【ラテンアメリカ旅行 #09】🇦🇷🇧🇷イグアスの滝からブラジル国境越え
世界三大瀑布イグアスの滝
● サルタ・フフイ地方からイグアスの滝へ
サルタの街でAlexと別れたあとイグアスの滝に向かうためマイちゃんと一緒にサルタからプエルト・イグアスまで飛行機で移動した。飛行機が落ちるんじゃないかと不安に思わせるくらい揺れていて、今後の南米での飛行機の移動を躊躇するくらいだった。
● 飛行機で時々遭遇する乱気流について
● このフライトの後で知ることだがほとんどの揺れはパイロットですら予測できない乱気流によるもので、乗客は怖い思いをするが、パイロットは乱気流の訓練を受けているため心配はないのだそう。
● イグアスの滝とは
ブラジルとアルゼンチンの国境となる川(イグアス川)にある巨大な滝のことで、滝の80%がアルゼンチン側、残りの20%がブラジル側にある。ナイアガラの滝、ビクトリアの滝と並び世界三大瀑布の1つとされている。イグアスの滝は水量が多く爆音が響き渡りとても迫力があるため、悪魔の喉笛とも呼ばれている。
● イグアスの滝の地理感
このイグアスの滝はアルゼンチン、ブラジルの間に位置しているが、イグアスの街はアルゼンチン、パラグアイ、ブラジルの3カ国の国境に位置する。アルゼンチン側の街が『プエルト・イグアス』、パラグアイ側が『シウダー・デル・エステ』、ブラジル側が『フォス・ド・イグアス』である。
今回の移動はこちら。サルタとイグアスの距離感の確認程度に。この地図にはパタゴニアの南側すら見えていない。パタゴニアからここまででもかなりの移動距離だったことがわかる。
● プエルト・イグアスの街について
プエルト・イグアスの街はアルゼンチン側のイグアスの滝から18kmの場所にあり、イグアスの滝の観光客たちの拠点となっている。イグアスの滝は1500年代初頭にスペイン人の探検家によって発見されたがその頃のこの地域にはグアラニー族という民族が住んでいたとされる。
近年、観光向けに開発が進んでいて宿泊施設やレストランなど次々とできている。
プエルト・イグアスの宿泊施設はそこまで高い感じはしなかったが、観光地なので基本的に物価が高い。
気候は熱帯雨林に位置しているので、亜熱帯で湿度が高く蒸し暑い。植物や生物もジャングルの中に似ているため、派手な色の鳥や虫が多い。蚊よけスプレーはあった方が良さそう。
僕たちもこのプエルト・イグアスの街を拠点にしてイグアスの滝へと向かった。街中のバスターミナルから路線バスで、国立公園内まで向かい、鉄道で遊歩道入り口まで行き、そこから歩いて滝を見に行く。
● 滝に到着
結構暑かったが幸い晴れて周りがよく見えた。
とにかく水量が多く、水飛沫が上まで上がってきて辺りが白く、煙に巻かれたような感じになっている。そしてとてつもなく重い音がずっと鳴り響く。
せっかくなのでボートでのクルージングツアーに参加し、滝を下からも眺めてみたのだけど水の豪快さがよりよく伝わった。そして至る所に小さな虹ができていた。
クルージングツアーが終わると、パラグアイの国境付近を通過してPuerto Iguazuの街まで送ってくれるなんとも優しいツアー。
下の写真のお兄さんがガイドなのだが説明もうまく、動物がいたり、見どころがあると都度止まって時間を作ってくれる。
途中、密度の高いジャングル、滝、カピバラ一家が水浴びから上がるところ、パラグアイの国境など帰り道も飽きず見どころ満載。
そして街に着くと乗客と一緒にこのガイドも家に帰宅するという自然の中でリラックスして仕事を楽しむスタイルが良かった。仕事はもちろんしっかりしつつも、お客さんたちも仕事仲間のような感覚で仕事ができるのは素晴らしいと思う。
ふと思い出したのだが、意外と日本で身近にも山岳ガイドとして百名山に登りながら、仕事を楽しんでいる知り合い(父親の大学時代からの山登りの仲間)がいる。その方からはパタゴニアの情報をいただいたり、地図をいただいたりお世話になった。去年も山岳ガイドでネパールに行き、ガイドの仕事が終わると、ついでにそのままネパールに残り、登山して帰ってくるという自由な働き方をしている。
● ついにブラジルの国境へ
このプエルト・イグアスから僕はブラジル側に渡り、フロリアノポリスという海沿いの街を目指す。そして久々のサーフィンが待っている。
マイちゃんはここからパラグアイに向かうのでここで一旦お別れとなる。
彼女はパラグアイの後はメキシコに寄って、帰国することになる。僕よりも20歳くらい若いのに何故かお母さんのようなところもあり、勢いと吸収力の速さにはすごく良い影響を受けた。帰国後、2024年1月末、僕たちは東京で再会し、お互いの近況や、旅行話をシェアし、マイちゃんは2024年2月頭から再び南米に向かった。このブログを投稿した2024年4月の時点ではまだアルゼンチン北部にいた。
ブラジル側の国境ではバスの乗り換えがあり、わけもわからず乗っていたバスを下ろされてしまう。誰に聞いても「知らん」か、「タクシーで行けば?」と言われ、話が進まない。
しばらくすると同じような境遇の他の旅行者たちに会い、彼らがバスで行けると教えてくれたので一緒に30分ほどバスを待つ。
バスが到着すると再びブラジル側のフォズ・ド・イグアスのバス停に向かうのだが、渋滞にハマり予定していたフロリアノポリス行きのバスに間に合わなくなってしまった。
いざバスターミナルに到着すると別の会社だったと思うが、タイミングよくフロリアノポリス行きのバスがあったのでチケットを買ってそのまま乗車した。所要時間は15時間ほど。この時点ですでに長距離バスにも慣れて、スペイン語の勉強をしたり、寝ているとあっという間に着いてしまうのでどうってことない。
隣の席には偶然パラグアイ人のアミーゴが座っていてので話をしていると、彼はパラグアイでは仕事がなく、仕事を探すためブラジルのフロリアノポリスに移住するのだという。パラグアイもまた経済的にあまり良い状況とはいえないことが伝わってくる。
そして途中でバスが停車し、レストランでご飯を食べるのだが、何を食べたら良いかよく分からず、パラグアイのアミーゴが美味しいものをお勧めしてくれた。再びバスに戻り、眠りにつき、目が覚めとほぼ同時にフロリアノポリスに到着。
今回はここまで。次回はフロリアノポリスでのサーフィンと半島ならではのトレッキング。
Milton Nascimientoの1972年にリリースされた『Clube Da Esquina』というアルバムの中の一曲目『Tudo O Que Voce Podia Ser』(あなたがなれるすべて)という意味。無限の可能性と個人の中にあるまだ到達していない可能性について、私たちには望むものすべてになる力がある。というような内容を歌っているらしい。
僕にとって内から込み上げる生命力を感じるため、普段からよく聞く一曲。
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