【Album Review】Lauryn Hill, 《The Miseducation of Lauryn Hill》 (1998)
Artist : Lauryn Hill
Album : The Miseducation of Lauryn Hill
Released : 1998.08.25.
Label : Ruffhouse, Columbia
Genre : Hip-Hop, R&B, Neo Soul
ヒップホップ歴史上初のグラミー「今年のアルバム」賞は女性が掴み取った。そのアルバムは当代の女性アーティストのアルバム初動記録を更新し、今年にはようやくダイアモンド認定を受けた。ヒップホップグループFugeesのメンバーとして頭角を現したLauryn Hillのソロデビュー作で、また彼女の現在唯一無二のアルバムである本作が、大衆音楽・大衆文化に及ぼした影響は、今の自分が知ろうとしてもわかりきれないだろう。
本作の発売年度以降に生まれた自分が遅くしてこれに触れたとき、〈Lost Ones〉と〈Doo-Wap (That Thing)〉のラップが強烈に記憶に残って、ブルージーなギターとソウルフルなボーカルは、自分が初めて接したネオソウルの精髄だったのだ。まるで、Nasの《Illmatic》(1994)がそのものでヒップホップジャンルを定義する聖典のように記憶されるごとく、本作もまた、もっといろんな脈絡を通してその位置を占める理由を、ほぼ本能的に分かってしまうカリスマがあった。それを作り出すパフォーマンスとプロダクションの素晴らしさは―以降クレジット漏洩の物議が起きたが―ほぼHill自身の功であった。
本作がその「聖典」の位置へ登れた理由の一つは、それが黒人社会をターゲットに、ブラックミュージックの儀式的(spiritual)な部分を集大成したからだと思う。何せ、「miseducation」という言葉からまず政治的ではないか。コンシャスラップをはじめネオソウルとレゲー、ブラックゴスペルの切なく霊的な告白、それに伴って女性/母親として発話する女性叙事まで。アーティストのいる社会と正体性の代表性を充実に具現して作り出し、さらにその知恵を「教育」するところにまで至る。あえて推測するに、その様々な脈絡と背景、そして「霊的な」音楽がその社会がLauryn Hillから啓道者的なイメージを投影したのではないかと思う。
本作は大きな枠でヒップホップとネオソウルを行き渡る。リアルセッションと共に演奏されるブームバップビートの色んな適用が本作の間-ジャンル冒険で一番大きな役目を果たしたのではないかと考える。〈Doo-Wap (That Thing)〉でごつくて乾いたキックとスネアがブラスと合って、Hillのラップが入る瞬間に交差する戦慄を代表に、〈Ex-Factor〉のおぼろげなピアノ、〈To Zion〉のブルージーなギターリーフなどにブームバップビートが合うときの楽しさは、このジャンルで音の質感の重要性を改めて想起させる。そして、Hill本人のパフォーマンスと伴い、Mary J. Blige、D'Angeloのボーカル参加は、本作もまた90年代ネオソウルの最前線にあったことを現しているようだ。
このように、実は全体的なジャンル面で見るとネオソウル色が強いが、それでも本作を「ヒップホップ」名盤として讃える理由は、話者が「街」(street)の生活と知恵を大事にする態度があるからだ。ジャンルの正確な発生過程とは別に、とにかくヒップホップが社会的なメッセージがこもった音楽として大衆に刻印された理由は、社会体制から疎外された―それで街の生活を暮らす―人たちが主要な話者として現れるからだ。本作の主題意識はヒップホップのそういった背景を正面から貫通するだけでなく、その中でも他者化されてきた女性の物語をすることで、もっと特別な位置を占めるようになった。
コミュニティーを導く音楽。一見インターネット普及と共に徹底的に個人化された社会の中で、それはもう有効じゃないと見えるかもしれない。が、むしろそうやって前面に可視化されていく少数者たちが集まって動く中心に、音楽はまだ健在している。近来には代表的にKendrick Lamar 《To Pimp a Butterfly》(2015)がそうであって、Beyoncé 《Lemonade》(2016)の場合、傷と許しの女性叙事、黒人女性のプライド宣言などのところから、本作との影響関係を太く描けるだろう。ヒップホップがヒップホップとして刻印されたその中心には、女性がいた。
おすすめ度:★★★★★
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