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悟りとは知識でなくてひとつの経験である
Dear Me
俯瞰的に見ることができるようになると 少し息苦しくなることがある
これは生きているステージがあがってくると 起こりうる現象のひとつだ
物事の道理がわかってくると
色んな現象の先々の見通しがある程度できるようになったり
関わる人たちの行動のひとつひとつに
心の在り方の状態がうっすらと感じ取れるようになる
そうすると 一気に熱が冷めてしまったり つまらなくなる
心の中が手に取るようにわかると
その物事に振り回されない自分がいるから
ネタバレされた推理小説を読むことに近いのかもしれない
そうすると自分の目の前の出来事が 一気に新鮮味がなくなってしまう
それが面白くなくて
人はステージが上がることに 二の足を踏むのだろう
もっとドラマティックに生きたいと
予想不可能なサプライズであふれた人生にしたいと思っているから
人生をドラマティックに 面白おかしくする方法は
ここから先が勝負なのだと思う
ここからが本当の俯瞰が始まるのだ
私の流儀を創ることが
このステージに上がるためのポイント
アナタノジンセイハ マダマダハジマッタバカリ
数年前に書いたブログだけれど
言い得て妙だと、思う(自画自賛タイプ)
物事の道理がわかってくると
ネタバレされた推理小説を読んでいる感覚になる
世界はそれくらい実は単純で
法則にのっとっている
だからこそ
いくらでも自分でCreationできるってことだ
けれどよく言われることは
自分(の気持ちや行動)は変えられるけれど、
他人(の気持ちや行動は変えられない)ということ
想像違いのこともしばしば起こる
検討はずれも期待外れももちろん起こる
なんせ自分の【枠】の中でしか
想像も検討も期待もできないからね
結局はどれだけの経験を積むか、しかなくて
どれだけの他者とか関わるかしなかくて
どれだけ器を拡げられるか、しかない
知識だけではどうにもならないということを知る、という経験も
必要なのだろう
マダマダ ケイケンブソク、
と思ってくるらいでちょうどいい
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