![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/109792775/rectangle_large_type_2_725196bfd202855c3a75d050b52225ce.png?width=1200)
田中正造伝記54(日本語と英語)
釈放された夜。
田中正造は石川半山の自宅にいました。
二人はしばらく沈黙していました。
その後、正造は慟哭しながら叫びました。
「半山さん、わしは悔しいよ。
とうとう佐倉惣五郎になれなんだ。
その上、狂人として生き恥をさらして、これからどうすりゃいいんだ?」
「正造先生。。」
石川も嗚咽していました。
そのまま朝まで泣き開かしました。
しかし‼️
正造のこの決死の行動はマスコミや、新聞記事を読んだ多くの人間の心を
動かしました。
その中で著名人を二人紹介したい。
一人目は、後に明治後期を代表する歌人「石川啄木」。
天皇直訴の報を聞いた時、啄木は盛岡中学校(現在の県立盛岡第1高等学校)の生徒でした。正造の命懸けの行動に感動した啄木は、正造の為に歌を書いています。
歌の部分は英訳しません。