【ラテンアメリカ旅行 #28】🇵🇪上空から宇宙を見ているようなナスカの地上絵
友人のクリスと一緒にワラスから中継地点のリマに移動し一泊してお別れした後、ビーンズという20才という若さでジャーナリストをしているイギリス人の友人から連絡があり、ブラジルに行くので情報が欲しいということで再会。少し一緒に遊んで、またまたお別れ。
ビーンズはその後、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ経由でバイーアに向かって行った。僕は再びバスに乗りナスカに向かった。
実はチカマでサーフィンする10日ほど前に立ち寄った砂漠地帯のワカチーナはナスカから近かったけれど、当初ナスカによる予定はなかったためスキップした。
よく気が変わる僕はクリスからのおすすめと紹介で、クスコに向かう途中、ナスカに寄ることにした。
ナスカ
● ナスカの街について少し
ペルーの首都リマから南に向かいバスで約6、7時間、太平洋とアンデス山脈の間にある砂漠地帯に位置する。この街にはあのナスカの地上絵が存在する。とても小さな街だが、ナスカの地上絵を見ることを目的に世界中から観光客がやってくる。
● ナスカの地上絵の基本情報
僕もせっかくなのでおさらいしたくて少し調べてみた。
紀元前200年~紀元後800年のナスカ文化の時代に描かれたとされる、幾何学模様、動物などの広大な大地に描かれた絵。その数は700を超えるとされる。
宇宙人が来て落書きをしたという説があるが、僕は笑ってしまった。
ただ、誰が、何のために、どのように描いたのかはいまだに解明されていない。
また、他の土地では現在までの間に侵食を繰り返し、地形が変わっていく中でなぜこのナスカでは何千年もの間侵食されずに残り続けたのか?
実はこのナスカの土地は年間雨量が4mと全く雨が降らない。また、ナスカの土地は硬く、程よく風が吹いているため、砂漠ではあるが埋もれることがないのだそう。
● 地上絵を上空から見学
僕がこのナスカに来た理由も当然地上絵のため。クリスに紹介してもらったセスナで上空から見るツアーを早速予約し、翌日飛行場に向かった。
セスナは結構うるさいのでヘッドホンをつけて、運転手兼ガイドがマイクで説明するのを聞きながら絵を見て周る。
下の写真のように周り方まで親切に記載されている。
人によってはセスナの運転で酔ってしまったりするというが、僕は全然揺れも感じず楽しむことができた。
早速上空に上がると山がずっと奥まで連なっているのがわかる。おそらくこの方角はアンデス山脈。反対側は太平洋の海が広がる。
まるで衛星がとらえるような地球を見ているかのようで素晴らしい光景だった。
ナスカにはたくさんの川があり、水が流れたような跡があったので気になり調べたのだが、10本の川が流れていて、その大半が1年のうちに一時的に干し上がってしまうのだそう。僕はちょうど時期にあたったので水が全く見えなかったのだと思う。
実はもう少し太平洋側に行くとパラカスという街があり、そのあたりに北パルパと呼ばれる場所がある。おそらく地形的に分かりずらいためナスカのように注目を浴びてこなかったが、ナスカの地上絵とは異なり、ナスカよりもさらに3000年ほど前に描かれたと言われる『パルパの地上絵』というものが存在する。
ツアーによってはこのナスカの地上絵とセットでパルパの地上絵も周るものがある。
このツアーが終わると何のためかわからないがナスカの地上絵のサティフィケート(証明書)をもらえる。
何となく小さい頃からドキュメンタリーで見てきたナスカの地上絵の予備情報が役に立ち、新しい学びを得ることができたかと思う。
「ただの上空からの絵でお金払うほどのことでもない」と思っていたけど、やっぱり僕はアンデス周辺の文化や歴史に興味があるのでここも欠かせないと感じた。
せっかくの長期旅行で学ぶ時間を十分に取れたし、このために一生懸命仕事してきたので、ここでの時間にも満足してる。
そして今回のストーリーを描きながら振り返り、さらに学ぶ機会を得られたことに関しても嬉しく思っている。その旅が終わりではなく、きっかけとなり、それは始まりに過ぎなかったのかなとも感じる。
今も「またすぐ南米に戻りたいなぁ」と思いつつ、「南米で何を学んだの?一番大事なのは今を生きることじゃないの?ちゃんと今に集中して楽しみなさい」と戒めている。
今回はここまで。次回はいよいよ旧インカ帝国の首都クスコに向かう。時期的にも年に一度のインカ最大のお祭り、インティライミの時期なので街中がすでにお祭り騒ぎ。そしてクスコはみんなが知っている天空都市マチュピチュの拠点となる街としても知られている。
最後に一曲紹介
最近サイケデリッククンビアの紹介ばかりで飽きてしまったので少し気分を変えつつ、現代版にアップデートされたようなクンビア。
僕の好きなアーティスト、Quantic(クアンティック)の『Cumbia Sobre el Mar』。「海の向こうのクンビア」という意味。
この曲、実はカバー曲でオリジナルバージョンはは1964年にCuarteto Imperialというコロンビアのバンドのもの。かなり有名な曲のようでクアンティック以外にも色々なバンドがカバーしている。