今を抱きしめて
何が成功なのか?何が幸せなのか?ほとんどの人が一度は考えたことがあると思う。現代人は知らず知らずのうちに、いかに『今』という瞬間を効率的に、生産的に使うことを考えたり、また、常に『何が一番特なのか』を考えて選択することで、永遠にその便益を享受できるタイミングを先延ばしにしているように思える。21世紀の人類は、そんな狂気じみた生活のペースが特徴であり、すべての瞬間がある仕事に割り当てられ、心は未来の目標に向かって絶えず前を向いている。
私は30代も後半に差し掛かり、これまでどちらかと言うとそのような生活にあまり疑問を持たずに過ごしてきた方だと思う。ただ、兄と父の死を通して、それまで何となく感じていた違和感に気づき始めた。
兄は突然逝った。11月の寒い朝だった。元々あまり体調が良くなく、よく横になっていた。一緒にいた父によると、その日朝食に来てバナナを一本だけ食べ、体調が悪いからと、もう一度自分のベットに戻るため二階に上がって行った。父が気づいた時には綺麗に布団を被ったまま亡くなっていた。心臓発作だった。冷たい布団に入りその刺激で止まってしまったのだろうか。大きく目を見開いて、心臓が止まったことに驚いたような顔をしていた。
その時から漠然と死を意識するようになった。私も同じ血を分けた兄弟である。同じことが起こってもおかしくはない。それから私は4年後が怖くなった。
死を意識すると、考え方が変わる。最初は本当にやりたいことは何かと考えていた。そのうち、やりたい事ではなく、自分がやりたいことを通して、どんな状態になりたいのかを考えるようになった。
その矢先である。
父が逝った。事故だった。兄の死から2年後の秋だった。庭にある木から切った枝を、捨てられるサイズに電動ノコギリで切断していた時だった。不安定な椅子に座り、右手に持った電動ノコギリを使い空中で枝を切っていた時、バランスを崩し電動ノコギリが右の太腿に食い込んだ。驚き、おそらくどけようとして強く握ったのだろう、握りスイッチが更に入ってしまい、より深く食い込んだのだとと思う。
辺りは地の海だった。
翌日肉片の付いたノコギリと血に染まった砂利をホースで洗い流した。あのドス黒い赤色と秋晴れの空がひどく印象に残っている。
父は若い頃から活動的であった。当時から学生運動などをやり、私の小さい頃はその仲間と家族ぐるみの付き合いに忙しかった記憶がある。
父は教師だった。葬儀には人もそれなりにたくさん来るのかと思っていたが、想像以下だった。
主に来てくれたのは近所の方々だった。弔辞も隣家の方に読んでもらい、こじんまりと終わった。
様々な活動をして、人と繋がって、教師もやって、最後はこのような終わり方なのかと思った。
そんな終わり方をすぐそばで見ていて、父は果たして幸せだったんだろうかと感じ始めた。先生として、家に生徒の答案を持ち帰っては夜中まで丸つけをし、学級通信を書き、休みの日には仲間と活動をしていた父が、急に何が大きなものに操られていたのではないだろうかと感じてしまった。誰かのためにと突き進んでいた父が、具体的な『誰か』が居ないまま、生きてきたように思えてしまった。その具体が最終的には近所の人だったのかもしれない。むしろ、その矛盾に気付かずに逝けたのであれば、それはそれで幸せだったのかもしれないが。そのような父の生き方と自身の生き方がダブって見えた。
私は兄の死から、『自分はどんな状態にあると満ち足りる』のか、父の死から、『今の自分の仕事・生活に果たして意味があるのか』を考え始めた。
まだ、探しているが、今のところ結論は自分の内面にありそうである。
日常も非日常も身近な人と楽しみ、大義はあまり語らない。足るを知ることではないかと思う。現代社会は『もっと、もっと』の世界であり、そのために私達は絶え間なく追い立てられていると思う。追い立てられる中で見つけた、成功という幸せもすぐに陳腐化し、更なる高みが要求される。達成できたとしても私たちは疲弊し、葬式に来てくれる人はほんの一部の人達でしかない。
今に集中して身近な人々との時間を楽しみ、足るを知る事で、目の前にある小さな幸せに気づけると思う。
手元の作業に集中する、お茶をすする、のんびりと歩く、または単に世界が過ぎ去るのを見る時、私たちは、目に見えない微細な喜びに気付くチャンスだと思う。葉の間を吹くそよ風、肌の上の太陽の温もり、子供たちの笑い声—これらのシンプルな楽しみが、現在に鮮やかに色づいて立ち現れる。
私たちは未来を少しの間忘れて、今この瞬間の楽しみ方にフォーカスする事で、もう少し生きやすくなれるのではないだろうか。
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