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【ラテンアメリカ旅行 #17】🇧🇷独立運動の拠点地サルヴァドールから辺境の山岳地帯へ

短すぎた2泊3日のサルヴァドール


● 海を渡りサルヴァドールに到着

バハグランジ→カマムー(ボートで1時間)
カマムー→ヴェラクルース(待ち時間含め6時間)
ヴェラクルース→サルヴァドール(フェリーで1時間ほど)

カマムーからヴェラクルースのバスを探すのに苦戦し、到着時間もわからず何度もバスドライバーに確認した。

そしてヴェラクルーズに到着すると次のフェリーの出発まで10分しかなく、前後にバックパックを背負ったまま猛ダッシュして滑り込みセーフ。
チケット売り場の場所がわからないし、賭けで同じバスに乗っていた人の後をついていったら彼らもサルヴァドールを目指していたので助かった。

およそ8時間弱、ようやくサルヴァドールに辿り着いた。

サルヴァドールに渡るフェリーの上でサンセット。ようやく一息

● サルヴァドールについて

バイーアの州都で人口約290万人。
サンパウロ、ブラジリア、リオデジャネイロに次ぐ4位の大都市。
自分たちのことを男性はバイアーノ、女性はバイアーナと呼ぶ。

ブラジルでは同名の都市が存在するのでサルヴァドール・デ・バイーアと区別して呼ぶこともある。
1549年から1763年まではブラジルの首都で、ポルトガル人によってアフリカから連れてこられた黒人奴隷貿易の中心地となっていた。
バイーア州は今でも人口の80%がアフリカの血を引いた黒人か混血といわれている。

そのアフリカから持ち込まれた音楽などが独自の発展を遂げ、サンバの元となる音楽や、以前説明したダンスに見せかけた武術、カポエイラが生まれていく。

また、日本ではリオデジャネイロのサンバカーニバルが有名だが、実はサンバ発祥の地はサルヴァドールで、ブラジル国内ではサルヴァドールのカーニバルの方が好きな人も多いという。

リオ同様ホームレスがかなり多く、街中を歩いているだけでブラジルの貧困問題の大きさをはっきりと体感する。

● 弾丸でサルヴァドール観光

当初はサルヴァドールは観光せずそのままチャパダディアマンティーナに向かう予定でいた。
ところが、前日まで会っていたモデストが「チャパダディアマンティーナに友達がいて、お前のことを紹介してあるから連絡してくれ」とメッセージをくれた。
そしてその友人、ラファエルと連絡を取り、「週末は仕事だから日曜の夜にブルマドに向かいに行くので、サルヴァドールで時間を潰してほしい」ということでサルヴァドールに立ち寄ることになった。

ということで、早速街中を数日歩き回ってみたが、d世界遺産として登録されているサルヴァドール・デ・バイーア歴史地区も街並みがカラフルで歩いているだけで楽しい街だった。

WhatsAppで友人とシェアしていた歴史地区での写真データが消えてしまいショック。

ちなみに今回泊まっていた安宿はビーチから近かったので海岸沿いを歩きながらいくつかのビーチを見てまわった。どこも賑わっていて明るい雰囲気ではあるけど、今まで見てきたブラジルの海と比べ水の透明度が高くない。
なのでサルヴァドールは海よりも歴史や文化、建築、グルメなどを楽しむことがおすすめ。

サルヴァドールの滞在期間が短すぎて、ほとんど語ることができないが、この土地の音楽や文化はとても深く面白いので、次回はもっと長めに滞在してゆっくりと学んでみようと思う。

そして日曜の夕方、チャパダディアマンティーナ近郊の街、ブルマドまでラファエルが迎えにきてくれるということで、おんぼろバスでブルマドに向かった。

辺境の地チャパダ・ディアマンティーナ


● 新しい友人に初対面

バイーアのバスはブラジル南部やリオデジャネイロ方面と比べてかなりボロい。ガタガタ揺れるし、椅子の座り心地も悪い。
バスに揺られること約7時間、早朝3時半くらいにようやくブルマドに到着。
運良くスマホに電波が入ったのでラファエルに電話して10分後、初対面を果たす。

何もな苦薄気味悪い田舎のバスターミナル

「はじめまして。会えて嬉しいよ。よくここまで来てくれたね。疲れていないか?家に着いたら君の部屋を用意してあるからゆっくり寝てくれ。」とかなり紳士な人だった。家に到着すると、彼女のルシアナが出迎えてくれ、「この部屋はあなたの部屋だから、自分の家のように自由に使ってね」と言い、大きなベッドのある部屋に案内してくれた。

少し仮眠をとらせてもらい、起きると、朝ごはんを作っていてくれて、みんなで一緒に話しながら朝食をとった。
ラファエルは大学で法律を教えながら、週末だけ警察署で事件が起きた時の法的措置をとる際のジャッジをするような仕事をしているという。
ルシアナは大学で政治や社会学を勉強しながら弁護士事務所で週4で働いていた。

二人ともすごく優しく、最初から身近な仲間のように受け入れてくれ、「僕たちは君と一緒の時間が楽しいし、好きなだけここに泊まっていいからね」とまで言ってくれた。

● 山岳エリアに移動

ルシアナは昼から仕事に行き、ラファエルが「実は山の方にもう一件家があるので週末までそっちに行こう」といい車でリオ・デ・コンタスという小さな街へ向かった。

リオ・デ・コンタスに向かう途中、サトウキビジュースを絞ってもらっている

● チャパダディアマンティーナってどんなところ?

広さ:ちなみにチャパダ・ディアマンティーナは壮大なスケールの国立公園で、38000㎢ほどあり、国で例えるとオランダよりも大きい。

地形:テーブルマウンテンと言われる平たい山が連なり、風雨で削り取られたと見られるテーブルマウンテンの間にある深い谷や山々などの不思議な地形が特徴的。

歴史:チャパダ・ディアマンティーナの最初の住民はブラジル先住民であり、1844年、リオ・ムクジェ川沿いでダイヤモンドの巨大な鉱床が発見されるまでは、ヨーロッパの入植者はいなかったとされる。しかし、ダイヤモンドの鉱床が発見されて以来、移民が急激に増え、何千人ものダイヤモンドを求める人々が国中からやってきて、主要の町、レンソイスができていった。
*チャパダ・ディアマンティーナは『ダイアモンドの高原』という意味

自然環境:日差しがとても強く、乾燥していて、雨季がない。標高が1000m以上の場所が多いので日差しが強くても猛暑にはならない。
そして土壌にミネラルが乏しいため大きな木が育たず、生物には厳しい環境。岩陰に隠れていたり、他の植物に寄生して育っている植物など、植物も独自の方法で生き延びている。今後のストーリーで少し紹介するが、ここでしか見れなそうな奇妙な植物も多く存在する。

もう一つ僕が気になったのが、このエリアで見る川の水の色。茶色く濁っているように見え、底が深い場所では黒くも見える。これは枯れ木などのタンニンを含む成分が滲み出て色が変わっているのだそう。この水は上流(山の方)だと濾過せずに飲めるので、トレッキング中に川の水で補給できる。

チャパダディアマンティーなの特徴の一つ、茶色く見える水

● 公園で2度目のランチ

リオ・デ・コンタスに到着する前、「公園で美味しい魚が食べれるから寄って行こう」ということで公園に立ち寄った。車を止めるとたくさんの木や岩に囲まれた小屋があり、おばあさんが出てきて、テーブルに案内してくれた。

公園にあるレストラン

ラファエルが僕の分もオーダーしてくれ、ココナッツジュースを飲みながら待っていると出てきたのはバカでかい揚げた魚。塩で味付けされていて、ライムをかけて食べる。すごくシンプルだけど美味しい。
強いて言えば、玉ねぎとトマトのサラダの玉ねぎが分厚くちょっと辛かった。よく言えば野生的な料理。

仕事以外の時間は自然に触れているというラファエル。飾り気のないワイルドな料理が似合う
食後は公園内で水浴び

食事を済ませて水浴びをすると、「今度は友人宅の近所で水浴びをしながら夕陽が見れるいい丘がある」ということで再び移動。

友人がプールを作ったらしくそこで水浴び。水が冷たい

再び水浴びをしていると陽が沈んで空がオレンジ色に染まってきた。
そのタイミングで気温が下がってきて寒かったので着替えてラファエル宅へ再び向かう。

下の方にある町や周りにあるチャパダ・ディアマンティーナの山々を眺めながらの水浴び
チャパダ・ディアマンティーナの自然と同化している野人

夜はラファエルの友人たちと夕飯を食べ、ラファエル宅で就寝。
ここでも僕の部屋を用意していてくれた。
この後も人のつながりの出会いを大切にして信じられないほどのおもてなしをしてくれるラファエルからは本当に学ぶことだらけだった。

今回はここまで。次回はバイーアのアフロブラジリアンの新興宗教、ウンバンダの集まりに行く。僕にとっては異世界の体験となる。

最後に曲紹介


バイーアの州都、サルヴァドール出身のシンガーソングライター、Gal Costa(ガル・コスタ)の1973年にリリースされた『India』というアルバムの中の一曲『Pontos De Luz』。トロピカルでサイケデリックな雰囲気が心地よい。

ちなみにGal Costaは1960年台のブラジルの芸術様式と世界中のジャンルを融合させた芸術運動であるトロピカリアというムーブメントの中心人物とされている。


ラテンアメリカとは関係ないが2024/4/20に友人たちとテクノ界のレジェンドRichie Hawtinを見に行ってきた。その時のYouTubeが公開されていて、音の編集も素晴らしかったので共有したい。
これぞリアルテクノというとてつもない内容のShow。仲間たちもみんな大はしゃぎで最高の時間だった。


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