“誰かと話したい”と思うから、私はnoteを使っている
前回noteをはじめたのは昨年5月。
緊急事態宣言が出て
初めてのお盆休みのことだった。
地元への帰省をやめ、
休み中ずっと1人で家にいた。
スーパーから帰ってきて玄関で言う。
『ただいま~』
『・・・・・。』
返事はない。
当たり前だ。
1人暮らしだから、ダレモイナイ。
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元々1人時間は好きな方だったと思う。
好きな作家さんの本を読んだり、
ファッション雑誌を読んだり
ぼーーーっとスケジュール手帳を開いて
今後の予定や計画を立てたり。
音楽を聴きながら、軽く運動したり
ひたすらゴロゴロ、堕落を謳歌したり
眠るか眠らないかの狭間の幸せを
存分に味わったり。
・・・でも、さすがに長すぎた。
時間を持て余した私は、友人が教えてくれたnoteのアプリをはじめてみた。
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“今日は早起き出来た”
“最近トイレが近い”
“ミニ宝くじ買った”
“痩せた!1キロだけ”
そんな、ちょっとした日々の出来事を
話したい、伝えたい、共有したい。
ーあ、でも誰もいないや。
雑談で済むような
行き場をなくした
些細な言葉の受け皿にnoteはなってくれる。
ーーーーー
“人間は社会的動物である”
昔の、
どこかの、
偉い感じの、
誰かさんが言っていた。
はず。
今わたしにはこの言葉が
妙にしっくりきている。
“人は1人では生きていけない。
人と関わり合いながら生きていく生き物だ”
・・・なるほど、これは納得だ。
*****
当たり前が当たり前でなくなった。
1人の時間が好きだと思っていたのは
誰か他の人と会えるのが当たり前、
という前提があったから。
にゅーのーまる?
ニューノーマル?
新しい普通?
カタカナになると
途端に本質が見えずらくなるカラクリ。
よく理解しているような、
していないような、
適応できているような、
できていないような、
できているフリをしているだけのような、
そんな今の日常。
大切なことは
適応しなければならない
と躍起になるのではなく
自分は社会的動物なんだと理解し、
もし1人でさみしいと感じるのであれば
誰かと関わってみようと
まず、自分から行動をしてみることだ。
これはどんなに世の中が変わっても
変わらない“普遍的な前提”だ。
と、偉そうにひとりごちり
noteに投稿しているのは
人と関わりたいからだ。
そんな私なので、
ぜひ、フォローしていただけると
大変嬉しいです。(笑)
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