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【P-MODEL】「音楽産業廃棄物~P-MODEL OR DIE」インストアイベント(1999.09.23.THU タワーレコード新宿FLAGS)

【概要】

タワーレコード新宿FLAGS店 presents
「音楽産業廃棄物~P-MODEL OR DIE」P-MODELインストアイベント

1999年9月23日(木祝)タワーレコード新宿FLAGS
START:16:00
*アルバムを同店で予約購入するとイベント整理券&ポストカード引換券が貰えた(発売日は前日)

■出演

・P-MODEL(平沢進、小西健司、福間創)
・平野さん(司会/ケイオスのお姉さん 当時はテスラのお姉さん・マトン嬢などの呼び名)

■公式レポート

・GREEN NERVE Vol.3(P10~11)
■告知(出典:平沢博物苑
http://www.pinkytrick.com/p/img/flier/1999pod_store.jpg
■CD、MP3
音楽産業廃棄物~P-MODEL OR DIE

【スタート前】

階段で並んでいると「質問コーナーでの質問を書いて下さい」とアンケート用紙が。同紙には今後のリリース予定、ベルセルクのゲームソフトとサントラ情報等々も掲載。

そんな整理券を貰って並ぶような熱心なファンが、みな階段に並んでいた頃、人がいなくなったのを見計らって、小西さんと福間さんが売り場で仲良くレコード屋さんデートしてたのこと。まっ☺️

【スタート】

200人近い人が集まってたそうで、それらの人たちがぞろぞろっと入場。まずは平沢さんだけで色々トークとのことで登場しましたが、レコード屋さんの中なので床はフラット&演台も階段1~1.5段ほどの高さ、という事情により、人の頭で平沢さんが見え…見えな…いや平沢さんほんと小さいな?!

口が滑りました。しかしフラットor低い演台の平沢さんを観たならば、大半の人が必ず同じ気持ちになるはずであります…。
そんな平沢さんの身長問題はさておき、この日は残暑にもかかわらず空調が故障していて、そんな中を黒い服の人たちが密集しており、大層暑かったですね…。平沢さんもいつも通り全身真っ黒(靴下も黒)でした。

【「音楽産業廃棄物」の経緯】

まずはホットなこの話題から。

デビューしてからの20年、メジャーレコード会社(「旧音楽産業」と表現)での環境と、P-MODELとしての手法との相性はあまり良くなかった。
それでも自分たちのやり方は『音楽業界の中の新たなビジネス』に繋がると思ってこれまでやってきたけど、自分たちの手法はちっとも有効利用されず、P-MODELもまた、メジャーレコード会社に必要性を見出せなくなった。

だから、20年と言う区切りにおいて「まったく違う立場に立ってやろう」と思うに至ったとのこと。今のP-MODELは、メジャー会社から見たら「廃棄物」だろうということで、この名称になったそうです。もちろんヤケで付けた訳ではないのは、皆様ご存知の通り。

【「VIRTUAL LIVE」の経緯】

平沢「刺激的な回答と、そうじゃない回答とどっちがいいですか?」

インタラだと刺激的なほうを選ぶとバッドエンドになるパターンが多いのですがw、もちろん刺激的なほうを答えてもらいました。

P-MODELが長い間活動していく間に、ファン層はすごく幅広くなっていき、比較的新しいファンの人たちは、過去のP-MODELがどんなだったかを知らない。

にもかかわらず、過去のアルバムは廃盤になっていたり、ひどい時にはまだ廃盤ではないのに、担当者が探すのが面倒で「廃盤になっている」と答えてしまったり、手に入りづらい。そういう人達の為にも、20周年の区切りとして過去の楽曲をアルバムにしようと思ったとのこと。

さらに、どうせ過去のものを改めて出すなら「80年代の音楽シーンというものはどんなだったか」、大まかな雰囲気が解るようなものにしようと思ったとのこと。当然ライブ音源なども残っていないので、VIRTUAL LIVEとして新たに作ったのだそうです。

以上、どのへんが刺激的だったのかは平沢さんのお気持ちというものです。

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この辺りは色々事情があるようですが、「普通にCDを再販するにしても、著作権の都合で自分たちではリリース出来ないから」ということもあり、色々付加価値を付けた結果、VIRTUAL LIVEに至った、という感じですかね。

当時、古い音源は全部知ってた上で、この辺の意図を一切知らずに「80年代のP-MODELライブがCDになったんだー」と思って聴いた人はさぞガッカリしたことでしょうが、のちにこの辺の意思は「太陽系亜種音」や「HALDYN DOME」に受け継がれていきますね。平沢さんの音楽は、平沢さんのものであるべきです。

【昔の写真紹介コーナー】

平野さん曰く「平沢さんの嫌がるコーナー」。VIRTUAL LIVEのイメージである80年代当時の写真を紹介します、という説明だけでお客さんがみんな笑ったのに対し、「彼らは何故笑うのでしょう…」と訝しげな平沢さんでしたが、そりゃみんなニヤニヤしますよ…髪型も略

以下、実際の写真はありませんが、「音楽産業廃棄物~」本P93~辺りを開きながら、適宜ご想像ください。

■1枚目
…1979年3月16日(金)下北沢ロフト「P-MODEL初ライブのライブ写真」

撮影は我々にもお馴染みの生井秀樹さん。ライブ終了後に楽屋にやって来て、ゲラゲラ笑いながら平沢さんの肩を叩き、面白いと誉めてくれて(平沢さん曰く「お褒めに預かった」)、その日から縁が続いてるとのこと。生き証人だ…!

■2枚目
…1979年11月4日(日)渋谷屋根裏「平沢さんの顔のアップ」

平野さん「…お若いですね…」

平野さん、我々の心の声をバッサリと声に?!
この時は対バンにパンクな人達(ミラーズのことかと)が居り、そのお客さんも怖い。80年代は基本とにかく『観客が演者に対して怖い時代』なので、とにかく自分たちの方が怖い人達に見せようと、意識したそうです。

平沢「(P-MODELは)とにかく怖かったはずです」

平沢さんの個人の感想です。ちなみに胸に付いてるバッチについては、今さら触れられたくないらしくw、やっぱり「I AM A COKE」とか「YOURYOJIDO」(優良児童)って恥ずかしいんですかね…

さて、当時のP-MODELは各ライブハウスの動員記録を着々と塗り替えていたそうで、当時の渋谷屋根裏の下にはピンサロがあったことに触れ「もしライブ中に床が落ちたら、お客さんが全員ピンサロの席に着くだろう程度に動員してた」と平沢さん。ピンサロにそこまで席は無い気もしますがw

嬉しかったのは、そこの風俗嬢に「あ、P-MODELだ」「がんばって下さい」と言われたことだそうで、「ついに風俗嬢にも支持されるようになった」と、メジャー感を味わった出来事だそうです。
メジャーレコード会社を離脱した平沢さんの「メジャー感」の発音が「メジャア感」と、すごく誇張的だったのが印象に残ってますw

そういえばこの話の時、ピンサロの従業員を指す「風俗嬢」というシンプルな言葉が全く出てこず「キャバスケ、ですか…?」と平野さんに聞くのが、なかなかセクハラではと思いました。あと平沢さんの口から何度も「ピンサロ」という単語が出たの、やっぱりだいぶ面白かったですね…。

■3枚目
…1979年「サンライズスタジオ付近の階段で、初期メンバー4人が並んで立っている写真」

平沢さんがジーンズを履いてるのでどよめく我々w
カムイ・ミンタラのドキュメンタリーでは仕方なく履いていたジーンズですが、こちらは私服ですね。これも生井さんが撮ってくれたもの。

サンライズスタジオとは、P-MODELの1stアルバムのレコーディングスタジオで、当時サンシャインのすぐ近くのビルにありました。P-MODELにとって「サンシャインシティー」は「東京の墓標」であり、1stアルバムを構成するイメージのひとつでもあります。

のちに、このサンライズスタジオのビルでは『Perspective』のレコーディングが行われます。ビル8Fの階段で。(バレて管理人に怒られたそうで…)

■4枚目
…1981年「アオイスタジオで大きなミキサー卓を初期メンバー4人で囲んでいる写真」

※「音楽産業廃棄物~」本のP111にある、一番大きな写真です。

アオイスタジオが出来たばかりの頃、『LANDSALE』のレコーディングで使い具合を確かめるモニターとして使用したとか。機材は当時の最新鋭だしブースも広いけど、残念ながらトイレが臭かったそうでw

当時は最先端だったこの大きな卓も、今ではこれよりずっと小さくて性能の良いものが、家に4つある(VS-1680のこと)とのことで、時代を感じますね。

■5枚目
…1980年11月3日(月祝)文化服装学院「学院祭ライブの写真」

写真の解説を求められた平沢さん、

平沢「記憶に無い…ギターから察するにサードアルバムの頃」
平野さん「…ご自分のライブもお忘れですね」

平野さん、我々の心の声をバッサリと声に?!
珍しいギターをお持ちだな?と思っていたら、フリクションのレックさんからお借りしたものだそうです。フェンダーの黒ムスタングでした。

■6枚目
…1979年3月16日(金)下北沢ロフト「
「VIRTUAL LIVE-1」のジャケットの、元写真

これも初ライブの時の写真。なので撮影も生井さん。「VIRTUAL LIVE-1」はS-KENスタジオライブという体でしたが、結局P-MODELはS-KENスタジオでライブをやったことは無いんですよね多分。そして先ほどの話通り、初ライブはとにかく怖く振る舞おうと決めた結果、

・秋山さん…自衛隊の格好(パラシュートスーツというかツナギ)
・田中さん…ヤクザの格好(たれサングラスにスーツ)

(あの2人は)怖いものの想像が安易ですよねと笑う平沢さん。田井中さんの恰好には触れませんでしたが、あれは大工でいいんでしたっけ…?(※初ライブ時のそれぞれの恰好は「音楽産業廃棄物~」本のP93を参照)

■7枚目
…1980年代「亀有ポップの7インチ盤ジャケットの、元写真」

▼亀有ポップの7インチ盤(出典:平沢博物苑)
http://www.pinkytrick.com/p/img/jacket/sin_kame.jpg

写真コーナーの間はずっと「VIRTUAL LIVE-1」が小さく後ろで流れていたのですが、この時にちょうど曲が亀有ポップに。平沢さんが「折しも亀有ポップが流れてますね」と言いましたが、この一言を平野さんがガン無視で進行したのが最高に面白かったです。

なお、ここで紹介された写真は、20周年記念本「音楽産業廃棄物~」のアウトテイクとのことでした。いや4枚目は普通に使われてましたがw、貴重なものをありがたや…。更なるアウトテイクは、公式FC会報 GN Vol.5で見られます。早く過去の会報再販してケイオスさん。

【「論理空軍」PV上映】

ここでニューアルバムより「論理空軍」のPVを上映。ほんとにこれが初公開になるそうで、平沢さんも通しでは初めて観るとのこと。

平沢「…私もここで観ていいですか?」

キュートが過ぎるわ。ちゃんと邪魔にならないように、端っこで(演台から降りて)ご覧になってました。PVの内容は、2020年に生きてる皆様ならご存知の通りですが、いきなりメンバーの顔(しかも真顔)付きの戦闘機が登場したので、みんな大爆笑。

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多分あの時真剣に観てたの平沢さんだけですね…。この当時はまだ制作途中とのことで1番だけで終わってしまいましたが、続きが見たければ各音楽番組にリクエストしなさいとのことでした。どう転んでも放送事故感ありますが大丈夫ですか…

【小西さん、福間さんも登場】

PV上映後に残りのメンバーお2人も登場。
真夏にも関わらず余裕で白いお肌の福間さん、PVを大きいモニターで観たかったとこぼす小西さんの順で着席。

先に平沢さんが登場していた都合なのでしょうが、珍しく下手側から平沢さん、小西さん、福間さん(そして平野さん)という並びになりました。

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ここからは3人でニューアルバムの制作についてのお話。

【リモート・レコーディングについて】

この時代のP-MODELは「メンバーが揃ってスタジオに入ることなく作業を進める」試みをずっと進めてまして、今回の新作はメンバーが遠隔地からネット上でミックスダウンを行ったものがリリースされました。しかもその様子は公開され、ファンもリアルタイムで追うことが可能でした。

2020年では普通過ぎるこんなテレワークも、この時代ではまだまだ当たり前ではありません。それでも「既にお互いが何処に居てもレコーディングが出来るところまで来た」と語る平沢さんは、どこまでも先進的でしたね…。

リモート・レコーディングについて普通に解説してた平沢さんでしたが、

平沢「…もっと面白おかしく話した方がいいですか?」
平野さん「…出来るものなら」

どうしたんですか今日の平野さん!w
そして平野さんの懸念通り、別段面白おかしくとはなりませんでしたので、お知らせしておきます。

小西さんはこのリモート・レコーディングのおかげで、逆にタイに行けなかったのが残念だったとか。でも通信環境さえあれば、例えば平沢さんがタイ、小西さんがミャンマー、福間さんがラオスでも、アルバムは作れると返す平沢さん。

…しれっと自分だけ大好きなタイに行ってますね!

【「HEAVEN2000」について】

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小西さんの曲である『AFTER DINNER PARTY』と、平沢さんの『HEAVEN』はフレージングが似ていると、昔からファンの間でも言われていて、小西さん加入後はライブでも『AFTER DINNER PARTY』がP-MODELアレンジでカバーされるということが何度かありました。

今回は小西さんが「HEAVENのアンサーソング」を作ろうと、平沢さんに間奏部分を託したところ、平沢さんが「AFTER DINNER PARTYのアンサーソング」と解釈して戻してきた、とのこと。w
結果的に両方のミックスのような曲になりましたね。

イベントでは「P-MODEL内でよくある『解釈の湾曲』によりそうなった」と、笑いながら仰ってました。

【質問コーナー】

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ここで質問コーナー。先ほどの回収したアンケート用紙が5つだけピックアップされて、読まれた方には「音楽産業廃棄物~P-MODEL OR DIE」のポスターがプレゼントされました。

■曲作りで煮詰まった時はどうしますか?
・福間さん→パソコン通信
・小西さん→作業を辞める。さぼってることは他の2人には秘密。
・平沢さん→ガマンする。ガマンしてることは他の2人には秘密。

平沢さんだけが作業を続けるんですね!w

■今一番和むものは何ですか?
・福間さん→Gifアニメ作ってる時
・小西さん→「僕は和まなくて良いんです」
・平沢さん→寝る前にネカマ(ネットオカマ…ネットで男性相手に女のフリをしてチャットや掲示板でやり取りをすること)をするという悪いイタズラ

平沢さんのネカマは、公式チャットでもしょっちゅうやってらっしゃいましたね…(みんな正体に気付いてるけど最後まで付き合う遊び)。毎度楽しそうでしたが、ハイパーなごみタイムだったんですね…

■「音楽産業廃棄物~P-MODEL OR DIE」のCDに封入されているフィルムは何ですか?またあれは人の手で1枚1枚切られているのですか?
正解はマルチテープ(磁気テープ)で、とある倉庫から持ってきた音楽のメディアなので、聴こうと思えば音が聴けるとのこと。全部聴きたい人はCDを買った人全員とお友達になれば良いですと平沢さん。

なお、マグネットの方が1枚1枚手動で切ったというありがたいテープだそうです…それはまたどんなブラック業務なの…

■小西さんの曲は予めストーリーを設定して作っているのでしょうか?
ストーリーを設定することは少なく、1枚の絵とかシチュエーション、いわゆるイメージの方が多いとのことでした。ただ、まったく何のイメージもないことも多々あるとかw

■20年前に戻れるとしたら何をしたいですか?
・福間さん→「ネットも何も無い…チャットします。糸電話で」
・小西さん→「楽器を練習してパンク野郎になる」
・平沢さん→「田井中さんになりたいです」

田井中さんは「ドリフターズにおける高木ブー」で、自分では何も努力しなくても物事が順調に進み、かつ、人気者になれるという点で、田井中さんになりたいんだとか。

平野さん「…楽したいんですね」

いや本当にどうしたんですか今日の平野さん!もっとやってください。(文字にすると怖く見えそうですが、ちゃんと信頼の仲だからこそのニヤニヤする面白さだったのでご安心をw)

ここで2010年の平沢さんからお知らせです。

【クロージング】

最後はメンバーから一言ずつ。

画像7メンバー全員の靴下情報をお届けしてくれるおくぞうさんのありがたいお写真

■福間さん
メンバーがまったく顔を合わせないリモートレコーディングなど、色々な経験が出来た非常に勉強になったとのこと。当時のキースペの連載にも書いてありましたが、顔を合わせない分、合理的かつスムーズに出来る作業もあるのでしょうね。

ちなみに今回のアルバムには作曲で参加していませんが、おじさまがた2人の依頼に合わせて、音作りを主に担当されてたとのことです。

■小西さん
CDとMP3と同時リリースの、そのどちらも楽しんで作業が出来た、とのこと。タイには行けなかったけど、自分のペースかつ使い慣れた作業場ということもあり、リラックスして進行出来たそう。

小西さん、このイベントで「タイに行けなかった」って何度言ったことでしょうねw プライベートで連れてってあげて平沢さん…

■平沢さん
平沢さんは、感想がまとまらないとのことで告知をw
VIRTUAL LIVEシリーズ用に、今度は音廃ツアーの各ライブ会場で歓声素材を各種採取しますとのこと。どのような段取りかは会場に行けば解るそうです。ΔP集会の全国展開&大所帯版ですね。

【おわりに】

イベント終了後は、整理券と引き換えにポストカードを交換。ついでに音楽産業廃棄物のフライヤーもゲット。

▼ポストカード(出典:平沢博物苑
http://www.pinkytrick.com/p/img/flier/podpost.jpg
▼フライヤー(出典:平沢博物苑
http://www.pinkytrick.com/p/img/flier/1999pod_2a.jpg

アー写は今敏さんが絵コンテを描いたことでおなじみですね。ポスターゲット出来た方々、おめでとうございました。
この日の帰り道、月があまりにも大きくてきれいだったので(満月まであと2日ほどだった)、MOON PLANT-1と2を口ずさみつつ帰宅しました。







オマケコーナー

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この手の脚長椅子が苦手な平沢さん、写真紹介コーナー後半辺りで落ち着かなくなり、ついに座るのをやめるの図w。この時のポスター約3枚分ぐらいですね身長…。

ファンの人たちに大ビジョンの画面が見えるようにと端に寄った結果、演台につま先しか乗ってないという、平沢さんのやさしさ溢れる1枚でした。
という感じで改訂レポを終わります。

【お知らせ】
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