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ディーリア・オーエンズ著『ザリガニの 鳴くところ』の料理を探索する【ほぼネタバレなし】

※本原稿はALLREVIEWS友の会イベント、「 【ネタばれあり】ディーリア・オーエンズ著/友廣純訳『ザリガニの鳴くところ』(早川書房)を若林踏が読み解く」の参考資料です。
※この原稿は【ネタばれなし】ですが、一読後にお読みいただくことをオススメします。
※引用のページ数は『ザリガニの鳴くところ』(早川書房)のものです。


全米700万部突破、世界でも1000万部超が売れたという大ヒット作『ザリガニの鳴くところ』。日本でも本屋大賞、みんなのつぶやき文学賞などを受賞し、多くの支持を集めています。
本書の魅力の一つに、数多く登場する料理があります。作者のディーリア・オーエンズの公式サイトにも、作中の料理のレシピ(父さんのトウモロコシ粉のドーナツ、カブの葉のスープ、カイヤのムール貝のグリッツ、母さんのコーンフリッター、カイヤの好きなチキンパイ)が紹介されています。登場する料理、トウモロコシが多いなあという印象はあれども、日本人にはイメージができない料理も多い。
まだファストフードが地方にまで行き渡っていない1960年代のアメリカ南部の料理が数多く登場する『ザリガニの鳴くところ』。その料理の世界を探索します。

トウモロコシ粥(グリッツ)

著者ディーリア・オーエンズは公式サイトを持っており、その中に「『ザリガニの鳴くところ』ブック・クラブ・キット」という資料があります。アメリカで盛んなブック・クラブのための資料。中には、著者オーエンズのロング・インタビュー、ディスカッションのための質問例とともに、父さんのハッシュ・パピー(コーンミール(トウモロコシ粉)のドーナツ)、カブの葉のスープ、カイヤのムール貝とグリッツ(トウモロコシ粥)、母さんのコーン・フリッター、カイヤのお気に入りのオールド・ファッションなチキンパイと5つのレシピが紹介されています。著者が紹介する5つのレシピのうち3つにトウモロコシが使われています。トウモロコシの粉もグリッツだったり、コーンミールだったり、いったいどんだけトウモロコシが使われているんだ!と叫びたくなるトウモロコシのオンパレード。

中でも、トウモロコシ粥は貧しい食事としても登場します。親に見捨てられた主人公のカイヤが、必死で作ったトウモロコシ粥の描写がこちら。

トウモロコシ粥は塩抜きでは食べられない。(P40)

このトウモロコシ粥(グリッツ)。日本人はなかなかイメージできません。知りたいという人が多かったのでしょうか、サライにはこんな記事が登場しました。

グリッツは単体ではほとんど味がなく、何かを足さないと食べられないようなものらしい。正直、大変不味そうです。貝を採ることを覚えたカイヤはムール貝とグリッツを合わせて煮ますが、ムール貝って貝だけで食べたほうがおいしいのではと思うのは、私が日本人だからでしょうか?
なお、公式サイトのレシピには「カイヤがムール貝とグリッツを合わせて食べたのは選択肢が他になかったから。ローストしたニンニクや白ワインを合わせると、大幅に改善されます」との注意書きもあります。

このグリッツ、物語の中では、時を経て、舞台のバークリー・コーヴが観光地化していくと、イタリア料理「ポレンタ」として、レストランのメニューに載るようになります。

店のメニューにはトウモロコシ粥が載るようになり、”マッシュルーム・ソースのポレンタ”として六ドルの値段がつけられた。(P497)

ポレンタは日本のイタリアンレストランでも食べられます。「ポレンタ」ときいてイメージが湧いた人も多いのでは?

なお、「Egg東京」が「日本で唯一のグリッツを出すレストラン」を標ぼうしています。農大店のメニューにグリッツを確認できましたが、残念ながら2021年9月12日現在は休業中のようです


ハッシュ・パピー(トウモロコシ粉のドーナッツ)

小屋に戻ると、二人は魚をフライにし「ガチョウの卵ぐらいでっかい」トウモロコシ粉のドーナツも揚げた。(P85)

カイヤの父さんが機嫌のよいときにつくるハッシュ・パピー(トウモロコシ粉のドーナツ)。ハッシュ・パピーとは、米国南部で、魚のフライに付け合せとしてポピュラーな揚げ物です。

2013年、アカデミー賞主演女優賞に最年少でノミネートされたクワベンジャネ・ウォレス(撮影当時6歳)が主演した『ハッシュパピー バスタブ島の少女』。主人公のハッシュパピーはルイジアナ州の低地「バスタブ島」に住む少女で、この名前もトウモロコシ粉のドーナツに由来してます。

コーンフリッター

母さんのお気に入りの朝食は、家のニワトリが産んだ卵で作るスクランブルエッグと、真っ赤に熟したトマトのスライス、それに、コーンミールに水と塩を混ぜて作る薄焼きパンだった。 薄焼きパンは、タネが泡立つくらいに熟した脂で揚げ焼きにするので、縁にカリカリのレースができていた。(P50)

コーンフリッター(訳文では薄焼きパン)とはコーンミール(トウモロコシ粉)とコーンカーネル(トウモロコシの粒)をパンの種のように混ぜて揚げるもの。公式サイトのレシピでは、”Martha White"のコーンミールを使用するようにとのこと。Martha Whiteはコーンミールやコーンブレッドの素などを製造している老舗ブランド。ホームページでは、アメリカ南部の家庭がどのように「トウモロコシ粉」を利用しているかが垣間見れます。

トウモロコシはそもそも、ネイティブ・アメリカンが食べていたものですが、在日アメリカ大使館のサイトに掲載されたエッセイによると、黒人奴隷に配給されていたのもコーンミールです。「貧しさ」を連想させるトウモロコシですが、腹持ちのよいトウモロコシはカイヤの生活にかかせないものです。

ブラック・アイド・ピーズ

カイヤは、母さんが作りそうな南部風の食事を用意した。ササゲ豆と紫タマネギ、揚げ焼きにしたハム、コーンブレッド、細かく切ってカリカリに揚げたブタの背脂、バターと牛乳で煮ライ豆。(P335)

カイヤがよく食べる「ササゲ豆」は原文では”Black-eyed pea”、日本語では「黒目豆」ともいいます。上記の「食べる黒人文化「ソウルフード」を味わう」の中にも黒目豆が、アメリカの黒人のソウルフードになっていることが書かれています。

ブラック・アイド・ピーズといえば、アメリカのヒップ・ホップのバンドの名前にもなっているくらい、なじみのある食材のようです。

フライド・グリーン・トマト

父さんのほうは、エビのフライ、チーズ入りトウモロコシ粥、”オクラ”のフライ、それに青いトマトのフライを選んだ。(P94)

青いトマトのフライ、すなわちフライド・グリーン・トマトは映画のタイトルにもなった料理。この映画が公開された時、まずは「フライド・グリーン・トマト」ってどんな料理かと話題になりました。東海林さだおさんが、「トマトを揚げる」ということにびっくりされていたことを思い出します。

映画ではあまり明示されていないのですが、原作小説は同性愛を扱った小説。映画はオスカー女優のキャシー・べイツとジェシカ・タンディが共演。『ザリガニの鳴くところ』と同様、二つの時間軸が交差する脚本でした。

「シュガーダディ」、「ロイヤル・クラウン・コーラ」、「マックスウェル・ハウス」、「テトレー」

『ザリガニの鳴くところ』には大規模スーパーマーケットもファストフードチェーンも登場しません。それでも、加工食品の固有名詞がいくつか登場します。現在の日本ではあまりなじみのないブランドが多いのも特徴です。

シュガーダディ

ジャンピンがそっと入れてくれたシュガーダディがうれしくてならなかったのだから。(P109)

お菓子を殆ど食べた経験がないカイヤ。でも、店舗を営むジャンピンが棒キャンディ―のシュガーダディをおまけでくれると、かつてないほどの喜びに包まれます。子どもにとって何よりも嬉しいのが甘いお菓子。子どもらしい子ども時代を送らなかったカイヤにとって、シュガーダディは数少ない嬉しい思い出。

「シュガーダディ」はTootsie社が出しているキャラメル味の棒キャンディ。2021年も健在です。大変甘そうです。

ロイヤル・クラウン・コーラ

彼がロイヤル・クラウン・コーラの瓶を二本開け、紙コップに注いだーカイヤが炭酸飲料を飲むのはこれが初めてだった。(P224)

カイヤが生まれて初めて飲む炭酸飲料となる「ロイヤル・クラウン・コーラ」。日本では、コーラといえば、コカ・コーラかペプシ・コーラなので、戸惑う方も多いはず。でもRCコーラとしてアメリカでは115年の歴史を誇っているそう。ちなみに、ロイヤル・クラウン・コーラ、何度か日本に進出し、都度撤退している模様です。

また、日本食糧新聞の記事によると、東欧のジョージア(旧グルジア)ではRCコーラが普及しているようです。

それにしても、カイヤは、炭酸飲料には動じません。カイヤの凛とした性格がうかがえます。クラリッセ・リスペクトル『星の時』の貧しいヒロイン、マカベーラがコカ・コーラに魅せられるのと対照的です。

マックスウェル・ハウス、テトレー

チェイスは”マックスウェル・ハウス”のインスタント・コーヒーを飲み、カイヤは”テトレー”の温かい紅茶を飲んだ。(P262)

「マックスウェル・ハウス」ブランドのコーヒーは日本では1960年代に販売されてました。その後、日本ではブランド名の変更がありましたが、米国では、クラフト・ハインツグループのコーヒーのブランドとして、現在も販売されています。

紅茶のテトリー(訳文ではテトレー)は世界で最初にティーバッグを作った企業。日本では成城石井などで購入できます。

小説に出てくる加工食品は決して贅沢なブランドではありません。それでも、カイヤの住む世界とは違うという雰囲気を出しています。

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60年代のアメリカ中南部の豊かでない食事が数多く紹介されている本書。貧しい食事でありながら、清々しい印象を与えるのは、主人公カイヤの性格によるところが大きいだけでなく、健康的だから。21世紀の目線でみると、小麦粉をほどんど使わない料理の数々はグルテン・フリーのおしゃれな雰囲気さえ纏っています。

日本ではあまり目にしないアメリカ中南部の料理。日本でも類似のものを食べられるレストランはあるようです。コロナが終焉したら、行ってみたいものです。

【記事をかいた人】くるくる

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