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祖父が天国へ

こんにちは
タイトルが大袈裟のように見えますね、
この記事をクリックしていただき、ありがとうございます

祖父の悲報が入ったのは、11日金曜日1:54pm
16日の東京出張に向けて先輩と準備していた時、チェコにいる母から「じいじ(母の父)亡くなったと連絡がありました」とLINEが入りました。
ロック画面を通知で、その場に一緒にいた「じーじが亡くなっちゃいました」と驚きのあまり、つぶやきました。
自分が心が冷たいのか、現実を受け止められないのか、その場で泣くことはありませんでした。
淡々と出張の準備していました。

準備が終わり、「Kemioの言わせて言うだけEverything」を聴きながら先輩の車で本社へ向かう時、とある回でリスナーさんのおばあちゃんの話になり、やっと現実は押し寄せてきました。
「じーじが死んだんだ」と
その時、初めて喪失感という悲しみの感情が込み上げてきました。
しかし、涙をぐっとこらえられました。
そして退勤時間まで何も考えることもなく、黙々と仕事を進めていました。

しかし退勤する際に、人事と話す頃には、もう涙が溢れてしまいました。
自分から「祖父が亡くなったこと」を話すのと
他人から「祖父が亡くなったと聞いた」を聞くのとで
こんなにも受け捉え方は異なるのかと

他人から聞かされると、いち早く現実を受け止めなければならないと考えてしまうからでしょうか。

そのあと、いつも一緒にじーじに会いにいく、いとこと電話し、お別れ会の日程を聞き、会社の先輩と相談し、いち早く東京へ向かうことになりました

入院からわずか8日

祖父は間質性肺炎という疾患にかかっていました。
タバコを吸う方でした。直接吸うよりも副流煙を吸っていた方が長く、タバコをお香のように炊いていたという表現が合う方でした。
肺の機能が低下するため、人工呼吸器が必要な生活を過ごしていました。(たまに外していたけれど)

10月4日に「じーじが入院し、もう家には帰れない状態だが、元気だそう」とチェコにいる母から連絡を受け、いとこと11月絶対に会いに行こうねっという話をしていたところでした。
本当は10月に中に一緒に行きたかったが、日程が合わず、いとこだけが様子見に13日会いに行く予約をしていました。

また、少し願っていた部分もありました。
実は曽祖父母(じーじの父母)は12月31日・1月1日に亡くなり、心のどこかで年末までじーじも持ってくれるだろうと思っていました。

それがわずか8日。訃報が届きました。

じーじを超える人はいない

じーじはじーじの兄弟で一番上の子でした。
時代も時代ですが、中学卒業後、高校へ行かず働き始め、自分の家族を養い始めました。

そんなじーじの仕事はダンプカーの運転手(長距離運転手)でありました。
また自分自身で会社を立ち上げ、自営業で生計を立てていました。
小さい頃、じーじに会いに行ってはハシゴのようなのを登って、ダンプに乗せてもらったりしていました。
そしてよく「ダンプじーじ」と呼んでいました。

プライベートでは、じーじは4人の子供を持つ父でもあり、4人の子供を育てるシングルファザーでありました。

今の自分がじーじと同じ時代だったら、自分はここまでタフに家族のために仕事もプライベートも捧げることができなかったなと思います。

本当に自慢のじーじです。

最近じーじを思い出すことが増えた

入院する前から「じーじ」を思い出すことが増えていました。
それが実は前触れだったりするのかな。

9月にフィルム写真の展示会でふとじーじを思い出すことがありました。
会いに行くたび、じーじは自分の使っていた3つのフィルムカメラを自慢してきました。
そして毎回「俺が死んだら、渡すよ」と言ってくれて、できれば亡くなる前に貰いたいという一心で、入院したと聞いた時から11月に会う時にはカメラももらおうと思っていました。

入院してからのこと、寝る前にじーじがなぜか思い浮かんできました。
ふと「じーじ、元気かな?」と思ったりしていました。
じーじの病気を調べていたのと、早く会いたいという気持ちがあったからだと思います。

とある雑誌に「ストレス特集」があり、人間にとってのストレスになる要因の中に「大切な人が亡くなる」ということがかなり上位にあり、ずっと「亡くなる」という言葉だけが心に引っかかっていました。

また自分が出張する時期になぜか合ってしまったことがじーじが何か言いたかったのかなと思っていたりします。

最後に

いとこと退勤後電話で話した時に、「不甲斐ない」という言葉しか出ませんでした。
本当に悔しいですし、最後なぜ電話もしなかったのかなという自分に対しても怒りと後悔が浮かんできて、やるせない気持ちが残っています。
そして、じーじも最後苦しかったのかなと思ったり、その反面、先に天国へ行った父と母、兄妹と合流できたのかなと思うばかりです。

明日(13日)の朝一番の電車でじーじのお別れ会に立ち会う予定で、パッキングを進めなければと思いつつも、なぜか全く進めることができずにいたため、noteに書きました。

書きながら、何度も泣きました。
思いのほか心のダメージが大きいということにも気づきました。

でもこれが、紙の媒体だったら今頃ふにゃふにゃになって、読めなくなっていたんじゃないかと、だからnoteはpc上でよかったと思っています。

では最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

じーじもありがとう

若い頃のじーじ

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