【Album Review】 IU, 《LILAC》 (2021)
Artist : 아이유 (IU)
Album : LILAC
Released : 2021.03.25
Label : EDAM Entertainment
Genre : Pop, K-Pop, R&B
IUは同時代の国民歌手だ。2008年、十代ソロアイドルとしてデビューしてから現在に至るまで、無数なヒット曲を保有しているのはもちろん、ある時期からはソングライターとしても全面活動をし、その実力を満開させる。いろんなドラマや映画などで俳優として活躍したことまで合わせると、彼女の経歴には更に驚かされるだろう。そんな堅苦しい記録じゃなくても、IUが書いて歌った歌詞とイメージは、(僕を含め)青少年期を共にしてきた人たちにとっては憧れの対象で、気軽に聴けるそのイージーなポップさはきっと大人たちにも親しげに感じられただろう。まさに全世代をほのかに照らす時代の星(スター)的存在。そんなIUが『二十代最後の挨拶』というコンセプトで発表した本作、《LILAC》を聴いて、何かを語る前にまず拍手を送るべきだと思う。IUというアーティストの二十代と共にした様々な瞬間が思い浮かばざるを得ないので。
「なんて完璧なお別れなのかしら」。誰か―恋人、過去―に盛大に別れを告げるタイトル曲〈라일락 (LILAC)〉は近来ポップ界に吹いているディスコ熱風を積極的に活用した曲だ。しかし、ただ単に流行りを追うみたいに感じないのは、曲の主軸になるファンキーな演奏とジャジーなタッチの復古的な曲を以前もしばしば聴いたからである(〈분홍신 (The Red Shoes)〉、〈스물셋 (Twenty-three)〉等)。それだけでなく、中毒的でありつつ割と控えめなリズムの上で調和される各楽器の粘り強い演奏は、彼女が見せてきた色の一番華やかなヴァージョンとしてさらに特別な感想を与える。そして、ムードにぴったりとくっつくボーカルの運用は、この〈라일락 (LILAC)〉だけでなく、本作全体を輝かせる方法論になるだろう。
次にくる〈Flu〉がその完璧な例だ。極度に控えめなソース(source)のリズムの上に、コーラスと韻を用いて繊細なグルーブを作り、(恋を比喩した)熱病の朦朧な気分を表現する。「冷汗が流れて体中がねばりつく」「熱い息を荒く吐き出す」のような感覚的な歌詞ともよく似合って、これまた無視できない良い曲だ。そして、また楽し気でグルービーなディスコに戻る次の代表曲である〈Coin〉では「最悪な手札で楽勝」「it’s no kids zone」と歌うIUの(初披露目の)リズミカルなラップは貫禄のあるギャンブラーの挑発的な余裕を演技する。そこに、若くして様々な波風を通してきたアーティストの背景を重ねざるを得ないだろう。その気持ちの清々しくなるスウィングにも緊張感を見出す色んな装置は、本作の色んな魅力の中でもベストと言えるだろう。
連なるおぼろげなムードのバラード曲〈봄 안녕 봄 (Hi spring Bye)〉はそのムード変化が急ではあるが、まさに貫禄のあるR&Bアーティストのナオル(나얼; Naul、ちなみにナオルは韓国最高のボーカリストの一人としてよく讃えられる)がプロデュースしたことを考えると、IUの超然とした歌詞が突き刺さるまた違う道を見られる。その素晴らしき歌唱の後、年初にシングルで公開した〈Celebrity〉に移ると、またポップなリズムにくっつく声の運用を聴ける。「左手で描いた星一つ」という歌詞は(昔の名曲、Panicの〈왼손잡이(*左利き)〉(1995)を思い出させながら)共に生きる各自のマイノリティー性を応援する曲であると同時に、話者自身に言い聞かせる自伝的な話として、本作の中心で両方の視線を重ねる。つまり、これ以前の〈라일락 (LILAC)〉-〈Flu〉-〈Coin〉-〈봄 안녕 봄 (Hi spring Bye)〉の話者がある程度の普遍性を持ったとするならば、本曲からは話者をアーティスト本人にさらに同一視できるように仕向ける装置となって、アルバムの物語を次の章に移す。
〈돌림노래 (Troll)〉と〈빈 컵 (Empty Cup)〉のループはこれまでの曲と違って音質がぼやけていて、話者の感情もまた沈み込んでいく。〈라일락 (LILAC)〉で未練なく送ったはずの過去の傷と再び向き合う話者。壮大なミュージカル曲のような〈아이와 나의 바다 (My sea)〉でトラウマと自己嫌悪に陥った話者が、彼女を取り巻く世界(海)と和解することで、世界が改めて「まぶしいプレゼントになる」瞬間は、胸が高鳴り、涙すら溜まってしまう。沈んだ感情をまた浮かばせる動力もやはり、本作で一番爆発的な歌唱と、一人じゃなく共に「波に逆らって」進む合唱のような、『声』なのだ。
〈어푸 (Ah puh)〉は面白い曲だ。前の曲(〈아이와 나의 바다 (My sea)〉)で見た広大な海で、今度は余裕に波に乗って遊ぶ姿が描かれる。先、繊細なボーカルの運用が本作を輝かせる方法論だと述べたように、「あああ ぷぷぷ」と、音節とストロークが気持ちよくくっつく様子はその一番興味深い例として挙げられるだろう。もう人生に達観した船乗りのようなしらじらしさは〈Coin〉でギャンブラーに扮した様子も思い出させる。「飽きるほど会おうぜ」と約束した話者は、〈에필로그 (Epilogue)〉に至って、ついに二十代最後の挨拶を送る。〈돌림노래 (Troll)〉、〈빈 컵 (Empty Cup)〉で聴いたぼやけたリーフがまた訪れるが、ここでぼやけるのは未来ではなく、過去だ。
このように、アルバム全体にかけて散らばった物語は、結局、アーティストの行跡を投影した話者のエゴをその中心に立てるため、色んな形で組み合わせても、それぞれ異なる説得力が生まれるはずだ。また、曲ごとにも独立的で完結したお話や感情を詰められるため、その分だけ多くの曲を記憶に残せるという長点もある。ただ、曲単位の完成度や物語の流れとは別に、各曲のプロダクションがみな違う方向を向くために、そのトラックリストの流れが時に不自然になったり(例えば〈봄 안녕 봄 (Hi spring Bye)〉の配置とか)、アルバム単位できちんと統一性を与えるのは難しい。
このように、作品に対して疑問に思うところまでも含んだ感想を書いたのだが、最初の段落で「IUというアーティストの二十代と共にした様々な瞬間が思い浮かばざるを得ない」と述べたように、本作は何より聴くたびに面白い記憶が湧き出る作品であった。その記憶があるからこそ、むしろ《LILAC》の未練のないお別れが薄情に思えるのかもしれない。しかし考えてみると、自分が最初、IUについて語った『国民歌手』というタイトルの裏には、大衆に無防備に露出されるという暴力も潜んでいる。アーティストには常に些細な論争や重たい期待に追われていて、その「海」を「サーフ」するまでどれだけ多くの挫折と苦悩があったのか、自分たちには想像すらできない。それで我らはアーティストの次のステップを待つ前に、本作と共に過去に向けて一度終止符を打つことが、思い出を各々の心の箱に詰め込みながら、お互い謙虚に関係を再整備する時間にしても良いはずだ。
そうしてから、また振り返ってみる。一緒に年を取っていきながら(〈스물셋 (Twenty-three)〉、〈Palette〉、〈에잇 (eight)〉)、共に彷徨ってきたIUが、本作に至って見せる決然とした様子は、近来聴いたどんな「自己完成」ストーリーよりも爽快な勝利の喜びを与えてくれる。「また彷徨ってしまっても、戻る道を知っているさ」と、一歩先でそう歌ってくれる人がいるのが、どれだけありがたいことなのか。
★★★★
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