「すきなこと」ってなんだ?
「すきなことをやろう」みたいな話がここ数年増えている気がする。自分も大賛成。現にそういう風に生きてる。
すきなことを肯定する方法はたくさんあるし、人それぞれ。でも今回ははたらくことにおいて「すきなことをやる」について考えてみた。
なんですきなことやるんだ?
数年前、中学生向けに職業講話をする機会があり、「すきなこと」について考えたことがある。「てかそもそも俺はなんで”すきなことをやること”を肯定的に捉えてるんだ?」と。そう、別にぶっちゃけすきなことをやらなくても生きてはいける。そこまで言ってしまうと個人の価値観の話なのだが。
その時自分が中学生に理解してもらえるように、考えをまとめたスライドがこちら。(そもそもはたらくことが前提なのは、職業講話だから。自分の職業の話をすべきなのだろうが、そもそもどうはたらくのかを伝えたかった。笑)
はたらくって人生の半分くらい占めるよね、だったらすきなことやろうという話に着地した。というか自分もそう思っていた。人生の半分を占めるはたらくという行為、すきでもないことをやり続けるのは自分にとって地獄でしかない。
じゃあすきなことってなんだ?
これについても数年前に考えたことがあった。会社員時代、一番の壁にぶつかったときだ。
その時はもはやはたらくことに対しても否定的だった。夢とか希望でギラギラしていた自分からは想像もできない思考が生まれた。
「はたらくのがこんなにも辛いなら、はたらきたくない。夢とかどうでもいい」と。
あまりに自暴自棄だったとは思うが、本当にそう思った。はたらくことを意思を持って選択しているなら、悪く見られがちなニートだって実は素晴らしい生き方じゃないか、と。(今でもそう思う。そこに意思があるなら。)
それでも思い悩んだ結果、自分ははたらき続けるという選択をした。何もしていない自分は、自分らしくないと思ったし、それでもやっぱり何かしたい、はたらきたい、動きたい、希望を持ちたい、充実したい、成し遂げたい、前をむきたい、そう思ったからだ。
じゃあ何をやるのか。努力をしても、ひたむきに頑張っても、はたらく上でどうしても辛いことに直面するのはわかった、それは受け入れる。それを理解した上で何をやるのか。
「すきなこと」
だと思った。すきなことなら、辛いことも打ち消す力があるかもしれない。すきなことなら、耐えられるかもしれない。前を向けるかもしれない。
じゃあ「すきなこと」ってなんだ?
答えは明確だった。それは「続けられること、続けてきたこと」だ。自分はこの世で一番難しいのは「続ける」という行為だと思っている。全てにおいて続けるというのは、相当難しい。にわとりたまごかもしれないが、続けられなければすきではないし、すきでなければ続けられないのだ。
じゃあ河野は何がすきなんだ?
自分のすきは、たくさんある。はたらくことは自己表現だと思っている。自己を少しでも表現できるようなことが、自分にとってすきなことだ。
幸い、今はそんな風にはたらけている。写真を撮ること、映像をつくること、ロゴをつくること、アイデンティティを言語化すること、など。自己から生まれる表現だけではなく、一緒に向き合う相手の想いと交わり、和えながらつくられていく表現がすきだ。これからも続けていきたい。
そして、もう一つ。25歳のときに出会った「すき」がある。それは日本のモノづくりだ。JapanMadeという新規事業を立ち上げて、どんどんハマっていって、今もなお続けていること、それが日本のモノづくりに携わることだ。
続けていることだから、すきなことだと自信を持って言える。歳を重ねてから出会うすきも、あとから気付くすきも、生まれてこの方なぜかわからないけどずっとあるすきも、いろんな形のすきがあるとは思う。でも「本当のすき」に共通しているのは、続いているということなのではないだろうか。
なんですきについて書いたん?
友人の高橋 奎くんがこんなプロジェクトを始めたのだ。
純粋に彼の想いに共感したし、純粋に真っ直ぐ実現を目指す姿に、協力しないという選択肢はないなと思った。(普段はあんまり積極的に参加したりしないけど…!)
趣旨とちょっとずれるかもしれないが、自分はそもそもすきってなんだっていうことや、はたらく上でなぜすきなことをやるのがいいのか、という持論を綴った。
このプロジェクトに参加している方々のnoteはどれも素敵だし、純度の高い想いが詰まった文章なので、読んでいて心地がよい。人のすきって感情は、きれいだなと思った。
まさに奎くんの言う通り、「 #好きは無敵だ 」これに尽きる。
プロジェクトの詳しい概要はこちらから↑↑