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劇団四季ジーザス・クライスト=スーパースター[エルサレム・バージョン]観劇ご招待いただきました!
2024年2月21日に劇団四季さまのロックオペラジーザス・クライスト=スーパースター[エルサレム・バージョン]にご招待いただきました。
何度も貴重なご厚意にあずかることができ、至極光栄です・・・
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恒例となりました、ご招待への御礼としてせめてものファンアート。
父なる神を見つめる目は、穏やかに。
「ナザレのイエス」の奇跡
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ロックオペラは今回初めての体験でしたが、エネルギッシュな音と演出ゆえに人間の業が生々しくも、ギラギラと退廃的な魅力を伴って訴えかけてきました。
退廃!孤独!対立!渇望!不信!疑念!絶望!
享楽的に熱量たっぷりに突きつけられたぶん、イエスの冷めきった孤独が観る側にも冷静に理解できる。イエスが冷静に受容してゴルゴタの丘へいく軌跡に、もはや信仰は関係なく心打たれるんですよね・・・
「ナザレのイエス」はゴルゴタの丘にて処刑されるまでの、人の中で暮らし神の子の証明を果たすまでのお名前。
民衆は「自分たちの暮らしを救世主が変えてくれる」「ラクになりたい」「何かが起こってほしい」そんな一方的な思いの中で思考をやめ、退廃した生活に追われながらイエスに期待し取り巻く・・・
それを達観した表情で眺め、求められるまま過ごし、全く教えの真意が伝わらないことに1人絶望し悩むイエス。聖人の軌跡にも、私たち現代の人間の抱く生きづらさに通じるものがあったのかもしれないと感じることができました。ロックオペラの美意識が、悲劇的な結末も人間の残忍な業も、神性を帯びた歴史のハイライトとして享楽的に観客をパワフルに揺さぶってきます。ヘロデ王の歌の場面とか、スーパースターの場面とか。筆舌し難いくらい清々しくロック。
思い出深いのはイエスが気高い声で「自分で治せ!!!」と一喝する場面。無償の愛と奉仕に群がる自称弱者と対峙する様子、核心をついた叫びが心地よく腑に落ちるようで、フフフと業深く微笑んでしまいました。
神格が下界に遣わされる構図
信じている神の御心に翻弄されながら、自身に課せられた運命に悩む姿。
こうした神への解釈は見る側の宗教観に委ねられ、原典を知り、数多の派生の歴史を知るかどうかがどうしても関わってきますが、
ロックオペラの舞台上では、その垣根に隔てられることなく理解ができました。
釈迦がブラフマーに説得され教えを広め始めたという逸話にも共通する「超常的な存在が下界に働きかける」という神秘的な構図。
この神秘を、信仰の深度関係なくエネルギッシュで親しめる歌詞に組み込む見事さですよ。
人間らしすぎるユダ
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イエスを深く理解しようと敬愛しながらも裏切ったユダ。
ユダの存在感こそがジーザスの世界を深い文学的な魅力に引き立てていました。破滅的な伝説の人。
期待と幻滅を繰り返して生活に追われる姿は、伝説の人のそれでなく現代人のいう「普通」そのままに見えました。
ささやかな日々の奇跡よりも、足に費やした油の量がもったいなくて気になってしまう。
不足しているものばかり数え、勝手に期待を膨らませて、幻滅してしまう。神の御心に導かれ、届かぬまま堕ちていくシーンは、もう最上の破滅でした。
純真ゆえに破滅するキャラクターを一層愛でてしまう・・・後世の者は歴史の伝説に対して往々に業深いのかも。
当日のユダ役佐久間仁さんにより、このシーンの背徳的な美しさが一層引き立っていました。生真面目さとひたむきな行動力がありながらも、堕ちていくユダ。
歴史の中の大きなハイライト
劇団四季さんのご厚意により得難い経験をさせていただいて、ナザレのイエスを、ユダを、描く機会をいただけました。こんな機会に巡り合えるとは。
一つの大きな流れが生まれた瞬間が、人間の歴史の中には途方もないほど起こるものですが、ナザレのイエスの処刑されたゴルゴタの丘は・・・あまりにも壮大すぎて、よほどの機会と信仰と知識とがなければなかなか描けない題材。
それにこんな形で出会い考えることができて光栄でした。
死生観に変化が生まれ、宗教の源流の神秘に触れ、もうおとぎ話のような伝説に今生きる等身大のまま触れることができました。ここ数年の私は縁起のものについて挿絵の仕事を増やしアートワークを深めていきたいなと考えていたため、こうした人の歴史の中の不思議な巡り合わせや縁の不思議を感じる機会に恵まれたことは奇跡的な恩恵です。学び・・・
今すでに、こうした巡り合わせの時期だったと、将来何度も思い返すだろうなと感じています。
重ね重ねご招待いただきありがとうございました!
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そしてここまでお読みいただいた稀有な現代の人々にも感謝です。
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