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エストニア日記 第二章
第二章
ドイツ南部ミュンヘンに降り立った。さすが国際空港、ANA(?)のCAさんらがいる。彼女らに話しかけ、久しぶりに日本語の会話をした。搭乗して数時間。上陸体制に入るアナウンスを聞いて地上を見下ろした。見れば一面銀世界。前に北海道に来た時を思い出した。北欧に来たんだ。
降り立ったタリン空港は日本にある地方空港程の規模で、とても一国家のメイン空港とは信じがたい。そのコンパクトさもまた、良い。窓からBalticと書かれた航空会社のロゴを見て、ここがバルト地域であることを実感する。
ふとパスポートのメモに目を落とし、簡単なエストニア語を復習する。「Aitak」、「Tele」。それぞれ”ありがとう”と”こんにちは”を意味する。SIMカードを買ったキオスクで店員さんに"Aitak"を試すと微笑が帰ってきた。うん、感触は悪くない。
バスで地元住民も使うショッピングモールのSolarisへ。日本で一般的なイオンモールのような内装。二階のフードコートでエストニアっぽい料理を探してみた。恥ずかしながら、あまりエストニア料理について調べて来ていない。そのため、何を注文していいのかわからない。
とりあえず窓際のカウンター席にぽつんと座っていた少年に話しかけてみることに。「Tele. Do you speak English?」
驚かれたが、気さくに対応してくれた。注文したメニューを、彼の席に持っていき、談笑することに。横から見る彼は顎の形、鼻の造形といい、流石ヨーロピアンと言わんばかりの整い方だ。彼の目線の先にあるタリンの街並みと相まって、よく映えている。
話題に上がったのはエストニアの政治・安全保障・歴史など。いくら世界が対ロ制裁で結束しても、ロシアには自国で資源を産出できる。それがロシアの強みだと言っていた。逆に、自分達には大した資源がないから、ロシアへの依存から脱していくのには苦難が伴うとも。確かに。彼のすばらしい所は、ただ盲目的に大国の脅威に対して対峙することを訴えるのではなく、相手の強みをわかった上で語れることである。
常にロシアの脅威に晒されてきた国の人間は、潜在的な敵を熟知している。敵を知り己を知れば百戦殆うからずである。
歴史に関しては、バルト三国が旧ソ連から独立する際に、それぞれの市民が手をつないで各国の首都を繋いだバルトの道の話が印象的だった。
彼の父親と祖父はその当時、人間の鎖の一員として、その歴史的イベントに参加していたらしい。エストニアを予習した際に最も印象的だったバルトの道の関係者がそこにいた。その事実だけでエストニアに満足してしまった。いや、大満足してしまった。
彼と話し込んでいるうちに、英語学校に通っている彼のガールフレンドが授業終わりとのことだったので、合流して街を案内してもらうことになった。
自分と二人だった時は、自信なさげな英語でぼそぼそと話していた彼。ところが彼女を前にすると、自信に満ちた口調に変わった。そして、積極的に自分を先導するようになった。
彼女の前では漢になれる彼の良い一面を知った。彼氏は彼女を前にして漢になるのである。
トームペアの敷地内にある国会議事堂の写真を撮る自分を見て、「そんなに珍しいものなのか?自分たちがここに来る時は政府に抗議する時ぐらいだからな。」と言っていた。一観光客の自分と一市民の彼が見る国会議事堂は違うものなのだろう。
別れ際にエストニア人で知っている人物はいるか?と聞かれた。イヴォ・リンナと答えた。イヴォ・リンナとは旧ソ連から独立する前のエストニアで、禁じられていた西側の音楽であるビートルズをひそかに国中に広めた人物である。前にNHKのビートルズのドキュメンタリーで知った付け焼刃的な知識だ。彼は「いいね。そいつさえ知っていればいいさ。」と言った。たまたまNHKを見て、たまたまその人物を覚えていて本当によかった。
エストニアに来たにも関わらず、普段ドイツに暮らしているあまり、人ににDanke, Tschüss, Entschuldigungなどとドイツ語で話しかけてしまう癖に気付いた。人は、それなりの期間を過ごした国に染まってしまうのかもしれない。
ホステルでも従業員さんに出身国を当ててもらおうとしたら、ドイツと言われた。「このアジアンな見た目なのに?」と聞くと、「でも色んな人がいるし、雰囲気がそうかなって」と。ドイツ人に見られた点で、成長したかもしれない。風格が出てきたのだろう。