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物語2

映画が終わると、私はソファに一度深く身体を押しつけてその反動でぐいと立ち上がった。真麻も右手に持っていたスマホをテーブルの上に置いて窓の方に向かい、ビラっという音とともに両手を目一杯広げた。夏の昼下がりはまだ今日が終わることを拒否するかのように明るい。私たちの住んでいるアパートは丘の上にあって、遠くにビル群の生える平地の街が見える。テレビとの距離感に慣れてしまった目のピント調節がまだ上手くいかない。

「映画、どうだった?」
「んん、まあまあって感じかな。サスペンスっぽいストーリーだったけど、演出的には音と役者の表情で魅せる映画だったよね。たぶん映画館で観るべきものだったんじゃないかな」
「そうか。俳優さんの顔はよく見てなかったな」
スマホを見ていたからね、と言葉が頭の片隅に浮かんできたが言うのはやめておく。
「でも、みんな演技派って感じの人ばかりだったね。キャスティングの勝利だと思ったなあ」
真麻はカーテンを開いたそのままの体勢で伸びをしては俯いてを繰り返している。
「あそこ、気持ち悪くなかった?」
「どのシーン?」
「あれ、主人公が大衆から非難されて、音がざわついて段々大きくなるところがあったじゃん。そこでさ、ふと足元を見たら芋虫みたいなのがたくさん這ってるの」
それは物語の中で最も緊迫するシーンの一つで、主人公はそこで心が引き裂かれそうになるのだった。
「そうだね。あれはきもかった」
私はそのシーンを思い返してみたが、まだはっきりと覚えているのにどこか遠い出来事のような気がした。「印象に残る」場面であったはずだが同時にあまり意識することでもないように感じられた。
「ケイくんもあれ見てるとき、すごい顔してたよ」
役者の顔はよく見ていないのに、一緒に座っている私の表情の変化は見逃さなかったのかと呆れ半分に感心した。自分の見られてはいけないところを見られたように思い、首筋を内側から炙られるのを感じた。しかし、嫌悪感を感じたことに非はないと思い直して、
「まあトラウマものだったよね」
と笑ってみせたが、自分でもこめかみから目じりまで引きつっているのが分かった。映画のワンシーンが気持ち悪かったことにしたかったが、すぐにそれは失敗したと思った。虫から連想されて掘り起こされた記憶が、自分を自分じゃない何かに仕立て上げようとする策略のように思えた。それは確かに私の記憶の一部になっているのに、現実に起こったことなのかいつ思い返してみても判断できない出来事だった。

「わたしも演技してみようかな」
と、真麻が自分自身にも聞こえないくらい小声で呟くのが聞こえた。


山下葵から連絡があったのは次の週の日曜日の早朝だった。葵は高校生の間の三年間クラスが一緒で、大学は私が地元に残り葵は東京の大学に進学したので離れた。他の高校の友人からはアオと呼ばれていた。高校生の私と葵はそこまで親密な仲ということもなかったが、葵が当時付き合っていた人が私の幼馴染だったのでしばしば相談相手になった。大学生になるタイミングでその人とは別れた。おそらくお互い本気で交際しているという感じでもなかったのだろう。葵は大学生の間一度も地元に帰ってくることはなく、わざわざ連絡を取る機会もお互いなかったので、私たちは段々疎遠になっていた。その後、私が就職とともに東京に出てきたことでメッセージを送ってから、再び連絡を取り合うようになった。

葵は夜型だった。通知でスマホの画面が明るくなったので目が覚め、そのまま顔を近づけると予想していない名前だったのに驚いて、思わず指が画面に触れてすぐにメッセージを開いてしまった。

これから○○町のカフェで会わない?
話したいことがあるんだけどさ

朝七時にはまだそのカフェは開いていないだろうと思ったが、何と返信しようかまだ起きていない頭で考えていると、

何の話かは来てからのお楽しみや

と加えてメッセージが送られてきた。
珍しいこともあるもんだなと思ったが、週末に朝早く動くことはここ最近なかったので少し楽しみになった気がした。朝の、まだ人間で汚されていない都会の空気が好きだった。

ベッドから降りて振り返ると、真麻が振動で目を覚ました様子で首をこちらに向けていた。
「トイレ?」
「いや、ちょっと出かける」
「まだ朝なのに、どうしたの」
「高校の友達の葵から連絡があってさ。何か話したいことがあるんだって」
「そっか、よく分かんないけどいってらっしゃい」
そう言うと真麻は身体を壁に向け、もうひと眠りするよというように右手をだらだらと振って降ろした。
私は寝室の床をぺたぺたと鳴らしながら、
「もしかしたらお昼ご飯も要らないかも」
と言葉をつけ足してから部屋を出てそっとドアを閉めた。

返信をしていないことに気づいて、洗面台に向かいながら小文字でokとだけ送信しておいた。夏でもひんやりとした床を素足で感じるのは気持ちがよかった。何となく気分がすっきりし、すぐにハンドタオルを棚から取って身支度を始めた。

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