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【ラテンアメリカ旅行 #34】🇵🇪 古代インカ帝国の遺跡マチュピチュへ

前回マチュピチュの麓にある街、アグアスカリエンテスに到着し、一緒に5日間歩いた仲間たちと夕飯を食べて就寝。そして最終日を迎えた。


サルカンタイトレック最終日


最終日の目的地はマチュピチュの上にあるワイナビチュ
アグアスカリエンテスからマチュピチュまでが約2時間、そこから急登を約3、40分くらい登るとワイナピチュに到着となる。
*ワイナピチュは事前予約が必要。

アグアスカリエンテスからマチュピチュに向かう朝

最終日は朝暗い時間に起きてマチュピチュに向かって歩く。全く周りが見えないのでヘッドランプをつけてひたすら階段を登って行く。

一人で歩いていると、レインボーマウンテンに一緒に行ったマティアスが後ろから来て偶然会うことができたので、一緒に話しながら2時間ほど歩くとマチュピチュの入り口に着く。
バスで来る人も多いようで、時間がなかったりする人たちのためにとても便利。

マチュピチュについて少し

ケチュア語で「古い峰」を意味するマチュピチュ山と、「若い峰」を意味するワイナピチュ山に挟まれた、標高約2400メートルの険しい断崖上に築かれていて、下の街からは存在自体すら確認できないので、「空中都市」「インカの失われた都市」などとも呼ばれている。

現地人はマチュピチュの存在自体は発見される前から知っていたようで、アメリカの考古学者ハイラム・ビンガム3世がインカ帝国の失われた都市について、その現地人たちから情報を集め、1911年、探検隊を率いて探検中にマチュピチュを発見した。

精巧な石組みで造られたマチュピチュの建造物。都市の人口は500〜1000人程度だったと推測されている。
ではなぜこんな場所に都市が気づかれたのか?
アンデス文明は文字を持たなかったため、その詳しい理由や、首都クスコとの関係は正確なところは不明。ただ、マチュピチュの建設は1440年ごろに始まり、スペインの侵略を受けたころまで人が住んでいたが、その後突然見捨てられたとも言われている。

目的としては、マチュピチュは太陽を崇める神官たちが統治した一種の宗教都市であり、マチュピチュという都市自体が、インカの天体観測拠点であったという説があり、実際僕もそのように現地人の説明を受けた。
マチュピチュが天体観測拠点であれば何も遮るもののない山間部に構える理由もわかる。ただ、マチュピチュは単なる天体観測施設でなく、宇宙とのつながりを持つ場所でもあると言われている。

いざマチュピチュの中へ

マチュピチュの入り口で待ち合わせたガイドが30分ほど遅れて到着。
朝イチはそこま混んでいない。静かでまだ日が上がり始めている静かな遺跡の中を歩きながら説明をしてくれる。

まだ日が登っている途中で肌寒く静けさが残る遺跡の中

太陽の神殿

太陽の神殿の下部は陵墓と呼ばれている。特にミイラが発見されたわけではない。意味をなさない階段をわざわざ掘り込んだり、内部は洞窟状になっていて、飾り棚も造られていたり、かなり謎の建築物

曲線状に石が積み上げられている「太陽の神殿」。石を削った階段の意味が謎
奥の出っ張りがワイナピチュ
この大きな石、後ろの山を表しているらしく、シルエットが綺麗に重なっている
なんかかっこいいので拡大

ワイナピチュから眺めるマチュピチュの姿

ここでガイドともお別れしてワイナピチュへ向かう。ずっとみんなと楽しみながら、丁寧な説明を忘れず、みんなを喜ばせてくれたガイドには本当に感謝。そして彼ら自身もケチュア人なのでケチュアの歴史、言葉を教えてくれたこともありがたかった。

早速登り始めると、少し上り坂が急なので体力がない人はかなりしんどそうだった。途中日本だと鎖があるようなところにも鎖がなく、こういうところは適当なんだな、と思いながら登っていると意外とすぐワイナピチュの最終地点に到着。

マチュピチュが上から見え、とても小さく見える。山を切り開いて作り、自然の形に合わせるようにできている。こんな山の中に町があるというのが不思議。そして裏は絶壁になっている。
これくらい何も視界を遮ることなく天を広く見渡せる場所にあると、太陽、月、星と深くつながりのある生活になるのもわからないでもない。

「ハイラム・ビンガム・ロード」と呼ばれるマチュピチュへの道。急斜面の山肌を蛇行するように造られている。今はバスが通る道らしい。歩いて向かう時はこの道の横をずっとまっすぐ、時々渡りながら登っていく。

ワイナピチュから降りて、マチュピチュを通り過ぎて出口に向かい、下に降りていく。

斜面に広がる段々畑ではトウモロコシやジャガイモなどが栽培されていた

インカ時代の街の中を通り抜けて帰り道へと向かう。

スタンドバイミー再び。前日来た道を戻っていく。流石に2回目はみんな飽きていて、早く終わらないかな的な気分になっていた。こんなに不思議な経験をしているのにもはやありがたみすら感じていない。

今思えば素晴らしい風景と経験
電車はゆっくりだったので横に捕まってそのまま終点まで行けたかもしれない
2日目の集合写真。この1ヶ月後にボリビアのとある小さな村でこの中の3人と偶然鉢合わせる

今回はここまで。次回は年に一度のインカの大祭典インティ・ライミ。
クスコ、聖なる谷編もいよいよ終わり。

最後に曲紹介


RAÚL GARCÍA ZÁRATE(ラウル・ガルシア・サラテ) 「ADIOS PUEBLO DE AYACUCHO」ペルーのアヤクーチョ出身ギタリスト。

こちらは「VíRGENES DEL SOL」
「ADIOS PUEBLO DE AYACUCHO」とは全く異なる流れる感じが心地よい


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