オムレツと歳月
一番初めに作れるようになった料理はオムレツだった。
フライパンをあっためて、バターを回して、溶いた卵をじゃーっと入れる。あとは適当に混ぜつつフライパンの端に寄せて皿に盛る。
中学生の時、調理実習で勉強したオムレツのきれいな作り方に感心した私はそれから何かにつけてオムレツをこしらえるようになっていった。
料理と言っても火加減さえ間違わなければ形にはなるし、多少うまくいかなくてもスクランブルエッグと銘打てば一応失敗にはならないという簡単さが、当時の私にはぴったりだったのだと思う。
しかし、家庭科室のフライパンと家のフライパンでは勝手が違った。家にある鉄製のフライパンは中学生には扱いが難しく、何度やってもきれいなオムレツを生み出せはしなかった。
なけなしの知識で、うまく焼ける手立てがないかと試行錯誤をしたりもした。牛乳を入れたり生クリームを入れたりミックスチーズを入れたり。生地がゆるくなって焼き卵の塊になったり、焦げ付いて焼き卵のシートができたり、奮闘の結果は散々だった。性懲りも無く次回に望みを託しては夢破れ、オムレツにならなかった何かを食べ続ける。
それでも自分で作ったものを食べる喜びは何物にも代え難かった。それだけはわかっていた。
昨夜、夕飯に添えようかと久々にオムレツを作った。
今はもう、オムレツどころか夕食ぜんぶだってひとりで作れてしまう。あんなに真剣にオムレツは料理なのだと構えていた頃とは打って変わって、これももう適当にできる一品の中のひとつでしかない。
だけれど、結局余計なものを足さないほうがうまくいくことはあの日々からなんとなく学んでいるし、鉄製フライパンの勝手も知った。
昔夢見たようなつやつやのオムレツにはならないけれど、あの頃を思い返してみると上出来かもしれない。