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「バカな女」を満足させたい。

 分かったよ、もう一度書くよ。あなたが満足するまで。

 バカな女というのは、「制度に甘えていない」という点でどうしようもなく男をそそる。魅力的である。

「制度」というものは父権に支えられたすべてのことをいう。父権とは昭和前期から中期の「親父は黙って新聞を読んでいて、気に入らないことがあれば茶碗を投げつける」という情景に込められたものが象徴する概念だ。家庭の中に家父長より頭のいい女がいては困るので、バカを隠すために父親は、うるさい、と怒鳴りながら皿を投げつけて女と子供を黙らせた。知性が劣るとそのようにして己の威厳を保つしかないのであるが、「バカな女」はこの制度を利用する。制度に依存するのではなく、利用するのである。
 父権の象徴である父親、これは母親である場合もあるが、彼らには気づけないように彼らが信じている制度をうまく利用して、彼女は「バカな女」として存在する。「バカな女」は、父権を壊さず利用して、自身を守られるものとした上で、強欲に生きる。興味のないことは家父長にすべてやらせる。関心のあることに没頭する余裕がある。父権などとっくの昔に機能しなくなっているのだが、ほとんどの日本の父親、そして家族の構成員、つまりほとんど全員はそれに気がついていない。

「バカな女」は「本当のバカ」ではないのだが、そういった用意周到さを見抜くことのできない強い女性から利用される。「本当のバカ」だと誤解された上で、とにかく圧倒的に綺麗で男の本能をそそるので、そこの価値を利用される羽目になる。実際はしたたかに見抜いていて、「バカな女」は利用されていることを理解しつつ「本当のバカ」の引き立て役や添え物としての役割を忠実に果たす。

 こう書くとまるで「賢い女」のようだが、「バカな女」はどうやっても「バカな女」で、つまり自分の関心事以外には興味がない、というバカの典型である。「単なるバカ」は関心のあることは知ろうとするが、それ以外のことにはまったく興味がない。その点では「バカな男」と差異はない。
 ただ「バカな男」と決定的に違うのは、あえて自分で知恵や知識を身に着けなくても、周りにそれを勝手に補ってくれる男が集まってくるという点にある。「バカな男」はどうやってもそういった対象を手に入れられないので、前述のように茶碗を投げて、ちゃぶ台をひっくり返すとかで威厳を保つ。あるいは威厳そのものを放棄して「カワイイ男」に成り果てたりする。まぁ、いずれにせよ要するにバカな男ということなのだが。あるいは男は全員バカであるとも言える。

「バカな女」の周囲にはそれぞれのプロフェッショナルの男が自然に集まる。男にとって魅力的に過ぎる女なので、なんとかその女の役に立ちたいと頼みもしないのに男が集まってくる。バカな女はその男たちのサポートを常に受けているので、あえて興味のないことを知る必要はない。そしてのびのびと己の探究心を伸ばすので、教養は身につけることになるが、実用性、汎用性はあまりない。文化、芸術などに造詣が深いが、あまり役には立たない。役には立たないが、そういった知性は男を間違いなくそそるので、周囲の本当にバカな女からは嫉妬されるし、男を釣るための見せ餌として使われ、本当にバカな女に知性がないとバカにされる。

 きっと読者の皆さんは混乱していると思うが、大丈夫。
 文中に「バカ」の出現頻度が高すぎて、私自身も混乱している。
「バカ」でGoogle検索すると、このnoteが上位表示されるのではないかと不安になっている。
 だが、不屈の精神を持つ私であるから挫けなんてしない。

 例えばニューヨークなどでは、そもそも父権など存在しないので、そこで暮らす女は全員が強い。最初から制度を利用することなどできないので、すべての女が強さを持っている。男も女もみんなたくましい。そのような環境で生き抜いている「バカな女」は、たくましさとカワイさを兼ね備えて生きている。美人であることは先天的なものだが、たくましさとカワイさは後天的なものだ。

 私が言いたいことは終始一貫している。
 そんなあなたは。
 たくましく、そしてカワイイ。
 さらに、たまらなく男をそそり、魅力的である。

 I'm always waiting for you. I'm open 24/7.


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