【Album Review】 SOPHIE, 《OIL OF EVERY PEARL'S UN-INSIDES》 (2018)
Artist : SOPHIE
Album : OIL OF EVERY PEARL'S UN-INSIDES
Released : 2018.06.15.
Label : MSMSMSM, Future Classic, Transgressive
Genre : Electronic Pop, Deconstructed Club, Bubblegum Bass
人魚姫物語を知っているはず。体は人魚でも、人間になることを所望したある女性の奮闘記。その物語が現代に至っては、ジェンダー・ディスポリアを経験し、それを克服しようとするトランスジェンダーの物語として改めて読解される様子をしばしば見る。本作、《OIL OF EVERY PEARL’S UN-INSIDES》のアルバムアートにて、トランスジェンダー女性のSOPHIEが片足に人魚の扮装をしたのは、本作が彼女の正体性をもとにした芸術になることを示唆するところだろう。
暴力、抑圧、恐怖、そして慰めと希望まで。それらを表す音が反転を繰り返しながら再現される。《PRODUCT》(2015)シリーズでの冷たい電子音の混乱な饗宴を思い出せるなら、本作を開く〈It’s Okay to Cry〉の暖かい慰めは、まずそれ自体である種の反転になるはずだ。また、そのトラックが、SOPHIEが自身の顔を前面に現わして正体性をカミングアウトするのに重要な役割を果たしたことを思い出すと、この反転はある意味、正常性神話に浸った社会を反転させて、話者を含め、イデオロギーの死角に置かれたすべての人々に与える慰めなのだ。
しかし、トラックの最後に至ってムードはまた反転され、これからは暴力と抑圧の音が再現される。前半部で注目を惹く〈Ponyboy〉と 〈Faceshopping〉の音は、どれだけ過激で破壊的なのか。特に〈Faceshopping〉はそのトラック内でも急激な反転を通して、社会の外見への暴力的な強要を表す。その問題がトランスジェンダーにおいては生存と直結する点で、もっと重要に読解されるべきトラックだろう。
〈Is It Cold in the Water?〉は、その題名から、SOPHIEが表した「人魚」のイメージとつながるところがあるだろう。ドラムもなく、ある意味清いとも思えるシンセサイザー音が鳴り響き、だんだんスケールを増していき、満ち潮のように世界を沈める。人間世界に出た人魚の足を再び引っ張る、以前の世界。〈Infatuation〉の熱病は聴者にまで伝染し、〈Not Okay〉に至っては〈It’s Okay to Cry〉の題材を意図的に覆してしまう。イデオロギーに蚕食されて熱病に患う話者は、再び社会の規範に戻されて、「ふりをさせられる」(pretending)。そう至った〈Pretending〉の陰惨なアンビエントサウンドは、耳を傾けるほど、どれだけ恐怖なものなのか。〈Is It Cold in the Water?〉で沈められた世界は、話者にとってはただ真っ暗なだけだ。
しかし我らは、〈Pretending〉の次に位置した〈Immaterial〉で、本作で一番明るく美しい宣言を確認できる。社会で遂行させられるロール(role)の意味を一つずつ除去していく末、ついに「わたし」として残る、自由宣言。実を言うと、〈It’s Okay to Cry〉から〈Ponyboy〉に変わるところや、前曲から本曲に変わるところでの落差は、いくら各トラック間をノイズでつないでいるとしても、急激すぎる感もある。しかし、本作はそこにあまり気にせずに反転を繰り返す。トラック単位で見ても、以前《PRODUCT》シリーズでの〈Lemonade〉がそうだったし、本作の収録曲〈Faceshopping〉での露骨な反転もまた(そしてそこで絶叫される本音もまた)経験してのではないか。
したがって、上で作成した文章を修正してみる。暴力と抑圧、恐怖の音が反転を繰り返して再現される中、慰めと希望、連帯の暖かい声は、本作を支える最高の反転なのだ。
〈Immaterial〉が挟まれたところは、恐怖の闇が襲い掛かる〈Pretending〉と、前半の暴力性が再び発現される〈Whole New World / Pretend World〉の間である。また、前述したように〈It’s Okay to Cry〉は 〈Not Okay〉トラックによって否定される。にもかかわらず、我らの覚えているSOPHIEは、彼女の本当の声を使って慰め、舞台で踊りながら無意味を祝福するアーティストだ。本作の反転は緻密なゆえに、本能的だったと思う。それは完結したストーリーを進行させる装置と言うより、話者自身とその周囲の世界の混乱を表現したものなのだから。だからこそ、本作の中で発せられたメッセージは、結果的に否定されてない。それらは有効だ。「I love every person insides.」何よりも、本作の題名の意味が、その方向を知らせるではないか。
本作は現代版の人魚姫物語である。その物語が繰り広げられる「海」という背景から見て、「Oil of every pearl’s un-insides」とアナグラムされた題名もまた、そこから意味を探せるだろう。例えば「pearl」(真珠)に注目してみよう(そして、ディズニーなどによって作られた「人魚姫」のイメージに「貝」アイテムが不可欠なところも考慮してみよう)。真珠の非-内面。真珠貝が真珠を作り上げるまで、外部の攻撃と内部の痛みを耐えなければならない。その逆境を超えてこそ作られる「真珠」という価値。また、それを指す「un-inside」(非-内面)という矛盾な単語は、ただ「outside」を指すというより、その過程で「inside」を同時に呼名するための選択ではなかったのだろうか。自身のディスポリアと、社会の偏見にも関わらず、自分そのもので大切な価値を守るための、混乱な奮闘。
SOPHIEが作り上げた音は、確かに未来に向かっていた。破壊的なポップ。冷たい楽しさ。彼女の新鮮な音は、ほぼジャンルを想像して導くくらいの動力になって、本作は彼女を主軸としたDeconstructed Club、Bubblegum Bassの潮流の文法を拡張しながらも、その意味を自身の下に還元し、10年代電子音楽の一軸を担当した―そして20年代に至ってはもっと重要に繰り広げられるはずの―音を総合して、その頂点に立った。
彼女が夢見る未来への奮闘と足跡が残された作品は、そのまま未来になっていった。その先には、イデオロギーの規範によって、その存在だけで苦しむ人がいないように。SOPHIEが描いていった未来像に共に参加することを望みながら、最後の挨拶を渡したい。Rest In Paradise, SOPHIE.