝えるコトを目的に言葉を探し、選んで紡ぐこの作業は、結局自分へのエールになったみたい。
今、人生は100年時代。
1日の内にする瞬きの回数は2万回弱で、人生100年で計算すると、7億回にもなるらしい。
ワタシの瞬きはまだ4億回に満たない位で、その回数分シャッターを切ってそのスライドをストックしてる。
過ぎ去ってしまえば、記憶にすら残っていないことの方が多い日々刻々を色んな感情を味わいながら過ごしているから、無駄なコトはひとつもないって思う。
それでも、「今」というこの時が、今まで生きてきた結果でしかないなら、いまからこの瞼の裏のスライドに焼き付けるシーンはカラフルで、その未来も当然カラフルでありますようにと願うばかり。
7億回の瞬きの内にひとりの人間を彩ったレシピが、君が生きる未来、いつかどこかで役に立つときがあれば尚良し。
あーちゃんが生きている間は、一緒にたくさんの事を経験する機会があるといいね。
五感すべてをフル稼働させるような時間を一緒に過ごそう。
そういう時間を過ごしながら、共にアップデートしていけるといいなって思う。
生まれっぱなしの野生児も環境や条件、縁という関わりがあってヒトとして練り上げてられていくんやとしたら、ワクワクしながら寝る間も惜しんで色んなものに出逢ってほしい。
こうやって、あーちゃんを作り上げてきたレシピみたいなものをちょっとでも残しておいて、そこに其々のエッセンスを加えていけば、より味わい深いモノになっていくと信じてるし、単純にショートカットできる分経験値が増える様な気がしてる。
お仕事の前、頭の中の引き出しの引出しを全開する。必要なモノを全部取出して足の踏み場もないくらい取っ散らかって、頭の中もフル稼働して、他のコトが煩わしくなることも多々。
足らないと思えば補充するし、未体験なコトすら引出しの中身にして、なにより目の前のヒトとの関りを大切にその時間を作りあげる様にしてる。
これを一番楽しんでるのは、何を隠そうワタシ自身。
だからかな、いつも「あ~楽しかった」って締めくくってる。
娘には「最近はショートコント観てるみたい」って笑われてるけど、
これってワタシの人生の縮図みたい。
「あ~楽しかった」って悔いなく最期を締めくくれるように、
いま毎日を遮二無二生きてるような気がしてきた。
書物には色んなヒトが色んなカタチで気づきを残してくれているし、古くてもずっと必要とされるものは、その時代やヒトに沿うようなカタチに書き換え受け継がれていっている。
だから、沢山の文字やコトバ、そして情報に触れてほしい。
でも、大切なコトはそれを元に行動しようとする、元気勇気やる気・・色んな「氣」と言われるもの。
それが、縁で繋がってきた沢山のヒトのエネルギーみたいなモノとして宿って、直系以上の影響力を出すように思う。
「もう子育ても終わったんやから、ママは自分の事を一番に考えてシアワセでいてくれたらいい」って言ってくれる子ども達に感謝しつつ、自分らしく生きながら、いま目の前にいる君と今から生まれてくるであろう隔世遺伝の行先である子どもたちの為にも毎日をカラフルに彩っていこうと思う。