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【平沢進】平沢進講演会(1996.10.27.SUN 女子美術短期大学)

▼更新(2021/10/21)
・話が長すぎるので削いでいたエピソードを全体的に大幅加筆
・補足も全体的に追加
・SCALAのことをずっとPixoundと書いてました。すみません!

【概要】

平沢進講演会
1996年10月27日(日)女子美術短期大学 4号館 441教室
開場:15:00 開演:15:30
完全予約制:1,000円(200人限定)

▼当時の告知ハガキ(出典:平沢博物苑
http://www.pinkytrick.com/p/img/flier/1996kouen.jpg
▼当選ハガキ
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女子美術短期大学の学園祭にて行われた「平沢進講演会」。
回数は銘打たれませんでしたが、1994年10月28日(金)にも同場所・同タイトルにて開催されているので、第2回目となる講演会です。

第1回については、HB会報15号に詳細レポがあります。主にAMIGAによるCGやPHOTON(ギターではなくCG作品集のほう)の話がメインでした。

その時の「またこういうお話を聞ける機会を是非…」という司会の方の話に対して「(ファンの人たちは)話題は何でもいいんですよ」と仰ってましたが、ハイその通りです!

なお、当時としても「平沢進講演会」の字面感は、だいぶジワる感じでしたのでご安心ください。(?)

【オープニング】

大学の教室なので、客席は床に固定式の硬いイス(座面を下げて座るアレ)と、同じく固定式の長テーブルでまさに講演会。ペンとノートを持ってた人も多かったです。平沢先生!

チラシなどには書かれていませんでしたが、今回の主なテーマは「インタラクティブ・ライブ」。司会のお姉さんがまだ前説中だったのに、何故か出てこようとした平沢さんが、再度ドア向こうに慌てて引っ込むという大変心温まるシーンを挟みつつ、スタートです。

なお講演中、平沢さんは
「インタラクティブ・ライブ」
「コンピューター」(※この単語の語尾は絶対伸ばす男ヒラサワ)
「コンピューターグラフィック」
と、一切略さずに仰ってましたが、記事上では適宜縮める&現在の一般的な略称にします。「PC」ではなく「コンピューター」と言う所に(時代的な)意味があると思いますが、現在ではほぼ一緒だと思うので「PC」とします。

「ライブ」表記も、当時は公式でも「ライ」と書かれる事の方が多かったと思いますが、「ブ」で統一します。
ちなみに平沢さんはAMIGAのことは「パソコン」とは言わず「AMIGA」と正しく言います。人に説明する時は「コンピューター」と言い換えてましたね。

※「コンピュータ」と語尾を伸ばさないのは気持ち悪い、とご本人が別件で答えていましたが、書く時は案外「コンピュータ」って書いてたりするので、その辺は大目に見てあげてね!

スクリーンを背にして司会の方が下手側、平沢さんが上手側で距離を空けて(スクリーンを挟むように)パイプ椅子に座り、図解やライブ映像を交えつつの進行でした。映像担当は当時のマネージャー。司会の方は第1回の時と同じお姉さん。

【なぜインタラを始めたか】

という訳で、まずはインタラを始めるきっかけについてのお話から。
以前からライブで自作のCGを流したりしていた平沢さんですが、それでは流すだけ・見せるだけのものに留まってしまう。

「ライブは『お客さんとの場を作ること』なので、その為にPCで出来ることはないかを考えた結果、生まれました」

これより以前のライブでも、ここから何十年後のライブでもそうですが、平沢さんにとってライブは「観客とのコミュニケーション」なんですよね。インタラがなぜ生まれたかを、改めて2020年から考えると、ちょっとハッとします。

【20人の重いトビラ】

1994年当時のインフラでは、PCを使って何かをしようとするとオオゴトになりやすく、一番最初のインタラはPC周りの事だけで、何と20人ものスタッフが必要に。これに加えて通常の音響スタッフ・舞台スタッフも発生するとなると、かなりの巨大プロジェクトになってしまいます。

「これでは僕の考える
『軽いフットワークでのお客さんとのコミュニケート』
が取れないと感じた」

これを何とか1人で出来ないかと考えた平沢さん(!)。普通なら20人分のタスクを1人でやろうなんて考えもしないところですが、そこは我らが孤高のカリスマ、

「僕には妙なアマチュア根性があるので、別のやり方で何とかなるんじゃないかと考えたわけです」

よっ!アマチュア!マイナー!ステルス!唯じゃないほう!
26年前からリスクの多そうな未来をわざわざ選ぶ男!

【AMIGAでやっつける】

という訳で別のやり方で何とかしてしまった結果、AMIGAが大活躍。
音として入った信号を、別のソフトの指令に置き換える事が出来るソフト(SCALA)を使い、
・8の音量ならこのCGが発動する
・10の音量ならこのCGが発動する
と指示する事で、今ではお馴染みの「声援でトビラが開く」ホットポイント(ストーリー分岐の選択イベントのこと)が、AMIGAだけで実現可能に!

このインタラとAMIGA周りの話は平沢さんのエッセイ「来なかった近未来」でまとめられているので、まだ読んでない人は是非。
当時買った人は読み直してみると、最近の平沢さんからあまり感じられなくなった右往左往ぶりに、不思議と元気が貰えます。(?

「来なかった近未来」
https://shop2.fascination.co.jp/products/detail/2
著者: 平沢進
発行・発売元: 株式会社ファッシネイション

こうしてインタラのシステムをAMIGA1台で賄ってしまった結果、初開催である1994年3月「AURORAツアー」では20人かかっていた労力を、3か月後の1994年6月「Tokyoパラネシアン」では、2人までに減らしています。文字通りの桁違いに…!

ちなみにこの講演会から10年以上先のインタビューでも

私はいつも「引き算」を心がけます。
「引き算」することによって、効率とエネルギーが「足し算」されることもあるんですよ。

(2007年 ECO JAPAN〈エコジャパン〉 - nikkei BPnet 環境ポータル)

と仰っていたので、ほんと平沢さんの芯のブレ無さすごい。
現在でもこの姿勢は一切変えてないですもんね。

【すすむくん がんばって】

続いて背後にあるスクリーンでは、過去のインタラ映像から「声援でトビラが開く」シーンを紹介。司会の方に「トビラのデザインも大変凝っていて…」と言われた平沢さん、どうやらそれが大和久さん(1995年から参加)のではなく、ご自身がAMIGAで作った時のトビラだったらしく、

「デザインと呼べるかどうか…20人でやってた事を1人でやったので……動けば………動けばそれで…デザインまでは………」

そんなに言い淀むほど納得いってなかったのですか…。
他にも、

司会「(歓声の声量メーターが)欽ちゃんの仮装大賞のような…」
平沢「当初から言われております」

あの番組を知ってるだと…?(シッ)
最初は円グラフにしようかと思ったそうですが、やはり高さで比べる方が観客も平沢さん自身も分かりやすく、作るのも簡単とのこと。

司会「(SIM CITYの時のトビラの)この文字は…?」
平沢「『牛肉を食べないで下さい』です。」

デザイン的にタイ語の文字が入ってて欲しかったそうですが、当時はこの一文しか知らなかった為、これでタイ情緒を醸し出したとのこと。w
いやストーリー的に結構大事なワードでしたけど、そんな扱いでしたの?!

司会「(色々な映像が流れるので)どれがどの時か覚えてますか?」
平沢「わかりません」

※平沢さんが自分のやった仕事を「覚えてない」と言うのは、もはや鉄板ネタのようなものです(語弊)
とりあえず「トビラがカクカクしてるのはスタッフ20人の時」だそうで、そう考えると毎回あんなにスーッと開かせたAMIGAは本当にすごいですね…。

【インタラのインターフェース紹介】

続いてはインタラならではのインターフェースの紹介。

■バルーントリガー
1996年9月「架空のソプラノ」で観客の手によって客席を転がった、大玉ころがしのようなサイズのバルーン。気象観測用のものだったそうです。
この時は会場内に設置されたセンサーをくぐらせることで、観客が平沢さんの楽曲と「合奏が出来る」というものでした。

1998年「WORLD CELL」では、音が出る機能はそのままに、会場側が「橋を架ける」アクションの為のインターフェースとして再登場しています。

初出は1994年12月のI3DAYS「アディオス・ジェイ」だったと思いますが、その時に何がしかのアクションがある用途で使われたかは、ちょっと忘れてしまいました。

こちらは当初「叩くと音の出るバルーン」として準備し、バルーン自体にセンサーを付けるつもりでいましたが、購入後にそれが諸々不可能と判明してしまい、どうしようと思案した結果、会場側にセンサーをつける事にした、とのこと。

といってもそこは我らがコンピュータ・エイジのカリスマ。大掛かりな機械設備などではなく、秋葉原で売ってるような安価な光電センサー(朝日が当たると鳥の鳴き声がするというような)キットを買ってきて、それを「光が遮られると反応する」ように設定。

あとはステージからレーザーを発射してその先にセンサーを設置、センサーのスイッチはサンプラーの中に突っ込んでおけば、バルーンがセンサーを遮る度に音が鳴るというシステムが完成。
どうですか、実現不可能と分かってからの、この対応力…!

■緑の神経網
ステージから投影された緑色のレーザーを、観客が各自家から持参した鏡を使って次々とリレーしていき、最終的に任意の的(選択肢)に当てるというもの。

これもバルーン同様、初出は1994年12月のI3DAYS「アディオス・ジェイ」、そして1996年9月「架空のソプラノ」でも使用されました。

ライブに行くのに、自分の身だしなみ以外の理由で大きめの鏡を持っていくことって普通あります?あったんですわよ。
事前に公式インフォメーションなどで「鏡を持ってくるように」という通達がありましたが、情報流通がアナログだった時代なこともあり、FC会員でなかった人は「何で皆そんな都合よく鏡持ってるの???」だったとか。

さて、インターフェースの成果としてはどんな感じだったかと言うと、

「リレーせず、すぐ当てたがる人が多くて…」
「僕からのレーザーがリレーしていくサマは、さぞキレイだろうと思ったのに…」

講演会なのに不満たらたらでお説教される我ら。

実は初出の「アディオス・ジェイ」(新宿リキッドルーム)では
「ライブハウスの規模で成功したらホールに持っていく」
と仰った上でチャレンジしたのですが、その日の結果は全然ダメ(的には当てられたけど、全然リレーが出来なかった)。

にもかかわらず2年後のメルパルクホール(架空のソプラノ)に果敢に持っていきw、そしてやっぱりリレーがマトモに成功せず、という苦難の歴史を持つ緑の神経網。この「架空のソプラノ」ツアー終盤のMCでは、

「何のために今日まで社会性と協調性を学んできたのか」
「私の位置から見るのが一番きれいなはず」
「皆さんはさておき、私は見たい(ので頑張りなさい)

などと、我々は散々な言われよう。w
これ以降一切登場していませんので、唯一ライブで1回も成功してないインターフェース、ということになりますね…。

「今日の講演会で練習させればよかった…」ともボヤかれたので、心底見たかったんですね…。いや何かほんとすみませんでした…。
「次回(の講演会)は鏡を持ってくるように」と念を押されましたが、残念ながら第3回は開催されませんでしたね。

「レーザーのリレーってそんなに出来ないもんなの…?」と思われる方も居るかもですが、やってみると洗面台レベルのデカい鏡が必要だと分かる上に、何より有象無象が人力だけで急にできる芸当ではないんですよ!w

その後、ファンクラブの名称(「Green Nerve」)に採用されています。

■カメラのフラッシュ
1995年9月「SIM CITY」で使用された、観客が各自家から持参したフラッシュ付きカメラを使って選択するもの。
もちろん、指定ホットポイント以外でのフラッシュおよび撮影は厳禁。公式インフォメーションや、事前(確かCD発売イベントの時?)にチラシが配られ、フラッシュ付きカメラの持参が呼びかけられました。

▼事前の呼びかけチラシ(出典:平沢博物苑
http://www.pinkytrick.com/p/img/flier/thum/1995interactive_2_th.jpg
▼当日会場で配られたイントロダクションと注意事項(出典:平沢博物苑
http://www.pinkytrick.com/p/img/flier/1995interactive_3.jpg

チラシが怪文書過ぎますね!

当時は、特に会場がホール形式であれば
・入場時にバッグを開けて、係員に撮影・録音機器の持ち込みがないか目視で確認させる(中を軽くガサガサされることもある)
・見つかれば没収(受付預かり)
が絶対だったので、カメラ持込がOKというのは、なかなか衝撃的です。

デジカメが一般的ではない時代(民生機ではQV-10が出たばかり。一番安くて7万円近く、フラッシュも内蔵されてないような時代)だったので、フィルムカメラの人しか居なかったと思います。一眼レフのストロボパーツのみを持参する強者もいましたが、当時ライブに参加した人は大体みんな謎写真ないし謎ネガを持っているはず…

画像2
※拡大しても平沢さんは写ってません&ホットポイント以外はもちろん撮ってません。他の方の背中が大きめに写り込んでるのは、全席指定でもライブ中は最初から最後まで立つのがスタンダードだった頃の為です。

ライブでは『より強い光が当たった層が解凍されます』という説明でしたが、この「光量で決まる」的な説明は実は正しくなく、本当は「光った回数」で決まっていたとネタばらし。なので本当は、一斉に焚くよりも回数を刻んだ方が任意の選択肢を選べたそうです。

インタラのスクリーン上の文字は、その場でパッと見て理解できるよう簡潔な文章にする必要がある為、分かりやすさを優先したとのこと。

「これも合図をした後に焚けと説明しているにも関わらず、気の早い方が多く…」

はい……(シュン)

光量を感知出来る機械はとても高価なので、機能的には先ほどのソフト「Pixound」がまたしても大活躍。センサーに光が当たった回数を、他のソフト(SCALA)に教えてCGを動かす役割をさせたとの事で、ほんと何なんですかAMIGAのソフト達は。

【インタラで弾いてた変な楽器紹介】

ここで話題は変な楽器紹介へ。(※講演では「変な」とは言ってません)
インタラ本番で実際に使っている映像を流しながらの解説でした。

■チューブラ・ヘルツ
インタラ以外でもお馴染みだったチューブラヘルツ。
名の由来はマイク・オールドフィールドのアルバム「チューブラー・ベルズ」ですが、こちらは「チューブラ」と、語尾を伸ばさないのが公式。

CASIOのFZ-1(シンセサイザー)の上へパイプオルガンのように鉄パイプを立て、それを手前に倒すことで物理的に鍵盤を押して音を出すという、平沢さんの自作楽器です。

「素直に弾けばいいものを、わざわざ不便な状態でやってます」

みんなが思ってた事をご自分で言わないでくださいね!

しかも何故か本体に片脚を掛けて演奏する(ロックギタリストがアンプに脚を掛けて演奏するあの感じ)というワイルド奏法でしたね。
インタラでは演奏することで敵を倒せます。

■YAMAHA Miburi M3
2003年ぐらいまでに平沢さんを知った方なら大体ご存知、ヤマハのミブリ
センサーの付いたウエアを身に着けることで、身体の動きが音楽を奏でるというもの。

使い始めの頃はデフォルトのウェア(グレーのメッシュ素材でセンサー丸見え)で使用してましたが、後年はアーティストイメージに合わせて黒い服へリメイクされていました。もしかしたらR3版(音階ではなくパーカッションタイプのMiburi)ウェアの、胸のYAMAHAロゴを消して着ていたのかもですが。w

画像3

通常の演奏方法は「LIVE SOLAR LAY」で観られます。
どこが通常なんだと思われるでしょうが、改訂P時代の「カメアリポップ」よりはだいぶ通常です。(?)

定期的に誤解を見かけるので書いておきますが、写真左側のスピーカーみたいなやつはサウンドユニットと言って、電源や音源が搭載されているもので、外部音源で使用する際にも必須の、Miburiの「本体」に相当するものです。付属品のスピーカーではないのでよろしくお願いします。平沢さんが胸につけてたユニットが本体だと思ってる方も多い気がしますが、あれはサウンドユニットとの中継機のようなものです。(しかも本来は腰に付けるものです)

これも平沢さんがサウンドユニットあんまり見せないようにして使うからだよ!YAMAHA感凄くてステージで浮くからしょうがないけど!

なお、2001年に開発プロジェクトが解散しました。(合掌)

こちらも演奏することで敵を倒せます。すごいね!YAMAHAの楽器で敵を倒してたの、宇宙でただ一人、平沢さんだけですよ!
後の1998年10月「WORLD CELL」では、スクリーン上の映像を操作するインターフェースとして活躍します。

これは市販されているのかと司会の方に訊かれ、非常に高価な楽器(※店頭で安くて30万弱ぐらい)で…と前置きした上で、

平沢「そこで、Air Miburiというのを考えました」
司会「えあーみぶり…?」
客席「(
えあーみぶり…?)」

▼平沢さんのかんがえたAir Miburi
・体に空気の通るパイプを張り巡らす
・肘を曲げるとそこがハーモニカの弁のようになる
・演者の身体の動きに合わせ、節々からハーモニカの音が鳴る
・本家のMiburiではコントローラーを手に持つが、Air Miburiではポンプを押すと動くおもちゃのカエルを持つ
・あとはショーアップの為にダミーのカエルもあちこちにあしらう🐸

インタラの基本理念は「Poor Tech、Rich Performance」なので、20人ものタスクを如何に1人でこなすかということから始まり、AMIGAや安価なキットを使用することに繋がり、究極は「Air Miburi」という技術になるんだというお話でした。w

なお、そのカエルの衣装は「私は着ません、お客さんに着させます」ということでしたので、緑の神経網リレーで散々失敗した我々は、今後いつでも着れるよう、そしてそれで敵を倒せるよう、覚悟しておきましょうね…🐸

【コミュニケーションとしての場】

このように無駄を省き、奇怪なものすら取り入れ、チープなテクノロジーも厭わず、誤用を楽しみ、時に振り回され、しかしショーアップは譲らないというのは、P-MODEL結成当時からの平沢さんの一貫したスタイル。

チューブラヘルツや、グラヴィトン(手回し発電式シンセサイザー)、レーザーハープなど(そして既製品とはいえMiburiも)、自作楽器をはじめとする非常に面倒くさそうn…(オホン)独特な機材は、全てショーアップのため敢えて使用している旨をインタビューで答えています。

端的に言えばショーアップのためなんですが、身体性の獲得みたいな考えから出てきています。 打ち込み系の音楽はライブでも身体性が希薄じゃないですか。身体を動かさないとライブ感を共有しづらいし、かといってダンスするわけにもいかない。 そこで、実際は小さな指の動きで済んでしまうような動作を拡大して、必然的に体が動くようにするという訳です。

(2013年 イケベ デジタルタワー「平沢 進・激烈インタビュー)

他にも「動作を大きくすれば観客の反応も大きくなって舞台に返ってくる。同じ動作でも、観客が居ることで次はどう動こうか考えるようになり、ライブ感が生まれると考えている」という趣旨のことを仰っていたので、平沢さんが如何に「ライブは観客がいて成立するもの」ということを念頭に置いているかがよく分かります。

我々に対して何一つ手を抜かず、そして「一方的に与えるのみではない(双方向の)コミュニケーションの場」であるライブを突き詰めたのが、観客が物語へ(分かりやすく)介入出来るインタラクティブ・ライブなんだなと思います。

「インタラは道楽です」と仰っていましたが、何て素敵な道楽でしょうか。

【今後のインターフェースについて】

会場内での温度や、重さによって決める選択肢とか、あとは観客が自分の家のTVリモコンを持ってきて貰うことで何か出来ないかを考えているそう。

温度や重さについては、例えば会場を2つに仕切り、観客が自分で体温を上げたり、温かい何かを持ち込んだり、服をたくさん着込んだり、重いものを持ち込んだり等々、ホットポイントについては「アイデアが限りなくある」との事でした。

平沢さん曰く「いかなる手段もいとわない」方法でやってもらうつもりだそうで、それはまたインタラならではの、オマエタチただ座って観てるだけで済むと思ったかスタイルが存分に発揮されますね…。

とにかく「いかにお客さんがお金を使わず出来ることはないか」という事を念頭に置いているとのことで、ちゃんと場に参加しやすい方法を考えてくれてるんですね。

この時は携帯電話も使ってみたいと仰ってましたが、これはその後、2000年2月「賢者のプロペラ」で概ね実現しました。(1996年9月「架空のソプラノ」時のバルーン同様、ホットポイントではなく合奏的なものでした)

それにしても使用制限があるとはいえ、本番中にカメラ持ち込みOKといい、携帯使用OKといい、ライブの常識からの逸脱がすごいぜインタラ。

【インターネットとライブ】

インターネットとライブは相性が良いかというと(1996年当時のインフラでは)やはりまだちょっと厳しいという話をしつつ、ならば逆に「繋がらないなりの使い方や良さ」みたいなものはないか、インターネットとライブの連携は模索中だと平沢さん。

この模索はその後、ネット上のオリエンテーリングや在宅オーディエンス、現在ではほぼ恒例となったライブ中継に繋がっていきます。
2001年のHirasawa Energy Worksの時にも「ネット中継ってどう思う?やったら観る?」的なアンケートが取られていましたね。

90年代後半は「ヒラサワはインターネットに繋げない人間を置いていくのか」論争などもありましたが、この頃に平沢さんと我々オーディエンスの関係性を新たな良いフェーズへ移したのは、間違いなくインターネットです。そしてそれは平沢さんが「ここへおいでよ」と場を提示し、我々を巻き込んで模索し続けた結果です。

インタラの宅オに至っては「会場に来れない人達」が居なければライブ進行が全く成り立たない訳ですから、平沢さんは会場にいる人はもちろん、会場に居ない人たちもみな等しく自分のオーディエンスである、と認識してずっと向き合ってきたのだと思います。

【作者退場】

1996年9月「架空のソプラノ」からは、ホットポイント時に流れる音楽は自分で作るのを辞めて、ネットの知らない誰かに送ってもらう方式に。この当時はまだMP3技術は存在しないので、インフラも加味するとやり取りは相当大変だったことでしょう。

このユーザー参加スタイルは、のちに1998年10月「WORLD CELL」でも行われ、その時はMODファイルがやり取りされ、応募作品に対しては平沢さん、福間さん、ツイフォニウムからの寸評などもWebに掲載されました。

ちなみにこの寸評、平沢さんだけ評価がやたら厳しく「作り込みすぎてて物語の入る隙間がない」「使いにくいのでボツ」等々、福間さんたちのコメントとはすごい温度差でした。w

SEを自分で作らない上に「むしろ送られた曲に合わせてホットポイントを作った」というwこの新たなスタイルですが、そのように「作者とお客さんとの境界が曖昧になっていくのが面白い」と平沢さん。

「PCを通じて見ている人も(インタラの)作者になりうる可能性がある」
(インタラは)今までのライブの作り方とは全く違うところから作られているので、そういうパフォーマンスの崩され方を見ていけたら良い」

これ1996年の発言ですからね!
そして2012年11月「「Aria」歌詞ネットスタンダード認定祭」や、2013年1月「ノモノスとイミューム」の頃にもあった、「作者退場」の話に繋がっていきます。

平沢さんあなた2020年になってもまだ崩し続けてますよ!
故に我々も、この姿勢に対しリスペクトを欠いてはならないと思います。

【質疑応答】

最後は質疑応答コーナー。

■ハシゴを架ける民はSC*L*(※伏せ字)のジャケのパクり?
→「はいそうです」

ハシゴを架ける民とは、1994年6月のインタラ「Tokyoパラネシアン」で初登場するキャラクター(演:平沢)です。**A*A(※伏せ字)というAMIGAのオーサリングソフトのジャケットに描かれている梯子の絵と、収録されているデモムービーをパk……モチーフにしています。

その後、ハシゴを架ける民は1994年10月の第1回万国点検隊、1995年9月「SIM CITY」でも登場します。

PHOTONの次回作はいつ?
→「暖かくなったら」

一向に暖かくなりませんでしたね…。(出ませんでした)

この時の「PHOTON」とはオリジナルギターの名前ではなく、平沢さんがAMIGAで作ったCG作品をVHSで頒布する会員限定サービスの名称です。「Hirasawa Bypass」(当時のFC)ではなく、「PHOTON」に加入する必要があり、専用の会員番号が発行されました。

第1期は3本発行、第2期も特典付きで会員募集が行われましたが、平沢さんが多忙すぎて1本しか作品が出せず(しかしお代は2本分で前払い徴収済)、その後96年後半は平沢さんが心身疲弊で倒れるなど諸々あり、97年に事務所移籍になり…。

前事務所からの引継ぎで「平沢定期便(グッズのサブスクサービス)(オイ何だそれは)」は補填されましたが、PHOTONは特に引継ぎ対応が無かった気が(私が見落としているだけだったらごめんなさい)。平沢定期便の方の引継ぎも、前事務所の対応がかなりアレだったそうなので、新事務所としても打つ手なしだったのかも…。
(しかし最終的に平沢さんが無事だったのなら、PHOTONの件はもういいよ…というファンの方が多かったんではないでしょうかね…)

曲を作る時は作詞が先?作曲が先?
→「大事なのは締切」

流石プロフェッショナルでいらっしゃる。(?)
メロディーよりもアレンジが先になる事もある、とのことでした。

Miburiの元の音源使ってないですよね?
→「MIDIでサンプラーやシンセに繋いでその音源を使ってます。ヤマハの担当者は頭を抱えてます」

P-MODELで一番最初に登場した時に、1種類だけ内蔵音源をそのまま使っていたような記憶がありますが、やはりヒラサワ的ではない音ばかりなので、すぐにそのようになったようです。

当時、Miburi開発チームの方が「内蔵音源は全てMiburiの為だけに新しく作ったものなので、本当はあんまり外部音源は使ってほしくない…けど確かに(激しい音楽演奏には)ちょっと向かないので…」と言葉を濁していたのを思い出します…。(なぜそんな話を知っているかと言うとMiburiを持ってたからです)

ミブリの演奏難しくないですか?どう練習してますか?
→「難しいです。基本はゆっくりしたメロディや効果音として使うこと。コツは弾いてない時も動くことです。時にはウソの振りも必要です」

…そういえばチューブラヘルツにもグラビトンにもレーザーハープにも、みんなウソのフリがあr(省略されました

■グラストロンで何を見てるんですか?
色々です。様々な用途があります。

グラストロンとは、インタラでは1996年9月「架空のソプラノ」で初登場したSONYのヘッドマウントディスプレイです。
当時のインタラは舞台前面が紗幕に覆われ、そこに映像が映し出されていましたが、平沢さん側(裏側)から見ると当然、全部反転して見える為、基本はそれを補正する為に使用していたとのこと。

なお1996年10月「第3回万国点検隊」で付けてた時は何も見ていませんが、「架空のソプラノ」でこれを付けてMiss.Nと『Mermaid Song』を演奏した時は、舞台袖のカンペを見ていたとのことw

その他はMOD制作やAMIGAについての質問でした。
MODについては「僕より詳しい人がいると思います」と回答、AMIGAについては質問も回答も専門的過ぎて、私が全く理解できなかったので割愛します…。

【クロージング】

最後に、当時はまだ発売前だったライブビデオ「架空のソプラノ」より『DAY SCANNNER』(しかも編集前!)の映像を見せてくれました。
司会の方から「最後に何か一言ありますか?」と訊かれた我らが地球最後のカリスマ、

「特に無いです」(すごい早口)

24年前でも清々しいぜ!

そして何ひとつブレることなく、我々とのコミュニケーションを模索し、築き続けてくれている、ということを24年後の今日に実感する訳です。

改めて、平沢さんが「観客を前にステージに立つ」という行為にどこまでも誠実な人なのだということがよく解ります。たとえ観客が画面の向こうであっても。

我々をフナムシの裏と罵りながらも、常にファンの事を考えてくれてるのが平沢さんなのですよ…!


いやフナムシの裏はひどいだろ。(うれしい

と思いつつ、改訂レポを終わります。
最後になりますが、この講演会、当時在学されていた方かOGのどなたかの功績だったのでは?と思います。2回も開催して頂き、本当にありがとうございました。現役の方、3回目をお待ちしております。

【お知らせ】
田村指圧治療院
指圧・骨盤調整のゴッドハンドのお店です。
ライブ前後でここで治療を受けておくと、遠征や長時間のスタンディングでも身体のラクさがほんとに違うので、馬骨の皆様も是非。何故かTB-303(シンセ)、TR-909(リズムマシン)も完備しているぞ!

先の見えない状況でストレスが多くなると、身体にも影響が出やすくなりますが、緊張した心身が治療でだいぶラクになります。肩こりや腰痛など慢性的なお悩みのある方も、一度相談してみてください。

ニューウェーブ周りの音楽にも大変詳しいですが、2014年『パラレル・コザック』(赤坂BLITZ)の時に、カフェ「Gazio」で楽屋弁当を食べながら限定ライブ中継を観たという伝説の経験を持つ先生なので、お話もしやすいと思います。

■田村指圧治療院

https://tamura-shiatsu.com/
☆茨城県:取手治療室…JR常磐線/関東鉄道常総線「取手」駅より徒歩6分
☆東京都:上野治療室…JR山手線/京浜東北線「御徒町」駅より徒歩2分
※診療時間など詳細は上記URLへ