「君たちはどう生きるか」~選択と自立、男性性との対峙
今日は、前々回の記事 ↓
「君たちはどう生きるか」~痛みを一時避難させてくれる場所について|Alnair33 (note.com)
前回の記事 ↓ の続きとなります。
「君たちはどう生きるか」~結界、女性達が人生へと送り出してくれる|Alnair33 (note.com)
宮崎駿監督の新作映画、「君たちはどう生きるか」から、私が触発されたことをベースに、数秘や禅タロットなどのインスピレーションを交えて書いています。
前回は「女性性」というテーマを取り上げてみました。
ですので、今回は「男性性」のテーマ。
命は、この世に生まれ出て、まずは手厚く保護され、お世話され、だいじに育まれる必要があります。
ですが、ある年齢に達したころに適切に、そのあたたかい女性たちの腕の中から、すみやかに脱していく必要がある。
「自分、というカタチ」を獲得するために。
この映画の主人公、牧 眞人(まき まひと)くんは、11歳。
そして、時代背景は第二次世界大戦。
母を戦火で亡くし、すみやかに自立していくことを急かされている状況。
11~13歳頃は、一般的にいっても、母性との分離がちょうど始まる時期でもあります。
そこで深層心理の中で立ち上がるのが、父性=男性性の壁。
ここを越えて、少年は最初の自分を獲得していくのです。
映画に出てくる「壁」となってくれる男性は、2人。
現実世界の父(戦闘機の軍事工場を経営)=力の象徴
異世界の塔の中で石を積む大叔父=知性・思考の象徴
軍需景気にうまく乗って、戦争中に財を築いた父
本が好きで、知識が深く、内面世界を掘り下げた大叔父
ここに、昔モデルの、好対照の男性の姿が描かれています。
これから戦後を生きていくであろう主人公の眞人(まひと)にとって、たぶん、どちらの男性モデルも参考にならなくなる時が来る。
まずは、精神世界に住む、知的男性モデルである大叔父の、「わたしの跡を継いでくれ、血のつながりのあるものに継いで欲しい」という申し出に、ハッキリと「NO」と表明する。
無意識世界にそびえる”象牙の塔”にこもるような生き方は、自分の生きる道ではないということを、眞人は瞬時に察知し、決断を下したのではないかと思うのです。
※ 象牙の塔 … 芸術家、学者が現実逃避的態度で自己の理想にこもり、芸術または学問三昧(ざんまい)にふけること
父も、大叔父も、充分に成熟した大人の男性です。
生き方を力強く指南してくる存在に対し、少年少女は受け入れて従うか、反発するかして、両極を行き来しながら、自分独自の存在を確かめるようにして大人になっていきます。
禅タロットでは、0のFOOL(愚者)がこの世に生を受け、3人の柔らかな女性の腕をぬけでると、4人目で、めちゃめちゃ男臭い大人=父性に衝撃的にぶち当たるのです!
そりゃぁびっくりですよね。
これはキングのカードでもあり、禅タロットでは、意志・意欲・決断・目的意識… なににも縛られることなく、自分の人生を雄々しく切り拓くエネルギーに満ちています。
強権的に迫ってくる大人の男に対して、くじけずに意思表明するのは並大抵のことじゃありませんが、ここを越えてこそ自分の芯ができてくると思うと、避けて通ることができない相手でもあります。勇気を出して、自分が「反逆者」にならなくては、自分の道が見えてこない時があるのです。
私自身、とても若い頃は、頭のいい父の言うことが100%正しい、という思いこみがありました。
成長していくと、自分の価値基準がだんだんはっきりしていき、父の言うことが、けっこう古い理論で、自分にはそぐわないどころか、今の自分にとっては間違っていると感じるようになっていきました。
ある大事な決断の日に、父が社会人として常識的に正しいと勧める道とは正反対の独自の道をハッキリ選択しました。あの瞬間が、私自身の大事な自立表明のひとつだったと思います。
自立には、内なる男性性の発揮が欠かせないのです。
映画のお話に戻します。
眞人は、異界の父性(大叔父)にハッキリNO!と言えましたが、現実世界に戻った時、そして少年から大人になっていく時に、自分の父を否定して乗り越えていくという宿題をたずさえています。
映画は、終戦をむかえ、父、継母、生まれた弟と共に東京へ戻っていくために屋敷を後にするシーンで終わります。
戦後の混乱期、高度成長期、そしてバブルが弾け、リーマンショックがあり、震災が起こり、平成、令和、コロナ禍を越えて激流のように変化していく時代を、眞人は「どう生きるのか」。
そして、私たちはどう生きるのか、生きたのか。
眞人が生きていれば、今90歳、
眞人の腹違いの弟は、今78歳くらいのはず。
それでも惑う、道の途中。
正解はないし、間違ったと思えば修正していくこともできる。生きてさえいれば。
死ぬまで完結しないのが、私たちの人生です。
現実の世界でも、父・宮崎駿と、息子・宮崎吾朗の間での葛藤が垣間見えますよね。血が、苗字が一緒だからという理由では「ジブリ」は引き継がせない。押し付けない。
昨日のジャニーズの会見で垣間見えた、母・メリー喜多川と娘・ジュリーの間での葛藤もしかり。はてしなく甘やかされてきた娘が、女帝亡き後、帝国の痕跡を跡形もなく消滅させる責務を担う。母の死後に取り組む自立。
特にカリスマ的な力を持った親の背中から自立する、自立し続けるのは、想像を絶する苦しみが伴うのかもしれません。
自分は自分の道を行く、自分自身の人生を生きるには、生きた時代背景の違いを理解し、尊重したうえでの、親子分離が大事なのではないでしょうか。
惑っていい、心もとなさを感じ、葛藤して当然。
それでも、自分の足で立つことから、自分の人生が始まります。
数秘&禅タロット セラピスト tomoko