大魔神と化け物
2024/2/20
生きてもいいよね。
僕が油を注ぎ込んで何とか回るようにしていた仕事に対する気持ちも冷めた。今度は自分がガス欠だ。
それで嫌んなってきたなあと思い、散歩し始めたのが会社の面談が終わった夜八時頃。今日はめちゃくちゃ暖かくて朝から一日暖房をつけなかった。だから外に出るときも薄い上着を一枚羽織っただけ。上着は左右の手が丁度納まりやすい角度でポケットがついている。左のポケットにイヤホンをさっと入れて駆け出したのは気持ちだけ。
歩いてしばらくはいつも通り家を出て人通りもぽつぽつとある道を歩く。疲れたから歩くなんて矛盾だ。最近目が悪くなっているのでできるだけ遠くを見ながら歩く。たまに風で枝と葉を揺らす木が近づくとそちらに目が向く。幹を覆う皮が白カビのような色。
折り返しのコンビニで飲み物を買うつもりだったけれど、すぐ近くにスーパーがあるのを思い出してコンビニは通り過ぎる。スーパーの方向へ曲がる角で向かいから人がやってきた。避ける気配がなかったのでこちらが大回りする。
そういえばこのスーパーの横にある焼き鳥店は気になっている。持ち帰りができるしなんか安そう。でも買おうと思い立ったことは一度もない。そういうことがあってもいい。風があるので煙も流れて行ってあまり匂いはしない。
意味のない徘徊をスーパーの2階と、さらにその上の階にある100円均一で行う。品揃えが意外にも良かったので無駄ではなかったなと思う。でも無駄でも良かったのでとにかく気持ちは少し上向く。
結局スーパーでは飲み物を買わず、一度通り過ぎたコンビニに入る。学生の頃はコーヒーなんてほとんど飲まなくて、暖かい飲み物を買うときはお茶かホットレモン的なあれだった。それで今日はホットレモン的なあれのゆずのものを買うことにした。甘いけど、ペットボトルのコーヒーより嬉しくなる味だった。
帰り道、ふっと視界が広がる。
生きることは大変で、理想を理屈で語ろうとすると苦しい。理屈じゃなくても物理的に痛かったり苦しいこともある。理想との距離が広がりすぎると、人は死んでしまう。これは一般論じゃない。実際に距離が広がりすぎると、それを飛び越えるために人はビルの上からジャンプしようとすることがある。
家に帰って、立岩真也の『人命の特別を言わず/言う』を読み終えた。立岩さんも、人が生き続けることを考えた人だった。僕には納得できないところもあったけど、そのテキストの化け物性に圧倒された。
大魔神と化け物。そんなところで無意識は繋がっているのかもしれない。だから生きてもいいよねって、それが生きる方法なんだって。そういうことにして。
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